Center:2004年12月ー「子どもっぽい」にはワケがある
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「子どもっぽい」にはワケがある
―12月絵手紙兼学習会
〔2004年12月〕
12月18日の絵手紙兼学習会では「子どもっぽい」について、その背景や意味するところを話し合いました。
この点をまとめてみます。
(1)成長の停滞
人は生まれてから成長するまでの間に、いくつかの過程をたどります。
「乳児―幼児―児童―思春期&(反抗期)―青年期―成人」としておきましょう。
「子どもっぽい」というばあい、多くは思春期のところで成長が停止(むしろ停滞)しています。
引きこもり経験者のなかには、幼児期のところで「もう前に進めない」感覚になっている人もいますから個人差がありますが、多くは思春期のところで徴候を感じています。
思春期以前に子どもらしく自由に振るまえる時期をもてなかった―自由を抑制したり、不自然に演じるしかなかった、という言葉で子ども時代を振り返っています。
そういう人の多くが、思春期にさしかかったところで、自分には子ども時代がない、子ども時代に別れを告げられない、「前に進んでいけない」感覚、人によってはよく自覚しないままそのような状態に入っていきます。
この感覚は精神的レベルにとどまりません。
身体的にも表面化することがあります。
それが外見上の「子どもっぽさ」になるのです。
しかし、「これ以上前に進めない」状態は、生物学的にはさらに深い意味を抱えています。
男の子が男性化しない、女の子が女性化しないレベルに達する人もいます。
「中性をめざします」と意識する人、意識なく事実上中性的な雰囲気になる人も多くいるようです。
さらには男性が女性化を望み、女性が男性化を望むという交錯状態に入る人もいます。
性同一性障害というのは、主に先天的要素が関わるのでこれと同一とは考えませんが一部の事情は重なるように思います。
人は大人になる前に、子どもから男に、女になるのですが、大人になりたくない(成長したくない)という感覚や意識は、大人になる前の男性化、女性化のところでブレーキがかかるのではないでしょうか。
(2)社会性が育ってない
「子どもっぽい」ことの別の面に社会性が育ってないことも関係しています。
社会性は人と人との関係によって育つものです。
書物やテレビなどを通して社会的な知識を得ることによるのではありません。
対人関係が少なくなっている引きこもりの人に社会性が育たないのは、むしろ自然な帰結です。
ただこの対人関係に壁をつくってきた理由は、外側からの干渉を防ぎ、外への“自己流出”を防ぐという自己防衛から始まったもので、それは自己確立をしていく時期には必要であったと認めないわけいきません。
ある程度自分のペースを取り戻したところで、自分の周囲にはりめぐらした壁を、今度は取り除く作業が求められます。
それによって社会性を身につけていく前提の対人関係を回復しなくてはなりません。
一度自分で作った壁を自分の方から取り外すことになるのですが、これが案外たいへんです。
ここでいろんな人がいろんな様相を示してくれます。
その様相はここでは触れませんが、ともかく人との関わりをつくらなくてはならないのです。
ここでは2つのことが大事だと思います。
一つは同世代の人との対人関係の回復で、これは多くの人が気づいていることです。
もう一つは、会話レベルの対人関係、コミュニケーションの回復をこえて、感情レベルのコミュニケーション、たとえば苦しい体験を交流できるなどのことをさしています。
「子どもっぽい」というのを外から強制してやめさせることはできません。
それぞれの年齢に達したところで、思春期の課題(自立に向かう条件づくり)に取り組む、というのが私の意見です。
対人関係づくりと、子ども時代に持ちえなかったことを象徴的に体験するといってもいいでしょうか。
(3)1月から『社会的ひきこもり』とテキストに
「子どもっぽい」という以外にも、いくつかの質問が出て考える機会になりました。
次は1月22日(1月だけは第4土曜日)午後2時からです。
参加者から子どもの問題を具体的に出していただき、それを一緒に考える方式をとります。
同時にテキストも用意します。
『社会的ひきこもり』(斉藤環、PHP新書)です。
学習会に参加する、絵手紙を書く・・・・・参加者が少なくて惜しい気がしますので、多くの人のご出席を期待しています。