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Center:2003年8月ー引きこもりを体験した当事者たちの会

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目次

引きこもりを体験した当事者たちの会

   社会参加をめざしてどこまで進んだか
 

2003年8月27日、埼玉県下のある地域で保健医療・福祉の視点から引きこもりに関わっている専門家グループの会合で「居場所(フリースペース、当事者の会)という環境づくり-雑談(アドリブ)」として話した内容です。
出席者の1人がまとめたものです。

それから半年以上すぎ、フリースペースの様子も少しずつ変わってきましたが、当時の様子を伝えるもので今日につながる面もあります。

7年前に当事者の会をつくった。
今までの活動経過は前にまとめたことがある。
それとは違った側面で今回は話をしたいと思う。

なぜこんなことを始めたのか

初めはこんなつもりではなかったし、3年後に続いているかどうかわからない。

もともと自分は教育雑誌の編集者だった。
80年代の初めから雑誌を通して教育に関わってきた。
その頃は不登校やひきこもりの走りの時期だった。
何度かそれの記事をのせて反響はあったが、1983、4年ごろからその反響が変わってきた。

それまでは教師専門雑誌で教師からの反応以外はなかった。
しかし、不登校で特集を組むと母親からの反応が多く、いきなり編集部に電話があることが多かった。
長い電話になると2時間くらい。
いきなり話しをされて戸惑うことが多かった。

編集者は「専門知識」よりも、どちらかというと「専門知識を持つ人を知っている」人だと思う。
かかわり方も分からなかったこともあり、断れずに30分くらい話を聞いていたことが多かった。

その後、91年に体験者や家族にむけての体験談中心に構成した『こみゆんと』という雑誌を作る。
編集部に相談の電話が舞い込むことが日常化した。
その相談に自分も対応することになった。

相談内容において、心理的な問題や精神的な問題は他機関に回せばよかったが、難しいのは進路についての相談。
紹介先がない。もともと情報を持っていないのでそれには困っていた。

1995年に「不登校情報センター」を自宅で設立した。
その年の9月1日になっているが、少し怪しい。
相談の電話番号に自宅の番号を載せていたため、自宅で受けていた。
あまりに多いので家族が電話をとらなくなった。
設立当時の活動内容としては相談と情報出版物の編集が主。

その頃から頻繁に電話をかけてくる当事者がいる。
この人と自分だけが付き合っていても仕方がない。
この人たちがお互いに知り合えればいいのではないか。
そう考えてその当時あった個人情報誌『じゃマール』に、「通信生・大検生の会をつくろう」と掲載した。
電話をかけてくる当事者にも来ないかと声をかけた。

1996年8月4日の集まりが当事者の会の始まりで、6名からスタート。

話し合い(友人・学習・情報交換)→食事会→野外(屋外)活動

話しをする集まりをはじめて3年くらいは、公共機関の会議室などを借りた。
最初の6か月くらいは、5、6人くらい集まって話し合いをやってきた、というかそれしかやっていない。

会議は基本的に成り立たない。
いつも隣り合った人間とは話をするが、そこでの話しか成り立たない。
何かをやろうと提案すると3人位がついてくるが、それ以外は別な話をしている。
テーマをもって何かをするというのは基本的に難しい。

はじめは会員制だった。
3年経過したところで100名ほど登録数があったが、集まるのはいつも15名から20名前後。
やがて30名ほど集まることもある。

2年くらいして一度会議にしようとしたことがあったが、一対一のやりとりのようになるだけで、会議にはならなかった。

ある時、突然NHKから会場内を映す取材依頼があった。
それで参加者の意見を聞かなくてはならない機会があった。
その時には17、18名集まっていた。
意見を求めても自分と参加者と一対一で話している感じがする。
取材には2人が拒否した。
この場合には全員一致が必要。
多数決を選択することは集まりの趣旨が違ってしまう。

この日は会場で机を口の字型に並べて意見を聞いたのでそのまま通常の定例会に入った。
そうすると話し合いが会議式になりやりづらい。
会議が成り立たない。

その場での続行をやめ、同じ会場内の喫茶店に場所を移した。
会場とは違って会話がとても進んだ。
このときに考えたのは、彼らに必要なのは公式の会議ではなく、雑談。
その対比が明確になった。
それが今でも続いている。

98年には小さい事務所を借りてそこで集まりを続けた。
7坪ほどの広さの事務所に30名ほど集まっていた。
玄関口には履物があふれて外に出てしまっている状態。
そのころに会員制をなくした。
というのは、もともと会費がなかったことと、会員制であるということの意味があまりなかった。

