体験記・ナガエ・私の物語(2)
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私の物語(2)
著者:ナガエ(女性)
9月1日
だが、8月の下旬、2学期がせまる時期、どんどん不安定になっていった。
腹についていた肉は落ち、腹痛に襲われるようになり、頭痛に悩まされるようになった。
体重が減っていくのに比例して、おばさんの夫とのいさかいについて聞かされるようになった。
そう、彼らは別居しているのだ。
だからこそ私はおばさんと暮らしていた。
この話しを聞かされるようになって以来、私は大人というものに絶望してしまった。
昔、愛し合って結婚した人を激しくののしるのだ。
大人の陰気でいやらしい部分をじわじわとあぶりだしているようだった。
水道の蛇口をひねるように、時がくれば水は止まり渇いて、もう一度蛇口をひねっても水は出ないことはあるのだと思った。
この家庭に私の入るすき間などありはしない。私には帰る家はどこのもないのだろうか。
そうだ、死のう。そうすれば全て終わるじゃないか。
あの母親と同じように、全てをオフにし消してしまう死を私は選びかけた。
“死”というものが希望でしかなく、迷路で何度もぐるぐると何度も同じ横断歩道を渡っているようだった。
学校へ行くくらいなら死んだほうがましだ。
そこまでして学校へ行かなくてはならないのだろうか。
その思いとは全く逆の行きたいという思いとの葛藤で身が二つに割れれそうな気分だった。
ついには食事がのどを通らなくなり栄養失調でふらふらになり、どんどん疲れはてていった。
腹が痛み、生理が遅れていると相談するとおばさんは心配し産婦人科へ私を連れていき、点滴をつけさせた。
ぴりぴりしていたせいか腕にさす針が異様に痛く感じられた。
9月1日。登校日。
おばさんの家から学校まで自転車で登校した。
生徒玄関に着くと、着いたという安堵感、緊張で倒れこんでしまった。
私の顔を知っているクラスの何人かがクスクスと笑っているのが見えた。
私はあわてて立ち上がると、膝についた汚れをふりはらい、ちゃんと足に力をいれ立ち直した。
私が今、地球上を二本の足で重力にさからい立っていることをまざまざと感じさせられた。
ここから、この地球というGのかかっているこの場所から消えてなくなってしまいたい。
誰か今すぐレコーダーの電源をコンセントから引き抜いて、踊ることのできない音楽を止めてほしい。
私などいてもいなくてもどうだっていいのだ。
むしろいないほうが平和でいいのだ。
心臓はどくどくと鼓動をうち、やせこけた腰に身につけたスカートがずり落ちそうになった。
私の居てもいい場所なんてどこにもない。
制服を恐れ、集団を恐れるようになっていく自分を薄れていく意識の片隅で見つめていた。
現実は夢であるのか事実であるのか。
非現実感は私の心も体も奪い、光ではなく暗黙の世界から指の長い手は伸びてきてひきずりおろすのだ。
どこからが自分でどこまでが自分なのか極めて緩味でつかみどころのない。
それは夏の夜のように生温かくうねりをみせる。
他者とも自分とも境界線を置くことで、わが身を守ることができると学んだ瞬間でもあった。
出会い
「崔といいます、よろしく」
ぱっちりとした目をもつ男は、私にそう言うと椅子に座ったまま軽く会釈をした。
清潔感を漂わせ、新鮮な色合いの黄色い半袖の服を着、首から聴診器を下げている。
こちら側から見て右側の胸ポケットのは、何本もペンが窮屈そうにつめられ、ふくらんでいた。
白衣は着ていなかったがわざとらしく営業用の笑みを浮かべ、ぶ厚く大きめの唇を押し上げると、並びのよい白い歯を見せ、にやりとした。
そして顔を前につきだし、私の顔をのぞきこむように見た。
「まるで生気を感じない」
私の両方の頬に手をあてながら医者はこう呟いた。
この医者に罪はないことぐらいわかっていたが、私はいらだちをおさえることができず、皮の靴をこつこつと鳴らし、踵に重心をおくと診察室の地面に足を何度もうちつけた。
