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ひきこもり支援によせて

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ひきこもり支援によせて

会報『ひきこもり居場所だより』(2021年5月号・6月号)に掲載

(1)支援が就労に偏っているという意見
ひきこもりの支援が就労に向かっている、そういう方向の支援しかない、という感想をよく聞きます。
特に10年ほど前まではそうであったし、現在もまた中心になっていると思います。
自分にとっては仕事に就く前に必要なことがあり、それを身につけなくてはならない、それがこの就労中心の支援方法への疑問になっているのです。
就労中心の支援は仕事に就くための技術取得とか、社会的なマナー、履歴書の書き方…などです。
それはひきこもりをよくわからなかった時期に、いわば机上で作られたプログラム、頭に描いたひきこもり像に沿った訓練計画から始まったように思えます。
このところその種のものがやや影を潜めてきたのは、それではひきこもり支援が功をなさない結果を重ねたと推測しています。
障害者支援の方法(これは傍目から見た感想にすぎませんが)では、そういう計画はより有効であるかもしれませんが、ひきこもり支援としては無理があると思います。
それでもそういう取り組みを続ける中で、行政部門も含めて社会はひきこもりの実像をだんだんと理解してきたと思うわけです。
ひきこもり支援に就労が含まれるのは否定できませんが、それが中心ではないし、それ以外の部分にもっと目を向ける必要があり、条件もできつつあると考えています。
私の経験からもそれをたどれると思います。

(2)人材養成バンク
相談のために設立したのが不登校情報センターですが、すぐに当事者が周りに集まり始めました。
相談や交流につぐ対応方法として考えたのは人材養成バンクというものです。
1997年ころから2年ぐらいの短期間の試みでした。
私もまたひきこもりから抜け出して向かう先は就労を考えていました。
人材養成バンクとは世に人材バンクというものがあり、就労の手前の取り組みです。
受け入れてみようという働き先を紹介する目論見でした。
いくつかの事業者にお願いするなどして準備しました。
申し込んだ人も数十人になりましたが、ほとんど成果なく幕を閉じました。
参加の申し込みは十代と二十代前半での人で、しかも申し込みの多くは親でした。
当事者の働こう意識よりも親のほうで出口を探していたわけです。
うまくいくわけはないです。
この結果を受けて私の意識は、ひきこもり支援の方向は就労から幅を広げて社会参加に変わりました。
ときには「社会の一員として生きる」方向と言ったこともあります。

(3)ひきこもり当事者が望む方
2001年になりある特別の事情から居場所が固定し、定着しました。
この事情は長くなるので後回しにして先にどうしたかを紹介します。
通所を繰り返す人を対象にアンケート調査をしたのです。
ひきこもりから社会参加の方向といっても、それが就業に限らないとなるとアンケート項目自体が難しくなります。
就職以外に、自営業・自由業などを意識して加えました。 調査は2001年から03年にかけて行いました。
回答者を得たのは男性41名、女性30名、合計71名です。
年齢は18歳から30代以上ですが中間年齢は20代半ばになります。
今日のひきこもり問題が8050問題と言われるのとは違います。
今の対象者とは平均的に20年歳下であり、それも20年前の状況です。
詳しくは「引きこもりの人が望む将来生活の姿」としてサイトに掲載しています。
将来生活の姿として13項目を示し、それぞれについて希望を4つから選ぶという選択式です。
選択する4つとは①まったく望まない、②どちらかといえば望まない、③どちらかといえば望む、④とても望む、の4つから選ぶのです。
ここでは④とても望む(左側数字)、③どちらかといえば望む(右側数字)、の2つとその合計、全体71名に占め比率を( )内の%として紹介します。
Ⅰグループ;
自由業型芸術家 ⇒15,15の計30名(42%)
自営業      ⇒ 6,18の計24名(34%)
SOHO       ⇒17,19の計36名(51%)
Ⅱグループ:
アルバイト ⇒16,31の計47名(66%)
就職する     ⇒32,21の計53名(75%)
農林畜産業     ⇒ 9,16の計25名(35%)
Ⅲグループ:
非拘束型の学生  ⇒ 9,17の計26名(37%)
ボランティア    ⇒ 4,29の計33名(46%)
宗教家        ⇒ 1、 3の計4名(6%)
家事手伝、主婦・主夫⇒7、8の計15名(21%)
Ⅳグループ:
生活保護      ⇒ 10,11の計21名(30%)
引きこもり     ⇒  4、7の計11名(15%)
病 人        ⇒  1, 4の計 5名(7%)