まず、自宅で活動開始して、次に大塚の7坪ほどの事務所、2年前からは第一高等学院という予備校が新小岩にあったところで活動している。
そこが廃校になったので、その建物の1階・2階を利用している。
家賃はただで提供してくれている。
大塚にあった事務所の15倍ほどの広さがある。

大塚の事務所は5時で閉めていた。
週1回の集まりの日は私の仕事が出来ないので。
昼前から利用者が来て、5時近くまでいる。
しかし、事務所が閉まったあと、参加者は近くのマクドナルドで2次会を行っていた。
私の仕事帰りである10時過ぎにマクドナルドの閉店で出てきた参加者に出会うこともあった。

新小岩は広くなったので、5時になっても帰さなくてもいい。
自分は部屋で仕事をすればよくなった。

コミュニケーションの面で大塚の時と違っているのは食事。
喫茶コーナーのテーブルなので一緒に食事をしている。
食事はコミュニケーションなのだと思う。
話しが主ではあるが、共に食事をすること自体がコミュニケーションと考えたほうがいい。

所外活動が多い点も変化。
メンバーの構成上外出することが多くなった。
新小岩に移ってからカウンセラーが7人来ている。
交代で来てくれるカウンセラーの中で野外活動が好きな人がいる。
所外のイベントや屋外でのスポーツをする中心になっている。
運動も含めた野外活動もひとつのコミュニケーションになっている。

人生模索の会(ひきこもり経験がある人が対象。それ以外の条件は問わない)、女性の会(女性のみ)、30歳前後の会などができた。
なくなったものもあった。ファーストステップの会(社会参加を目的とした会)というのもある。
今まではこのような活動が主であった。

現在はお散歩クラブ・園芸クラブ・運動(テニス)サークルなど趣味と興味関心につながるものと、あゆみ書店・パソコン教室・ポスティンググループなど収入につながりそうなグループができてきた。

これは今年の春あたりからの動き。
当事者の会はクラスのような印象があった。
それに対して最近できあがったものはサークルのようなもの。

居場所の役割(1):外出先

ひきこもりでも外出する人がいる。
不登校情報センターでは外出できる人が多い。
今まで来ている人たちも外出する人も多い。
医療機関ではないので、病的な人は少ない。
しかし、何らかの診断がついて、服薬している人はいる。
病的な状態が見えても、単純に医療機関に紹介することなどはない。
最近は鬱などが増えていた時期もあった。
それでも他の自助グループの様子に比べると参加者は比較的元気な部類かもしれない。

ひきこもり状態の人の出ていける先が本屋・図書館・CD店・コンビニ・公園・相談先+α‥。
外出するところが絞られる。
個人的にはレアケースを含むことがあるかもしれない。

最近、14日連続で来た人がいる。
情報センターは土・日曜日が休みではないので、このようなことが起きる。
この人は、父親が退職して家にいるので、居場所がないという。
居場所は、居場所でもあると同時に人によっては逃げ場所でもある。
参加者を見ていると、親との距離が近すぎることが多い。
お互いにいつもすぐ横にいる感じ。
そのような人が親との距離を置く意味での外出先でもある。

居場所の役割(2):対人関係づくり

対人関係づくりはなかなか曲者でもある。
ひきこもり経験者だけでは対人関係づくりの場にはなりにくい。
というのは、ある提案に対してそこにいる人たちの反応が見えにくい。
ひきこもり経験者同士では理解できているのかもしれないが、なかなかとらえにくい。

例えば、活動を呼びかけた人間に対して、反応がなく、呼びかけた人間が反応のなさに耐えられなくなってしまうことがある。
呼びかけられた方は提案された日の当日参加予告もなく何事もなかったように来たりする。

そのようなやり取りはよくある。
そのような意思疎通が難しい。
このようなことを称してある女性参加者は「弱さ」を争っているような気分になり、これに負けてしまうという。

対人関係が苦手な人同士の中で関係をつくるためには、ある種の自然性や本人の資質と共に環境が必要となると思う。
これから当事者の会づくりに取り組もうとするところや、いま進行しているところでも、反応のなさや難しさだけで取り組みをやめないで欲しい。
反応が見えにくい。
そこで取り組みをやめないように。

反応がなくても、時折忘れた頃に「あの活動がやっているのか」と聞いてくることもある。
頻繁に利用する参加者でもそのようなところがある。
半年ないしは一年くらい経ってから反応されることも多い。

