Center:2004年11月ー対人関係を学び収入につながる取り組みをする場
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対人関係を学び収入につながる取り組みをする場
不登校情報センターのフリースペースの今日
〔2004年11月ころ〕
2002年3月までのフリースペースの経過
不登校情報センターの当事者の会は、不登校・高校中退者の当事者の会として始まりました。
1996年8月に通信生・大検生の会として5人が集まったのが最初です。
その後、いくつかの施設(会議室)を会場に集まる機会が生まれ、その1つが1999年10月に引きこもり経験のある当事者による人生模索の会です。
1998年秋から豊島区大塚のワンルームマンションを情報センターの事務所にしていて、人生模索の会が生まれたころは多いときには30人を超える人が集まるようになりました。
2001年6月、第一高等学院新小岩校の後の空き教室に移転しました。
ここは30人が集まっても十分のスペースがありました。
むしろ移転当初は、広いスペースをどううまく使えばいいのかを考える状況でした。
2001年後半には、広いスペースをより積極的に利用する試みを始めました。
「学校案内書フェア&進路相談会」を初めて開いたのはこの年の10月です。
2002年1月~3月末までの約1ヵ月半、人生模索の会が停止されました。
発生した対人関係におけるトラブルを鎮静化し、これまでの事態を振り返り総括して、新たな方向を探求しようとするためでした。
2002年3月以降のスペースづくり
2002年3月末に「あゆみ書店」を開きました。
このスペースをつかい不登校・引きこもりと周辺事情に関する本を集めて販売する、当事者が書店員として取り組む、この両面を見て開始したものです。
その後、三十歳前後の人の会などから多くの人が仕事的なことや収入になる取り組みに就けることを探すなかで、2002年10月ころには「あゆみ仕事クラブ」が生まれました。
この動きのなかで12月にはデジタル印刷機の寄贈を受け、翌年4月にはある教育機関からパソコン14台の提供を受けることができました。
労働金庫からは「パソコン・印刷室」を充実させるために100万円の助成金を受けることができました。
“発送作業”と称してフリースクール、サポート校などの協力団体の案内書をDM発送する作業も、このあゆみ仕事クラブの1つとする形で取り組むことになりました。
2003年5月には生活情報誌『ぱど』を周辺地域に、9月には江戸川区中央地域に月刊地域新聞『江戸川タイムス』のポスティングを担当することになりました。
これは不登校情報センターの取り組が周辺地域に根ざした部分をつくることになりました。
こうして2003年にはあゆみ仕事クラブとして収入につながる取り組み、仕事的な活動のベースが初歩的にできるようになりました。
ところが、2004年入ると、このベースを形の上で持続したままで、当事者の参加が徐々に減少する事態がすすんできました。
2003年末に「フリースペースの利用のしかた」を作成したのは、それまでの到達状況を映し出すとともに、ほころびはじめた当事者の会を回復させようとする面もあったのです。
こうした動向はいくつかの面が交錯した結果によると思います。
対人関係のすれ違い、ぶつかりをうまく調節する機能を欠いていたこと、用件があるときにそれに参加する目的で来所する人が増えたこと、当事者の会に来る人は 2~3年である種の目標をとげ次の前進を期待するのに、このスペースにはその条件がないこと・・・が挙げられます。
会費月額500円を徴収することが少しは影響しているのかもしれません。
しかし、1つの運動法則としてみるならば、3年ぐらいたつと何ごとも質の変化の時期を迎える、それがこのような形で表われたと思います。
このような参加者の減少の徴候は、2003年の末ごろからすこしずつ見え始め、2004年1~2月には顕著になりました。
当時ある程度定着してきたカウンセラーによびかけて、セミナーや学習会をよびかけたのはこの状況においてでした。
その結果、学習会、セミナーが最盛期と考えられる2004年5~7月ごろには、青木カウンセラー「建設的生き方」学習会と絵手紙サークル(親と当事者)、荻原カウンセラーの交流分析によるセミナー(当事者と親)、 高山・荻原カウンセラー共同のコミュニケーションセミナー(当事者と親)、およびトカネット親を対象にした栗田セミナーが、それぞれ月1回開かれる状況になりました。
これらのセミナー・学習会は9~10月にはほとんどが終息しました。
またこのセミナー・学習会が開かれていた期間を通して、フリースペースの潮流が大きく変わったわけではありません。
学習会という対応方法
2004年10月、この動向のなかで私は当事者を対象とする新たな学習会を始めようと決意しました。
それが月2回のペースの『友情論』をテキストとするしゃべり場的学習会です。
また、8月から中断している「建設的生き方」の忘れ形見ともいえる絵手紙サークルを生かし、親の学習会を復活させることになりました。
このほかに当事者にとってはビーズアクセサリーに取り組むグループ、親の定例会の午前中に十代親の会の学習会を始めることにしたのも、一連の事態です。
これらの取り組みを、当事者に目をむけるという視点からいえば、「対応して当事者に向かう」方向です。
一人ひとり個別対応というよりも数人毎に組織的に関与する対応のしかたです。
あゆみ仕事クラブの活性化
その一方、当事者への仕事的取り組み、収入につながる取り組みは、全体の参加者が少なくなっているのにもかかわらず継続し、いくぶんは前進しています。
この時期「NEET」(若年無業者)という新たな言葉が注目されるようになりました。
引きこもり傾向の人に仕事探し(起こし)的対応をするあゆみ仕事クラブのやり方が、NEETへの対応として評価可能な内容になっています。
この面からもあゆみ仕事クラブをより活性化する方向が考えられます。
偶然、3か月ほど前から来ていた○○さんが、内職業者と連絡を取り、内職も始まろうとしています。
高場さんがテープおこしなど外注的仕事を結びつける役割を始めてくれました。
『スクールガイド』(2005年版)編集のためにスクール情報を入手し、文書作成という作業が生まれました。
いま新たにこれを不登校情報センターのホームページ上に掲載し、検索サイトを制作することにしています。
2004年に入ってからのパソコン関連のペルプデスク作業も断続的に続いていますし、ポスティング(『ぱど』と『江戸川タイムス』)は安定的に続いています。
当事者の会(フリースペース)2つの目的
こうして現在、当事者の会(フリースペース)は、新たな方向性が事実上設定されています。
一つは対人関係づくりの場として学習会を中心に“意識的に対応して当事者の会を指向するもの”になること、もう一つは“収入につながる取り組み”をするあゆみ仕事クラブを成長軌道に乗せることです。