“どうして私がこんなところに連れてこられなくちゃいけないの”。
この部屋は診察室。私の目の前にいるのは医者。
つまり、ここは病院である。しかも精神科。
私があの後イカレてしまったか、狂人になってしまったとかそうわけじゃない。
あの後どうなったかというと、自力で保健室へ行き、担任が親に電話をして、迎えに来てもらい、おばさんの助言で精神科に予約をとるはめになったのだ。
病院へは母と二人で行った。
私にはそうとう量のストレスが溜まっていたらしく、医者の述べるように顔色は悪く、腸の調子も良好とは言えない状態だった。
さきほど書いたように初診時私はいつものように自分を創りあげ“いい子”を演じるほどの余裕はなく、医者の質問に不機嫌さまる出しにしてぶっきらぼうに答える以外何も口をきかなかった。
「どこの高校?」
「学校へはいつ頃から行ってないの?」
「どうして学校へ行かなくなったの?」
質問の中心は学校であり、私ではなかった。
マニュアルでもあるのかと思わせるほどいかにも尋ねそうだという質問をたんたんと投げつけてきた。
馬鹿馬鹿しくて丁寧に返事をする気にもなれなかった。
私の反発心は質問事項が一つ増えることに強くなり、なんだか喰ってかかりたいほどの衝動が自分の中で芽生えはじめるのを感じていた。
が、しかしその一か所に凝縮された強い衝動は医者のある一言であとかたもなく消え去った。
そして私を涙ぐませるほどキラキラと輝きを放つものに魔法のようにかえられてしまった。
「よく、がんばってますよ」
それは原稿用紙一行にも充たない言葉だった。
学校へ行けないのはわがままだ、忍耐が足りない、努力が足りない。
親から言われ続け、そして理解しうる存在であるかもしれなかったおばさんからもそう言われるようになっていた。
どうせこの人も同じ。
そう思っていたし、そのうち説教でも始めるに決まっている。
いつ始めるか見ものだと思い待っていたが、拍子ぬけして「よく、がんばってますよ」といったのだ。
いくら強がっていても私は本当はくたくただった。
誰かに理解してもらいたいと思っていた。
忍耐はなくわがままで、誰からも見放されてしまったどうしようもない私をけなすのでなく、なんと誉めたのだ。
私は泣きそうになった。
胸の深い場所で不安というざわめく並木は静まり返り、捨てられた子犬が主人を見つけてしっぽをふり、鼻をキュンキュン鳴らしているみたいだった。
「よく、がんばってますよ」。
意地っ張りな私は医者の前で泣くことはできなかったが、診察室を出ても繰り返しその言葉を思い出し、布団の中で嬉し涙を流した。
「この世にたった一人だとしても私のことを理解してくれる人がいる」
冷たかった体温はあがり、足の裏はぽかぽかして血管を流れる血のめぐりがよくなったような気がした。
やわらかい布団の上で私はすやすやとその日眠りにつくことができた。
夜、うとうとと半眠りの私は夢を見た。それがもう一人の自分との出会いだった。
初めて出会ったその日、私はその人物が自分だなんて気づくことができなかった。
名前を聞くことはできなかったけれど眼鏡をかけたその女の子はどこか知的なムードをもっていることは覚えていた。
その少女は私の耳元に近づいてくると“フゥー”と低く息をはくと、とげとげしい声でささやいた。
「何をうっとりしてんのよ。あんなの策略に決まってるじゃない。あの医者は理解してるだなんて思ってるわけ? まったく脳足りんだから。
あれはそういう商売なの。全部マニュアルがあるんだから。あんた、だまされてるだけよ」
そう言い放つとその少女は姿を消した。
夢は、心理学でさまざまな解釈の仕方がされているようだが、私が手近によく知っているのは“夢は抑圧された願望”である。
私が自分の頭脳を総動員してこの夢を私なりに解釈すれば、感情と呼ばれる部分の何割かは“嬉しさ”が先立って感じられるが真の部分では、裏切られることに足踏みをし、信じることを恐れているということになるのだろうか。
その少女の送ってきたメッセージ。
あの少女の運んできたシグナル。
その堅い言葉の影にどんな意味があるというの?