「この前」というのは曲者で、彼らにとっては、1年くらいの意味をもっていることもある。
時間の経過に対する一般的なものとは感覚が違う。
本人なりには、反応をしている。
それも本人の中ではかなりいいタイミングでしていると思っている。
それがわかりにくい。
なので、活動自体に反応がなくてもやめることはない。

いま、イラストクラブやお裁縫クラブをつくろうということも、たぶんすぐには反応が返らないだろう。
だからといって興味がないわけではない。
やるのなら3年くらい待ってみないと。
それくらいの気持ちで活動しないと実現できない。

当事者の会の構成と運営

昨年の利用者は男性111名・女性90名。
実数は男女差が11:9と少ないが、しかし来る回数は男性7:3と男性が多い。
しかし、文通では女性が多くなっている。
ひきこもりは男性に多いと言われるが、実際のところはほぼ同数ではないかと思う。

ただ女性は生物的に強いし、社会的許容度が楽。
同じひきこもりでも男性は打たれ弱いし、長引く。
女性はなにかわからないがある瞬間に元気になる。
とりあえず人数面では、男女差のなさを実感している。

昨年の1月、今から約1年半前に当事者の会の中心的存在だった「人生模索の会」に揉め事が発生して活動を中止した。
彼らの中には「味方ではなかったら敵」という感覚がある。
どちらでもなく中間の人が大部分、ともかく人間としては安心感がある感覚を持てるというのは大切。

それが社会参加できる力になる。
当事者の会のベースになる目標だと思う。
自分にとって味方ではないけれども、そのような存在と付き合っていくのが彼らにとって重要となる。

そのトラブルの後、1か月間活動をやめていた。
しかし、いろんな名目をつけて当人たちは通ってくる。
結局3月末まで中断した。
居場所がなくなることへの彼らの危機感は強い。
味方ではない人間は敵であり、グレーゾーンがないことが彼らの難しさ。

2002年3月末に居場所を安定させるためにつくったのが「あゆみ書店」。
さまざまな書籍や学校案内を置いてある。
そのような材料を使って書店をつくることになった。

書店のお店番がいることで、いつきても誰かがいるという環境をつくりたかった。
いつ誰がいるのかわからない状態ではなく、いつも常にいる安定した誰か。
それに書店付設の相談室。
私ひとりではなく、それ以外の人間によっても支えていけるようになった。

書店員は、はじめは7人から始まり、その間にも増減はあった。
今は安定して6人くらいいる。
その他にもカウンセラーが1人いて、場が少し安定した構造になった。

本の売り上げは多くて月10万くらい。
仕入れは70%で手に入れて残り30%の内20%を書員で分けると月に一人3000円くらい。
人によっては交通費で飛んでしまう。
あゆみ書店は、安定という目的と収入があり、仕事をすることの体験になる。

2002年秋ごろ「あゆみ仕事クラブ」を設立。
そのクラブでいろいろ試みはあったが、確実になっているのはポスティングの仕事。
月に2000円くらいになる。
また新しいポスティングする新聞を得たので収入が増える予定。
そのような仕事を開拓していければいい。

7月から出張パソコン教室をやろうと始めている。
パソコンの設置・出張サポート・ホームページ設置・文書入力などの内容で行おうかと。
現在19人登録して準備している。まだ仕事にはなっていない。

現段階でホームページをつくれるのは5人くらいなので、それを他のメンバーもできるように。
パソコンを作ろうという試みもあり、パソコン組み立て教室を始めた。
こちらからホームページの更新作業などを営業案内したり、安価で作成したパソコンを売ってみたらいいのではないかといろいろな案はある。
さまざまな勉強をしているところ。

仕事というよりは「収入につながる活動」という感じが当面のねらい。

場づくりの基本姿勢

5年前に仕事を紹介する取り組みをしていた。
アルバイトや研修でもいいからという感じで。
80人ほどの登録があった。
仕事の希望を問うと本人たちは自分に合う仕事がないといってしまっている。
本人たちにとっては仕事どころではないという段階。

30代を超えると就職を考える人が少なくなっている。
でも彼らの意見には、「ここにいる人たちとは働ける」というものだった。
「ここを仕事の場にしてほしい」という要望もあった。
今の仕事に関する取り組みは私にとっては仕事起こしみたいなもの。
生活を支えるほどではなく、小遣い程度の収入でもいいということなので少し気が楽になった。

20代後半以上で就職していく人たちも何人かいる。
居場所の一つの面として、そのような機能を持たせた。
月に7000円くらいの収入を得る参加者もいる。

重要なのは作為=マニュアルがある場ではない。
あなたに対して何かしようと思う気持ちがあるとうまくいかない。
こう思うのは情報センターの当事者には病的な状態が少ない人たちが多いということもあるかもしれない。
施設としての性格の違いかもしれない。

