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Center:2007年5月ー引きこもりからの対人関係と社会参加

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目次

引きこもりからの対人関係と社会参加

職場で同僚とトラブル

ある日、開業医の奥さんから電話がありました。
  ご主人の医師のところに、数か月前から事務員として働き始めた女性が、同僚とうまくいかない、というのです。
人間関係がうまくいかないわけですが、その理由が妙に遠慮をしたり、その一方でどうでもいいことに熱心に取り組んだりして、それが同僚とのトラブルなっているみたいなのです。
主人が本人から話をききました。
人との関係をどうしていいのかわからない。
初めから自分のことを遠ざけている気がしていたし、自分はほかの人にとっては迷惑な存在ではないかと思っている。
そんなことが答えのなかにあったようです。
この女性(A子さんとしておきましょう)が引きこもり経験者かどうかはわかりません。
ただA子さんの状況は、仕事ができない、人間関係がうまくいかない、就職できないと言ってくる引きこもり経験者の多くに共通している事情です。 
使用者側からの声として伝えてくれたのが、この電話内容の特異性です。
このA子さんのような状況、また引きこもり経験者の状態であっても、人数の少ない職場で、同僚と責任者クラスの人がちょっとした個性として認めていけば、A子さんも、引きこもり経験者の多くも、働きつづけることはできます。
しかし、そういう周囲の環境がないと、このような状態におかれた人が働きつづけることはだんだんと苦しくなります。
就職をして、このような状況で二度、三度やめざるを得なくなることが重なると、A子さんのタイプであっても働けない、就職できない、と結論づけるようになります。
そういう引きこもり経験者、とくに20代後半以上の人には、そう感じ、そう考えている人はきわめて高率になるものと推測できます。
男性の場合はとくに、人生の進むべき道が見失う気がするかもしれません。

「LDのようなところがある」

別の例です。
27歳の息子が働き始めて3か月になるという母親からの連絡を受けました。
仕事ぶりは芳しくはないが、職場ではそれでよしと認められている。
週5日働いて月給13万円で特別に安いけれども、本人も母親もそれでよいと考えています。
「うちの子はLD(学習障害)のようなところがあるので」と言っていました。
月収13万円で東京近辺で生活するのは楽ではありません。
母親が毎月数万円補充することにしています。
私はこの話をきいて、27歳の引きこもり経験者には大きな前進だと思いました。
しかし私はここでLDについて改めて考えてみる気になりました。
この母親からの「LDのようなところがある」という言葉に、何かピンとくるものがあったからです。

私はどこかで、LDが「中枢神経の機能障害(dysfunction)に基づく、非常に多様な症状を表す複雑な状態像」とされるのを読んだことがあります。
もしかしたら引きこもり状態がつづくことは、その時期に人間関係を通して伸びていくはずのものが伸びずに、LDと似た状態、あるいは同一の状態に至る可能性があるのではないかと思えたからです。
人によっては、先天的なことではなくある程度成長したところで、いじめや虐待にあってそれまで形成されてきた人格(?)の土台が弱体化、劣化され、あるいは崩されてしまうとこうなるのではないかと思います。

LD的行動の特徴

まず『精神疾患の分類と診断の手引き-DMS-Ⅳ』の学習障害(Learning Disorders)」の項を読みました。
その説明には納得できなくて、同じ‘特異的発達障害の括り’とされる「運動能力障害」(Motor Skills Disorders)や「コミュニケーション障害(Communication Disorders)」の項をみました。
後者の2項が、引きこもり経験の若者に近いと思います。
ところが市販されているLD関係の本をい くつか読むと(ここではとくに『レッテルはいらない、子どもはみんなすばらしい-LD児と学習指導』三島照雄、法政出版、をあげておきます)、LDのほう が、彼ら、彼女らの実情に近い感じを受けました。
もっとも運動能力障害やコミュニケーション障害に関する本は入手できないので比較はできません。
三島照雄さんは、「LD児に見られることのある行動の仕方」として次の点を挙げています。
(1) 多動性。
(2) 注意力(転導性)-「『受けとめる注意力』を持っているが、興味のある刺激とそうでない刺激を瞬時に、ほとんど無意識の内にそれらをふるいにかけて行動することが難しい」。
(3) 保持性-特定のことにこだわる傾向が強い。
(4) 不器用-協応運動能力の偏り。
(5) 情緒的不安定さと衝動性→結果としていじめの対象になりやすい。
私は、引きこもり経験者は、これらのLDの様子に近いと思います。
学習(学習障害という診断名)という言葉で推測していくとつかみづらく、むしろ性質・性格や行動・行為の面を表す状態のなかに、共通性を見ることができます。
もちろん表れ方には個人差があり、一様ではありませんが・・・・・・。