あの子にもう一度会いたい。
浅くなり現実へと近づいてきた夢を終わらせたくなくて、体中の筋肉をさらにゆるめ眠りに身を任せた。
しかし、あの少女には会うことができず、深い眠りにつき完全に熟睡してしまった。
夢の時間
おばさんの家ではなく、私は自分の家へ帰ってきた。
家を出てから約1か月半が経過していた。
そして昨晩のように自分の部屋のあたたかい布団で安眠した。
帰宅してからの数日間は白く霧がかかって見え、なだらかな夢を生きているようだった。
一日中ごろごろとし、ずっとあたたかい布団の中にいた。
食事はとらず、風呂に時間をかけゆっくりと入った。
昼間眠り、夜目覚め活動し、昼夜逆転の生活を送った。
昼間眠くなるのはなぜなのかわからなかったし、起きている時間より眠っている時間の方が長かったが、先のことも何も考えず頭を働かせることもなく、ぐーぐー眠りというものを何十時間もかけて鍛錬していった。
ひょっとしてではあるが、昼間眠くなるのは無意識の自己防衛で“この年頃の子たちはみんな学校へ行っている”“学校へは行かなくてはならないものだ”というそれらの思いから、学校という地獄の住家から私は逃れるために、眠りをうながしていたのだろうか。
人目をさけ、家族とさえ接触することを拒み、ろくに食事さえとろうとしない私だったが夜分、2人分の食事をこしらえた。
私の分はない、親の分、私を除外した家族二人の朝食。
できる限り豪華な食事を作った。
“食”というものに執着し、和、洋、中の料理。そしてデザート。
美術品を創りだすように私は完璧をめざした。
まるで、それ以外には何もすべきことがないかのように熱中した。
have toではなくmustである。
小皿の味見するため少量のおかずはとってなめたが、絶対にできあがったものには手をつけなかった。
できが完璧であればあるほど、次はどんな材料で、どんなできばえに仕上がるのか、私を刺激した。
こんな現実とズレた時間を生きてきたが、私はとても幸福感に充たされていた。
こういう生活は身体によくないであろう。
一般的にいう“不規則”な生活なので戻さなくではいけないと理性では思っているが、あのような生活をしてみたいとまた少し思っている。
食事をまともにしなかったわけだから、やせてがりがりになった。
4週間もの間私は“食する”という哺乳類に不可欠なことを放棄し拒み続けた。
身長159センチで56キロあった体重は43キロほどに激減した。
病院へは点滴を受けるために通院し、「入院するかね?」と医者にすすめられるようになった。
なぜ食を拒む必要があったのか。
やせようという気があったのか。
細いボディをイメージしていたというのか。
自分のことなのに私にはどうしてもわからなかった。
わからないながら私は食を拒み、やせ続けた。
「やせようという気持ちはなかった?」。
医者はその言葉を最後のカウンセリングまでのみ込んで尋ねなかったが、それが聞きたくてひっぱっているようだった。
自慢になることではないが、だいたい相手の言いたいことがすっと心に届いてくることがある。
先回りしてそれに答えることは危険なことだと思っているし、相手だって嫌がるかもしれない。
それに違っていたらなんだか恥ずかしいではないか。
だから私は相手が相手の心の内で私に何か訴えてきたとしても、声に出して言うまではあえてにぶい鈍感な奴になり知らぬふりをする。
しかし私はこの医者に対して腹を立てた。
精神科医という職をしているのに、読まれていることに気づかないなんて。
そう思うのは“精神科医”に対する期待と憧れ、それから理想の裏返しなのだろうか。
それとも私の“知らぬふりは”天才的に上手い、せまりくるような名演技だった、とでもいうのだろうか。
夢の時間を生きていた私だったが、いい夢ばかりは見ていられなかった。
軽やかな踊りのステップはバランスを崩し、クラシカルミュージックのカセットテープ、ベートーベンの「運命」に入れ換えられ、私が押そうなどと思っていないのに黒い影がやってきて強引にスイッチを押した。
その黒い影は今でもなおときどき姿をあらわし私を苦しめる。
やせ細った私を目に、父は「がりがりだと男にもてない」そう言ったのだ。
そして安心しきって眠っている私の寝巻の下に調べるように手を入れてきた。
初めのうちは何があったのか、何をされているのかわからなかった。
探るように腹の肉を手でつまみ、腰を撫でると骨に触れた。
その後ブラジャーの後ろの方をぐいと引っ張ると手を放し、バチンと音を立てさせた。
