自分だけのソーシャルバッテリー
人は皆自分だけのソーシャルバッテリーを持っている
会報『ひきこもり周辺だより』2023年5月
最近「ソーシャルバッテリー」という言葉を知りました。
アメリカ発の言葉で、「人と話したり気を使うための社交性の電池」のことを指すそうです。
俗語なのできちんとした定義のある言葉ではありませんが、個人的には非常にしっくりくる言葉だったので私も今後使っていこうと思っています。
用例としては「昨日は散々人と話したから今日はもうソーシャルバッテリーが残ってない」という具合ですね。
これまでは私の場合まったく同じ意味で「MP」という言葉を使っていました。
あるいは単に「気力」とか「気疲れ」と言い換えることもありましたが、やはりこの表現のほうが意味が通じやすいと感じます。
以前私はコロナ禍においては感染拡大を防ぐために他者との交流が著しく制限されたが、それはひきこもりにとってはダメージにならないというようなことを書きました。
これについても「ソーシャルバッテリー」(以下単にバッテリーとも表記します)という言葉を使って説明することが出来ます。
バッテリーの減り方は人それぞれ異なり、何をしたらどのくらい減るのかは個人差が大きいです。
とりあえず一例として私の場合を記しますが、私と共通する特徴を持っている当事者は少なくないと思います。
私の場合、やはり人と接していると徐々にバッテリーが減ってきます。
一対一であれば数時間持続しますが、同時に会う人が多くなればなるほど消耗が激しくなっていきます。
同時に相手取ることができるのはせいぜい4人までで、それ以上の人数と会う場合はその場に居るのが精一杯になりほとんど喋らなくなります。
大人数・長時間の飲み会などは条件が最悪なのでかなりしんどいです。
私はもともと酒に弱い体質ですが、居心地の悪さを酒で紛らわせようとして余計酔いつぶれやすくなっている面もあるかもしれません。
そして逆に、一人でいる時間が取れればバッテリーは勝手に回復していきます。
眠ったり、日光浴をしたり、ゲームで遊んだりといったことをしている内に自然にまた人と会える(会いたくなるわけではありませんが)だけの充電が完了します。
一人でいる時間は心と体を休めるために重要なものである、と言うとそんなことは誰にでも共通するものだと思われるかもしれませんが、私の場合はそれが特に重要なのです。
また、私自身ひきこもっているつもりはまったくないのですが、私が他者から見てひきこもっているように映るとしたら頻繁かつ長時間の充電が必要だからでしょう。
人と会う用事が避けては通れないのであれば、それ以外の時間はせめて一人静かに過ごしたい、そのためには不要不急の人との接触は避けなければなりません。
私のバッテリーは燃費が悪いのでそうでもしなければ身が持ちません。
話は少し脱線しますが、昔ゼリー飲料のCMで「10秒チャージ2時間キープ」というキャッチコピーが使われていたことを覚えていますか?
私は高校時代の友人とよく「俺たちのやる気は2時間チャージ10秒キープだよな」などとふざけて話していたものです。
そこまで極端ではないものの、燃費の良い人から見ればひきこもっているとか怠けているとか言われても仕方ないくらいには長い充電時間が必要になってしまうのです。
先程バッテリーの減り方には個人差があると言いましたが、充電の仕方も同様に個人差があります。
以前父から行きつけのスナックに飲みに行こうと誘われ、疲れているからと断ると父は「だから行くんじゃないの?」と不思議そうな顔をしたことがありました。
私からすれば客が何人もいる店へ行って一緒に飲むなんてバッテリーの浪費でしかないのですが、父からすれば他の常連客と雑談をしながら過ごすことはバッテリーの充電になるのです。
父は酒には弱くてもどこか人懐っこいところがあり、新しい飲み仲間が増えるたびに私にその人の話を聞かせてくれます。
親子でこうも違うものかと苦笑させられます。
父のようなタイプの人にとっては人と会うことが制限されるコロナ禍は辛かったことでしょう。
父もそうでしたが「コロナなんて大したことない。世間は騒ぎすぎなんだ」という論調で語っていた人たちは、もしかしたら人と会えないのが寂しかったのかもしれませんね。
それともうひとつソーシャルバッテリーという言葉で思い起こされるのが、私がときどき配信を見ていたあるYouTuberです。
その界隈では有名な配信者で、イベント会場で視聴者と会ってグッズ交換などの交流をすることもよくあるようでした。
その方は視聴者とのリアルでの交流は歓迎するものの、同時に複数の人とは会わないということを徹底していました。
たとえ友人同士の視聴者が連れ立って配信者と会いたいと言ってきても、いったん別れてもらって別々に一対一で会うようにしているというのです。
「単純に僕が複数の人と同時に会うのが無理だから」という言葉に対してコメント欄には「病気では」「ちょっと意味がわからない」という反応が多く見られました。
ただし中には「わかる気がする」という人もいて、私もその一人でした。
客観的に見ればおかしな人だと思われるのも無理ありませんが、おそらくその方のバッテリーは二人以上を相手にするともたなくなってしまうのでしょう。
このようにソーシャルバッテリーの消耗、充電の仕方は人それぞれです。
その人のバッテリーがどういう性質なのかは結局その人自身にしか分からないので、他者から見ればおかしな人とか怠けていると映ってしまうのは仕方がないのかもしれません。
ですが、できればそうして一方的に断罪することは勘弁願いたいところです。考えてみてほしいのですが、普通のバッテリーは鍛えられるものではありませんよね。
充電することはできても、消耗を少なくしたり最大容量を大きくすることはできません。ソーシャルバッテリーも同じことです。
慣れや訓練で何とかなるような代物ではないのです。
体質であり、そういうふうに生まれついただけなのです。そこは認めてほしいところです。