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オーストラリアに試験留学になったB君

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オーストラリアに試験留学になったB君

(体験談1)当事者の状況
母親が相談のため来社。
両親離婚のため母子家庭。
子供のB君(男子)は高校1年間不登校。
頻繁な母親への暴力、室内破壊を行っていた。
警察を呼んだものの解決には至らず。
国内でのカウンセリング期間:8か月。

アプローチの経過
料理が得意なカウンセラーをお手伝いとして自宅に派遣。
母親が会社勤めで帰宅が遅いため、お手伝いを雇用と本人には説明。
最初は戸惑いがあったB 君も徐々にカウンセラーに心を開き会話が成り立つ。
本人への小遣いもカウンセラーを介して手渡すようになる。
父親への愛情に飢えていたのか、2週間後にはカウンセラーと外出を共にするようになり、ある週末にはB 君の趣味であるスキー旅行を実施。
その際にB君の外国人好きが判明。
米国人のカウンセラー及び阿相を含めた4名で会食をする事になった。
会食後、よっぽど米国人のカウンセラーを気に入ったらしく電話番号を交換し英会話を習うという名目で2人で頻繁に会うようになる。
その際本人のプレッシャーにならないように海外留学を勧める(海外留学は母親の当初からの要望)。
人とのコミュニケーションが苦手でかつ不登校によって自信を失っていたB 君は米国人カウンセラー会い躊躇しながらも留学に興味を示す。
そこで取りあえず米国人カウンセラーのブライアン、阿相、B君の3人で観光目的でシドニーに行く事になった。
現地では既に阿相の手配で、オーストラリアに留学をしていた同年代の学生に合わせ、彼らと友人関係が構築出来るように画策。
思い通り留学生の1人、C君と共通の趣味である音楽を通じ仲の良い関係になる。
B 君にとって久しぶりに同年代の話し相手が見つかったようだった。
帰国後もC 君と連絡を取り合いB 君に留学を勧めてもらうようにする。
B君は、日本では居場所がない事に気がついた、外国に興味を持った、C 君という話し相手を見つけたという複合の理由で海外留学を決意した。
帰国後2か月後阿相と一緒にシドニーに行く事になった。
現地での滞在先はホームステイにした。
最初の家庭は同年代の子供がいるオーストラリア人の家族だった。
どうにかホストの子供と友人として上手く付き合えないが期待したが、語学力の以前の問題で心を打ち解ける事ができず、1か月も持たず滞在先を変更する。
唯一の救いはC 君の存在。
英語学校が同じだったため放課後までは平穏に過ごせるが、ホームスティ先でのコミュニケーションに問題がある。
帰国後は海外生活が肌に合わなかった、もしくは母親の勝手な筋書きに反抗したのか離婚した父親と生活することになった。
その後無事日本の通信制の高校で高卒の資格を取得する。
(体験談1)オーストラリアに試験留学になったB君
(体験談2)英会話に興味を持ちアメリカに留学したA君
(体験談3)何とかシドニーに留学させたロック指向のC君
(体験談4)留学途中で無断帰国を実行したD君のばあい
(体験談5)双子のE君・F君への働きかけの結末
(体験談6)過保護のF君14歳をゴルフと称してオーストラリアに誘う
(体験談7)アスベルガーによる言動の障害をこえて米国大学を卒業したG 君
(体験談8)親と一緒に対応ができなかった引きこもり20年のH 君
(体験談9)兄弟間の確執が問題だったI 君とJ 君
(体験談10)ホームステイ先を5回変更したL 君

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