私は、事実と直面することがとてつもなく厄介な壁に感じられ、歯を喰いしばって眠っていることを装った。
もし私が起きていると知っていたとしても、同じことをしただろうか。
どちらにしても私には辛く受けとめにくい事実として“ザンガイ”のごとく私の中に身をとどめている。
父のセリフ。私が16年間生きてきて初めて目にした裏にある、夜の顔だった。
そこにいるのは“父”ではなかった。
大人の顔をした一人の男がいた。
「がりがりだとやはり触り心地が悪い」
ぼそりというと父はその場から立ちのき、部屋を出ていった。
自分というものにブラックホールのようにどこまで行っても闇の世界があり、ぽっかりと穴が開いてそこからとめどなく悪臭がたちこめているようだった。
明け方、静まり返った家の中で私は包丁を手に持っていた。
あの出来事があってからは食事を作るのはやめ、何の意欲も気力も失ってしまった。
風呂へ入ることも大儀になり、食事を拒むほどの闘志は消えうせ、出されたものは全て食べるようになった。
では、食事を作るわけでもないのに、なぜそんなぶっそうなものを手に持っていたかといえば、それは父にささやかな抵抗を示すためだった。
“家族”は集まり、親睦を深めるためにあるキッチンで、私は切り裂くためにその場に立っていた。
左腕まで服の袖を折ると、右の手でしっかりと包丁を握った。
普段と同じ包丁。それなのにいつもより重い別の包丁のように感じられた。
「殺そう」
甘美な誘惑。私はあの少女が耳の近くに立ち、そうささやくのを聞いた。
夢の中で出会った少女。禁じられた言葉をつむぎだす清らかな声。
「殺す? 父さんを。この私が?」
もう一度出会いたいと望んだ少女との2回目の出会いは、少女は鋭く、そして甘い滑らかな言葉を用意して待っていた。
あの少女は私のことをずっと見ていたのだろうか。
夢の中でだけでなく、この厳しい現実という舞台を。
「殺そう」。確かに少女は言った。
私に誘いかける彼女の声は、とても美しく聞こえた。
「殺して、どうなるの?」
そんなことをしたら、現実に警察に逮捕されてしまうことぐらいはわかっていた。
尊敬すべき父。
私を育ててくれた父。
汗を流し働いてくれている父。
本当は感謝しなければならないのに、その父を憎悪の対象にし殺そうとさえしている自分。
“一番悪いのは誰? あの少女?やっぱり父? それとも私?”
少女でもない、父でもない、悪いのは私。
あの時、あの場所で眠っていた私がいけなかった。
父へ向かって流れていた怒りの濁流は私の方へと向きをかえ、一気におしよせてきた。
肌から透けて見える緑色の血管をよけ、包丁の刃の部分を、おそるおそる手首においた。
そして、包丁を握りしめている手にさらに力をこめると皮膚に、赤い線の傷跡が残るくらいに何条か浅く切った。
“これは証拠。”こういうことがあったという私の記念。
父に対してすきをつくってしまった自分を、本能に操られてしまった父を、“罰するための作業”。
手首に残った傷跡は、水につけると初めのうちは、声がでるかと思うほどしみ痛んだが、そのうちかゆくなり、赤かった線は白く変色した。
手首に傷をつけた私だったが、とても悲惨な状況であるにもかかわらず、死のうという気は起こさなかった。
赤くしみ出てくる血と“痛み”が私にかろうじて生きているという感覚をもたらしてくれた。
私はいつ死んでしまったのだろう。
どうすれば、生き返ることができるのだろう。
生きながら死んでいる自分自身は何のために呼吸をし、誰のために生きようとしているのか。
死ぬ気を起こさなかったのではなく、すでに息絶えた死体なのだろうか。
私は自分の身を削り、生きていることを証明したのだ。
自分と父を罰するために切られた身は、“生きる”ことについて多くの謎をふりかざしてくる。
答えの出ない質問を前に私は足をばたつかせ、ペンを持ち、たじろいでいた。
いつの間にか、あの少女は姿を消していた。
知らない間に現われて、すぐいなくなってしまう。
あいさつもできないし、名前も聞けない。
自分は夢でも見ていたのだろうか。
あの少女とは夢の中でしか会えないと思っていたけれど現実に存在している人物なのかもしれない。
自分で考えていて驚いたけれど、そんなふざけた話があるだろうか。
あの子は誰?
それがわかれば私の抱えている疑問はなんだかさっぱり解決しそうな気がした。
彼女と会って話しがしたい。そう思った。
(つづく)
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