しかし、作為があるかかわりは結果的に邪魔になってしまう。
こちらが「悪意なく自然な感情が出せること」がベストに近い。
いかに自然な状態にあるかというのが中心になると思う。

そして場の雰囲気として「やりたいことは全て認めていく」ことが大切であると思う。
犯罪以外であるならばOKを出している。
「うまくなくてもいいのだ」という部分の大切さ。
すぐに中途半端なことはしてはいけないような気持ちや雰囲気になってしまいがちだが、中途半端でもいい、積極的に取り組めるような雰囲気づくりが大切だと思う。
文字通りその場をつくるのはなかなか難しいけれど(笑い)。

《各自質疑応答》

片倉)自宅で「不登校情報センター」を始めて、それが通用していることは先見の明があると思う。
スタッフはどのように増えてきたのか。

五十田)スタッフというのは自分ひとりかもしれない。
当事者のなかの有志が数人で情報センターを支えてくれている状況かもしれない。
ボランティアのカウンセラーが少しずつ増えて7人。
自主制作雑誌『ひきコミ』や東京都ボランティアセンターに募集してやってくる。
経路はさまざま。

そこでスタッフ指導員が気になるのは資格。
私は無資格。
私にとってこの取り組みは出版社の仕事の中で始めた。
いつのまにか相談を受けていた。
その自分がなぜ他の人に資格を求めるのか。
自分でも資格を気にしているところはない。

来てもらっている当事者の中には、自分はリスナー(聴き役)という人もいる。
電話相談をやりたいと思う人もいる。
今後も「資格を問わずにどのように対応できるのか」という部分を考えていきたい。

だんだん手伝ってもらっている人の数は多くなっている。
しかし、給料を支払っているスタッフはいない。
カウンセラー自体は相談料を5000円もらっているが、私がとるのは1000円(当事者からは相談料はもらわない)。
ただカウンセラーの面接に来るのは、年間10名程度。
カウンセラー自身は経験者に対してかかわり、学びたいと思っている。
そこには給与は発生しない。
ひきこもりの人たちというのはどのような人か実体験する場としてとらえている。

児玉)今の居場所の家賃は。どのように捻出しているのか。

五十田)家賃自体は無料(第一高等学院からの無償提供)。
電気代などが60000円から70000円位。
ネットの接続料も10000円。
蛍光灯の交換や備品等を加えると月額計100000円位。
この100000円は自分が出している。

収入源は、フリースクールなどの学校案内書を置くことで料金を貰っている。
それが収入となっている。
それが相談室の案内なども含まれてだいたい200校分くらいある。
また相談者の名簿が1万人分ほどあって、そこへ学校案内を発送している。
その発送を請け負っている。
その請負作業の収入が30万くらい。
15人に手伝ってもらって1人平均2万くらい出すことができる。
これで利益を上げているのが現状。
この収入の成り立ちを聞くと皆びっくりする。
無料で利用していると伝えるとどうやって利益を上げているのか不思議がる人が多い。
あくまで不登校情報センターなので情報があることで収入源はできると考えている。

児玉)相談に来るのは、どの年代が多いのか。

五十田)学校年齢とその後の年齢の比率は半々くらい。
日常的には20代以上の人が多いが、学校関係の相談会などになると10代が増えてくる。

大賀)いろいろなグループ(人生模索の会等)があるが五十田氏がかかわっているのか。

五十田)基本的には自分がいなくてもやってくれという感じなので、かかわることもあるし、そうでないこともある。
当事者中心でやっているところも多い。
自分でも把握していないこともあるが、把握していないことは「知らない」。
でも大きな障害は発生していないので、それはいい傾向だと思う。
私がいなくても自分たちで決めて行えるのがベスト。
当事者の動きの流れは私が知らない活動もあると感じている。

大賀)問題は起きないのか。

五十田)心理的葛藤な部分はあると思うが、暴力につながるものは少ない。
仲のよい少人数間の争いのようなもの位。
彼らはある意味で平和愛好家であると思うので、争いになる事が少ない。

大賀)私のところは人数が少ないので、問題になるもとはないが、人数が多くなると問題が大きくなって自分たちだけで処理できなくなってしまうことがないのか。

五十田)ある程度問題があったほうがいいとは思う。
自分の感情が中にこもっている印象があるので。
感情が外に出たり、意見が出てきたりすることも必要だと思う。
昨年のトラブルでも、衝突している人以外はすぐに散ってしまう。
対立が起きてしまうと、その場にいることも居たたまれないという感じ。
そこを話し合っていくことがいい経験になると思うのだが。
それが彼らの表現方法になっているので、それ以外の形で出ないのかと思っている。