結果にはいくぶんは男女差・年齢差もありますが省きます。
全体として75%が就職を望んでいます。
とはいってもそこに向けて一直線に進もうとしている人はほとんどいません。
同時にアルバイト66%、SOHOも50%を超えます。
働く方向を考えてはいるけれども不安があり、就職とは別の方式も探している様子が見て取れます。
彼ら彼女らが居場所に来ているのは下準備の時期であり、まだ方向性を確定しづらい人が少なからずいたことがこの数値に表れています。
もちろんこれは1つの根拠ではありますが絶対視できるものではありません。
少し遅れて厚生労働省から若者自立塾の取り組みが始まりましたが、私は自分で経験していないことはよくわからない人間なので意に介しませんでした。
数年後にそれが取りやめられても不思議とは思いませんでした。

(4)特定の方法は何もない(出たとこ勝負)も1つのプログラム
不登校情報センターはひきこもりにどのような取り組み、関わり方をしてきたのかは上のアンケート調査を背景にしているは間違いないでしょう。
それらを今の時点で振り返ってみます。
一言でいえば特定の訓練計画、プログラムのないものです。
参加する各自が自分で探していくものです。
私が望んでいることは各自が自分を表現することです。
きわめて広い意味での意思表示です。
そういう事情もあったので、不登校情報センターの中で何かの役割をもつことになった人がアルバイトなどで働き始めたら、それを最優先するように伝えてきました。
こういう状態を自虐的に、行き当たりばったりとか、出たとこ勝負、と称していたわけです。
実際に通所する人や相談に来る人には、自分で何らかの働き先を見つける人は少なからずいました。
男性では清掃、倉庫業務、介護が、女性では接客業や介護が多かったと思いますが、全体はわかりません。
この特別の訓練計画やプログラムのないひきこもり対応策もまた1つのプログラムと認めていたわけです。
どのような訓練計画やプログラムであっても人によっては向き・不向きがあるものです。
特定のプログラムがないのもまたプログラムの1つになるのもまた同じです。
それはかなり大変なやり方だったと思いますが、そうであることによって知りえたこと・学んだことも少なからずあります。
最大の特色は、ひきこもり当事者の状態や意見をよく聞く、よく見ることにならざるを得なかった点です。
訓練計画やプログラムに沿ってその人を見ること(ときには評価し判断すること)ができないからです。
そのなかで創作的活動の方向に私の注目が向いたように思います。
ひきこもりの就業訓練として創作を目指すところは(私の知るかぎりはこれまで)できていないはずです。
個人として関心を持ち自分で進んでいくのが創作的な方向です。
創作活動は私の関心と波長が合っていたからです。
波長が合っていたから勧めたのであって、それが多くの人に共通する方向かどうかは別問題です。
創作として編集教室を開いたことがあります。
これには1人参加したのですが長続きはしませんでした。
それ以外にイラストを描いている、文章を書いているといって見せに来た人が少なからずいました。
会報等に載せる材料になり創作展を開きましたが、どこかに紹介して職業にしていくわけにはいかなかったのです。

(5)松田武己の4つの心構え
このへんで居場所が固定化できた特別の事情を説明すべきところですが、予定ページがつきそうなので、それは次回にします。
それに代わり日常的にかかわるときの私の心構え、ときには対応基準、判断材料になったこと書いて今回の終わりとします。
今回の『ひきこもり国語辞典』に加えようをしたのですが、最終的に外したものです。
○「ピンチはチャンスになりうる」―ひきこもり当事者のいろいろな訴えに対して、答えることや対応が難しいものもありました。
そういう時にはこのスタンスで臨みました。
ある人の生活条件が逼迫しついに生活保護申請をしました。
そのときその人は「人生ゲームオーバー」を口にしました。
私が意識したのが 「ピンチはチャンスになりうる」です。
このときをきっかけにその人は生活的には落ち着いた状態ができました。
○「あれ賢者ならず、かれ愚者ならず、されば凡夫のみ」―ある人が自分で自分を自虐的に貶める表現をしました。
私の頭に浮かんだのは聖徳太子が語ったということばを援用したこのことばです。
人には確かに優れている面が多いと思える人もいる、そうではないと感じることもあるでしょう。
けれども総合的にみるならみんなそう変わらないよ、というほどの意味です。
○「職業に貴賤なし。ただ心ゆたかなものと心まずしきものがいるのみ」―後段はA.リンカーンのことばといいます。
若いころからの私の信条です。
○「犯罪と自殺以外は容認の範囲」―不登校情報センターを運営する中で設けた限界線がこれです。
家族内で自分しか働ける者はいない人が「ソープランドの受付をするけれどもどう思いますか」と問われたとき、この基準が支えになったと思います。
積極的には推奨しないけれども、人にはそれぞれ事情があり避けられないこともあるのです。どこまで容認できるかの限界線です。 
(続きます) 

