映画「ぼくが性別『ゼロ』に戻るとき」
映画「ぼくが性別『ゼロ』に戻るとき」
性別変更に揺れた若者の姿 「どんな時も精いっぱい生きた」 映画24日公開
一人の若者が、自分の性別に揺れる姿を追ったドキュメンタリー映画「ぼくが性別『ゼロ』に戻るとき~空と木の実の9年間」が24日に公開された。
主人公はかつて、毎日新聞の連載にも登場した小林空雅(たかまさ)さん(25)。
性別とは人にとってどんな意味を持つのか、そして自分らしさとは何なのか。
出会ってから10年間の日々を映画紹介を交えて振り返る。
【五味香織/統合デジタル取材センター】
◇自分の性別に嫌悪感
2010年5月、大型連休中の午後、東京都心にある小さな飲食店に小林さんはいた。
性別に違和感や悩みを持つ10~20代の若者たちの集いの場。
記者は、性同一性障害など性別を巡って苦しむ人たちに焦点を当てた連載「境界を生きる」の取材で同席させてもらっていた。
小林さんは高校に入学したばかりで、幼さの残るほおと、目を隠すような長い前髪が印象的だった。
学校の自己紹介の時に自分が性同一性障害だと周囲に公表したことを、はにかみつつ、少し誇らしげに語っていた。
小林さんは女の子として育ってきたが、小学生の時、生理やブラジャーの着用といった体の成長や性別に関わる話題が出ると、激しい嫌悪感を覚えた。
中学生になると、制服のスカートを着ることが苦痛だった。自分でも「何が嫌なのか分からなかった」が、やがて学校にも行けなくなった。
ある時、テレビで性同一性障害という言葉を知り、「もし自分が男だったら」と考えると、すべてが納得できた。
母美由起さん(59)は「病院を受診したい」という小林さんを受け入れ、性同一性障害と診断されると、学校に男子用の制服で通えるよう交渉した。
美由起さんには以前から「もしかしたら男の子なんじゃないか」という思いがあった。
小林さんが打ち明けた時も「この子が生きやすいようにしよう」と、迷わず寄り添うことを決めたという。
養護教諭の尽力もあって学校側の理解が得られた。制服を替え、教員用のトイレを使えるようになった。
戸籍名も男性らしく「空雅」に変更した。
◇弁論大会でも公表
性別への違和感について周囲に明かすことは、とても大きな勇気を必要とする。
最も身近な家族にも受け入れてもらえず、つらい思いを抱える人は少なくない。
小林さんは家族や教諭、友人らの理解があったため、家でも学校でも居場所を得ることができた。
数カ月後、川崎市内の定時制高校の弁論大会で、約700人の聴衆を前に名前を明かし、性同一性障害のことを「私の個性」としてスピーチする小林さんの姿があった。
会場いっぱいの拍手を受け、優勝した。
映画を製作した常井美幸さん(54)は、この頃、小林さんを中心に作品を作ろうと考え、訪ねて行ったという。
常井さん自身、何かにつけて「普通」であることをよしとする社会の空気になじめず生きてきた。
「性別という軸を通して、『普通』とは何かを問いかけられるのではないかと思った」と振り返る。
◇映画の結末が変わった
小林さんは高校生の時から男性ホルモンを注射する治療を始めた。
アルバイトでお金をため、戸籍の性別変更が認められる20歳になると、すぐに子宮などを摘出する性別適合手術を受け、法的に男性となった。
映画は当初、小林さんが戸籍の性別を男性に変更し、声優になる夢に向かってスタートするところで終わる構想だった。
しかし、小林さんは新生活を始めてしばらくたつと、男性としての立ち位置にも違和感を覚えるようになったという。
小林さんは「ずっと、性別は男と女しかないと思っていた。自分が女性じゃないなら男性なんだろうと考えた」と言う。
しかし、体を男性的にすることは望んでいなかった。
声優の養成所に入ったものの、役を演じる時などに性別に応じて役が決められるなど、男女が明確に区別されることにも抵抗感があった。
映画は「続き」を撮ることになった。
スクリーンには、78歳で性別変更を決意した音楽家や、性自認を巡って離婚を経験した人、どちらの性別でもない「Xジェンダー」として生きる人などが登場する。
小林さんは、さまざまな人たちと出会う中で、自分のあり方を模索する。そして、ある結論を見いだす。
◇性別という枠組みは果たして必要なのか
小林さんの歩みとともに、映画のストーリーも変わることになった。
常井さんは多くの人を取材する中で「性別はスペクトラム(連続的)なものではないか。性別というカテゴリーをなくしていけないだろうか」と感じるようになったという。
タイトルも「すべての出発点であり、最後に戻るところでもある」という思いを込めて変更した。
小林さんは、自分自身をどんなふうに受け止めているのだろうか。
尋ねると、「中学生ぐらいまでは、自分のことが嫌いだった。
死にたいと思うこともあった」と明かした。
同級生が自然に進路や就職を考える時にも、自分は体への悩みを解決しないと前に進めないと感じ、「理不尽だと思っていた」とも。
しかし、完成した映画を通して自分の歩みを振り返り、「悩んでいた時も、どんな時も、精いっぱい生きていた」と自分をたたえられるようになった。
今は自然体で生きることができているという。「声」を仕事にすることも諦めていない。
映画はナレーションのデビュー作ともなった。
作品の中で、カメラを向ける常井さんは折々に、小林さんへ「今、幸せですか?」「自分のことが好きですか?」と尋ねる。
それまで伏し目がちに答えることが多かった小林さんが、最後にカメラに見せた表情と答えとは――。
映画は約1年前に完成し、各地で自主上映会が開かれてきた。
昨年11月にはNHK・BS1で、短く再編集したドキュメンタリー番組「僕が性別“ゼロ”になった理由」が放送され、反響を呼んだ。
24日から東京・渋谷のアップリンク渋谷で初めての一般公開が始まった。
今後は全国での上映を目指し、自主上映も引き続き受け付ける。
学校教育向けのダイジェスト版もある。詳しくはウェブサイト(https://konomi.work/)に。
〔2020年7/24(金) 毎日新聞〕