児玉)はじめて当事者の会の場にいくということはとても大変な体験であると思うが、そこまでの経緯というのは。

五十田)最近はネットで見たという人が多い。
医療機関や福祉関係の相談所で紹介されて来たりする。
週に1人は新しい人がやってくる。
電話と実数の差を考えてみると、電話をかけてきても、玄関の前で躊躇して帰っている人もいるのではないか。
多くの新聞や図書に掲載されているので、何がきっかけになって来ているのかわからない。
相談の実数だと年に1000件以上ある。
毎年相談者の名簿が増え続けている。
7年か8年の総数で14000から15000名位になると思う。
厚生労働省の調査では700か所ある精神保健福祉センターと保健所でひきこもり相談者が6000人と言っていたが、その数の少なさを聞くと違和感がある。

問い合わせをされても情報センターとしての対応自体は大部分がほったらかし状態。
情報を提供して、他機関を紹介している。
当事者の会や親の会に入る人をカウントすると、相談や問い合わせをしてきた人に対して実際に来ているのは3%程度。
問い合わせをしても継続利用に結びつくには何かがないと難しい。

大垣)仕事探しが主ではないということであったが、今後の方針はどのようなものであろうか。
当事者の中で一番困るのは就職先。
親も当事者も高齢化してくると、生活の糧の部分である労働の部分が心配になる。

五十田)例えば、今の施設の中に喫茶コーナーがあり、その中の1人が食品衛生責任者の資格を取った。
またいまの建物をいつまでも借り上げていることは難しいだろうと思う。
その資格を生かして情報センターの外側に喫茶店を作りたいなという希望はあるが、それを本人含め家族がどのように考えるかはまだわからない。
自分はそのときに何ができるのか考えてみると、事業として成り立つのかに関する判断、利益の安定性についての問題への判断の見通しだが、現時点ではつけにくい。
喫茶に限らず、パソコン関係でも、ポスティングでも、書店でも、個別の事業ごとがどうなっていくのかによって、それが実現するのかどうか考えられると思う。
今は流れに任せている。 
当事者の自発性、意志と能力を尊重するのが第一。
その次にカウンセラーなど親に関わっている人の協力。
さらに企業の助成、協力関係にある教育機関なども援助によってなんとか成り立っている。
そこにつなげる形づくりが求められるだろう。

片倉)ポスティングに関しても期限をもってやる仕事なので、任せることは難しいのでは。

五十田)最終的には自分ひとりでもやっていくという気概がないと引き受けるのは難しい。
しかし、ある程度人数的に参加者が見込まれて、比較的元気な参加者のお陰でなり立っている。
やっているのは17名くらい。
任せるところには半ば強引にお願いすることも必要になっていると思う。

大垣)当事者の関係は「味方でなくては敵」というような、対立する関係が解消されていくのか。

五十田)対立するのはむしろ関係が出来上がっていないと難しい。
ある程度、元気なもの同士の間では対立が表面化する。
対立できないのは、そこにたどり着いていないのだと思う。
対立するのも比較的元気な参加者が多い。
対立を否定しないことが大事。

横山)親の会の関係は?

五十田)2001年5月講演会の後に残った人たちでの交流が始まり。
その後、毎月定期的に集まり始め、2001年11月に正式に親の会として発足した。
親が来始めると、子どももやがて来始める。
親の会が喫茶コーナーを始めて、当事者が運営するようになったりしている。
カウンセラーのかかわる学習会が親の交流会となっている。
運営なども自分たちで行っている。
いつも全体会をやってから、各対象別に分けて話し合いをする。
対象別分科会に分けるとなると、対象が女性、両親との交流が無い、外出のあるなし、外出する場合は年齢というように分ける。
ひとつの集まりが6人から7人程度。基本的にはお任せ。
運営委員会が司会などで助けたりすることもある。
自分自身はほとんど何もしないが、たまにはカウンセラーの依頼でかかわることもある。
当事者がそこへ参加することもある。

心理学的にみて正しく対応しているかどうかはわからない。
子どもを第一にし、親が安心してその方向に向かうのであればそれでよいのではないかと思っている。

片倉)ペンネームを使っているのは?

五十田)新聞記事などで認められないときには実名を使うこともあるが、もともと編集者なので。
編集者は黒子に徹するべきというと古い考えでしょうか。

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