10代後半以後、あるいは20歳をすぎてから引きこもりになった人たちは、子ども時代からいくぶんはこれらの傾向があった人もいるでしょう。
同時に、引きこもりを長期間つづけること、成長期に対人関係が長期に途絶えることは、ある種の成長・発達のおくれをを招き、可能性としては機能障害をともなうのかもしれません。
それが生活上、職業上の不器用さ、判断内容の不適切や遅れとして表面化するのです。
そして対人関係のトラブルや自信喪失に連鎖していくように思います。
もし、そこに機能障害があり、何らかの方法でつきとめることができるならば、生物学的精神医学の有効性を感じさせます。
同時にまた、そこだけに限定する対応の危険性を感じます。
医療技術の向上により、たとえばCTスキャンによって脳や神経系の内部をとらえることができるようになったとしましょう。
それでも微細な顕微鏡観察の対象となる程度の脳や神経系統の異形や欠陥を見つけ出すこと、ましてやその矯正をめざすのはまだ困難だと思えるからです。

友人ができた後のテーマ

精神科医 師として引きこもりに関わっている斉藤環さんは、「親しい友人を数人もてるようになる」ことを治療目的の達成といっています。
人と人との関係ができること、とくに親しい友人ができることは、引きこもり経験者のもつさまざまな弱さや困難を大きく改善し、また改善する土台になることですから、この目標設定は理解できます。
親しい友人関係ができることは現状においては、生物学的精神医学では到達できないものをめざすことになります。
斉藤環さんは精神医学の目標としては、いわばその枠組みを超えた高い目標です。
不登校情報センターで、引きこもりから社会参加を目標にする私にとっては、「親しい友人が数人できること」は、到達目標というよりは中間目標ということになります。

正直なところ(少なくとも4年前までは)、私は「親しい友人関係のできる対人コミュニケーションが獲得できれば、そして成人年齢に達していれば、その人は大筋で社会参加に向かう」と考えていました。
そう考えて「人材養成バンク」という名称で、その人たちが就業につながる取り組みをしました。
しかし、この人材養成バンクはうまくいきませんでした。
そこに何があるのか、何が不足しているのか、この空白を何で埋めるのかの模索がそこから始まりました。
2000年2月に、10年の引きこもりの後、アルバイト経験を重ねた1人の男性がこう言いました。

「自分に必要なのは、トレーニングを兼ね、収入につながる、会社みたいなものです」と。
私はこの言葉に誘われ導かれて、このテーマに臨んできたように思います。
この数年間に、そこに求められるものの輪郭が少し浮かんできました。
大きくわけると2つの表われ方をするのではないかと思います。

(1)一つは、自分さがし、熱中し打ち込めるものがない、何をしていいのかわからない…といったもので、私はやがてそれに“社会派“という名称をつけることにしました。
(2)別の一つは、心に芯がない、精神状態がバラバラで一つにまとまらない、心の土台がなくふわふわした状態にいる…私のこのグループに“心理派”と名称をつけることにしました。
   ところで、実は“社会派”にしても“心理派にしても、実体は一つのもので、表われ方に個人差があり、意識のしかたの違いがこうなるのではないかと思います。
おおよその言い方ですが、”社会派“は男性に多く、”心理派“は女性に多いと思います。

これを合体させた一つのものがあり、個人レベルで一方のものがより強く意識され、それを埋め合わせる経験が重なれば、社会参加は可能になるのではなかろうか。
まだその方法や内容はつかめないけれども、私は自分なりにそこらあたりまでは近づいていたつもりでした。
この部分の模索はいまもつづいています。

20代後半から感じるもの

ところが別の方向から考えるべきテーマが持ち込まれました。
私のように、引きこもり経験者に囲まれて生活していると、私の問題意識が明確になる前にあらぬ方向からテーマが設定され、回答を求められることがあるのです。
2001年5月ごろのことです。
引きこもり経験者が集まる「人生模索の会」のなかに「30歳前後の人の会」が誕生しました。
人生模索の会は、もともと30歳前後の人が多くいます。
そこに改めて「30歳前後の人の会」が生まれるのは屋上屋を重ねるものではないかと一瞬、思いました。
一般に当事者の会は、参加する個人の自由意志を尊重するもので、人間関係や興味・関心によって大きなグループから枝分かれするグループができるのは、むしろ歓迎する事態でしょう。
ちょっとした懸念はありましたが、こうして30歳前後の人の会が生まれ回を重ねました。
私はこの会の席にそう多くいたわけではありません。
内容を散見した程度です。
個人的に話しかけてくる人はいろいろいて、その中で、20代後半になると“何かある”と感じ、何かが少しずつ見えてきました。 
とくに一度仕事に就いたことのある人の場合は、それが強く出るように思いました。
人間関係がつづくと苦しくなるという感じで話し始めていたのですが、話していくと様相が少し違ってきます。
この文の冒頭にあるA子さんの場合を、A子さん自身が語ったらこうなるだろうという意見にいくつか出会いました。
それに加えて、職場や企業の経営内容や労働環境に対する批判めいた意見も出てきました。
その一方で「職場の上司がいいと続けられる」という少数意見もありました。
しばらくは、この理解の中心を「人間関係が深まるにつれて苦しくなる」という形でとらえ、それを“引きこもり状態にある対人関係や心理状況”の特色の一つとして位置づけてみたこともあります。
それは確かに一つの面ではありましたが、それだけでは理解しきれないものがありました。

対人関係が絶え未成熟になる要素

仕事をやめた人からは「遅いと言われている」「他の人とペースがあわない」「言われた通りにやっていても何かが違っている」などの仕事の現場での状況が明らかになってきました。
多く聞かれた言葉はテキパキ、ちゃんと、きびきび・・・いう動作がかかわることだったように思います。
仕事をやめた人が「人間関係がつづくと苦しくなる」というのは、人間関係のところの表現だけれども、その背景には、この仕事のペース、仕事のしかたのところでの落差が 関係していることにも気づきました。
冒頭の開業医のところにいるA子さんの場合は、これにぴたりとあてはまるのです。

ついに、「もう遅い」という言葉にも出会いました。こう言ったのは30代の女性です。
その関係で、彼女の話をひき出していくと、これから働き、結婚し、子どもを産んでいくという社会生活をしたいけれども「もう遅い、いまからでは間に合わない」というやや女性に特別の事情があるのかと思いました。
しかし、これはたぶん女性だけのものではないと推測して、これまで聞いてきた意見を組み合わせていくとある一つの像が浮かんできたのす。
引きこもり経験が長くなる(したがって対人関係が長くとだえてしまう)とその間に、思春期・青年期の間に対人関係を通して成長し、形成される要素が未熟、未完成になってしまうのではないか。
それが(個人差があるにしても)20代後半なってみると、もはや取り戻しづらいほど(もう遅い!)という感情になるのではないか。
引きこもりの後、仕事に就いた経験のある人ならば、一緒にやっていけない、就職したくはない…と強く意識するようになるのはそのためではないか。
あれこれの事情が、つじつまがあって説明できるように思えるのです。

その状態にいると、それがまた一つの要因になって、行動してみることの意欲の低下を招き、自信喪失にもなる…要するに悪循環になる。
働くことや人間関係を結ぶことにさらに消極的になり、尻込みしてしまう状況になるのです。
日本社会の、とくにバブル経済崩壊後のこの10年余の経済状況、雇用状況や職場の労働内容が、これらの引きこもり経験者にとって、輪をかけた状況の悪さをつくっています。
職場ではより効率的な仕事を求められ、就職自体が難しくなっています。
せっかく勇気をふるって仕事に就いても、ちとやそっとの我慢・忍耐では持ちこたえられない程度の厳しさと強い圧力が、引きこもり経験者にかぶさってきているのでしょう。
理解ある上司にめぐまれる機会が、激減している状況といっていいでしょう。

スローのままで働く場が必要

就業に至る取り組みのしかたを私は考え直さなくてはなりませんでした。
10代や20代前半の人(それも個人差はありますが)では、“元気を回復して”同世代復帰、 学校復帰や社会参加をめざすのはいいでしょう。
しかし20代後半以上になると、むしろ主流は“元気回復して”とか“テキパキ動けるようになってから”というのではなく、そのまま自分で社会生活ができる道をつくっていくしかないのです。
この状況において、引きこもり経験者への社会参加の道をどうつくればいいのでしょうか。
社会全体がもっと寛容になり、仕事場が効率第一でない方向にすすむことを期待します。
その一方で、引きこもり経験者がそのままの姿で、いわば不器用で、スローペースの仕事ぶりを受容される形で働ける場を実現していくのがもう一つの道でしょう。
社会全体のことには関与できませんが、後者であれば、自分なりにできることはあるように思います。
それは「トレーニングを兼ね、収入につながる、会社みたいなもの」の成立をめざすことです。
そこを一つの訓練の場としやがて飛びたっていく場に限定される性格ではなくて、そこに人生をかけていける場にもできることが必要でしょう。
そうなるときに予想されることは「貧乏に生きる」ことをよしとする人生観を持つことです。
私は「貧しく、正直に」生きることを彼ら、彼女らと共にめざすこと決めました。
それなくしては目標に近づけないと思ったからです。
心の奥では、野球でいう“ヒットの延長としてのホームラン”型も期待しています。
でもそれは数多くのごく一部に該当するしかありません。
多数が「貧しく、正直に」生きることを受け入れるしかない方法です。
もしかしたらそれは人間としては最善の人生目標なのかもしれません。
いまはそう思うことにしています。

(2002年8月ころ「収入につながる社会参加の場づくり」として執筆)

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