(6)第一高等学院新小岩校の跡施設
不登校情報センターの居場所が固定化できた特別の事情を話します。
2001年春にかねてから付き合いのある大検予備校(高卒認定予備校)の第一高等学院から連絡がありました。
葛飾区の新小岩校を閉校したので使わないかというのです。
第一高等学院の建物無償提供により恒常的な居場所ができました(新聞参照)。
教室に使える場所を含む1・2階に7部屋あります。
別に倉庫部分があり、大きなスペースで片付ければ100人が入れます。
2001年6月にここに引っ越しました。
机といす、中古のパソコンが数台、本棚、卓球台、コピー機、電話などがほとんど居抜き状態です。
これにより場所が固定し、当事者は毎日通所が可能になりました。
初めはどう使いこなせるのかが課題でした。プログラムではなく場所づくりに頭を使いました。
別の学校に頼んで中古パソコン10台以上の提供を受け、社会貢献を掲げるリコーに頼んで印刷機をもらいました。
こうして設備条件がさらにそろってきました。
1階の大きなスペースはあゆみ書店という名前にして寄贈された本や学校案内パンフなどを並べます。
当事者の有志が書店員として交代でいる形です。
しばらくして喫茶店「喫茶いいな」として、数人が交代で担当することになりました。
書店も喫茶店もほとんど名目だけですが、ここにはいつも1人はいる状態です。
関心を持つカウンセラーさんが応援に来て相談を受け、教室を開きました。
カウンセラーさんが数人になったころ私も混ざって学習会を開きました。
当時のテーマは境界性パーソナリティ障害でした。
当事者のなかにも動きがありました。サークル的なものが出来ました。
有料でパソコン教室を開く人がいました。30歳前後の会というグループが定期的に話し合いを重ねていました。
通所する当事者のうち関心を持つ人が参加する形ですから、参加者が多いわけではありません。
多くの取り組みは数か月から1年ほどで立ち消えていましたが2つのものが継続しました。
参加した当事者や応援しようとする人が集まり、自然発生的な居場所、時間を過ごす生活の場、誰かと出会えそうな場が生まれたわけです。
その30歳前後の会の人がある日、10名ほどで私のところに来ました。
「不登校情報センターを働ける場所にしてほしい」というのです。
これがきっかけで小遣い程度の収入になるポスティングや学校案内書のDM発送作業が始まりました。
継続したもう1つはある事業者から「不登校情報センターのホームページをチャンとしたものにしてほしい」と申し入れです。
パソコンを使っている数人に話して、不登校などに取り組む学校など事業者を紹介するサイト制作に取り組み始めたのです。
このようなわけで、第一高等学院旧校舎の無償提供を受けていた時期に、ひきこもり当事者が集まる居場所が、これという計画のないまま始まり継続しました。

(7)居場所づくりと運営が中心になる
特別の訓練計画やプログラムのない状況の場所に、ひきこもりの経験者が集まってくるようになったのはこの固定的なスペースができたおかげです。
カウンセラーさんが心理療法の学習会を開き、親の会に参加していた一人が太極拳講習をしていました。
各種保険の説明教室を開いた人もいました。メイク教室もありました。
近隣地域での家事手伝いの支援をしよう、パソコン修理に出かけることもありました。
居場所内でパソコン教室を開いた人もいます。
食事会も開かれ、スケートサークルもできました。
地域情報誌『ぱど』のポスティングを続けたこともあります。
長く続いた居場所の取り組みの中に生まれたこれらには数名が参加しました。
それらは居場所の取り組みに相談や当事者同士の交流とは異なる色合いを持たせたのです。
『ひきこもり国語辞典』に紹介した数々の言動やエピソードは相談活動よりも、このような生活活動や状態に見られたことが多くあります。
それらは参加した当事者に何らかの意味を持ったと思いますが、それらを総括するのは難しいです。
今いえるのはそれらの各自の経験が就業や社会生活を送るのに先立って必要であったことです。
これまで不足していた対人的な関係、人と一緒にいることで求められる対応力をプログラムによらず、人との関わりの中で経験を重ねたのです。
ゼロからスタートして就業や社会参加に向かうのではなく、マイナス領域からスタート時点であるゼロに向かう動きです。
心理カウンセリング的な自分の体験したことの訴えを繰り返すこともこの中に含まれると思います。
いろいろな取り組みの中で今も継続している遺産は不登校情報センターのサイトとそこでできた各人それぞれの人間関係です。
これにもいくらかの経過がありますがその説明はやめましょう。サイトの作成はスタートから16年を超え、現在は2万ページ以上の巨大サイトです。
ラビリンス(迷宮)とやゆされ、わかりづらい無駄にでかいものです。この制作作業は継続しています。
居場所にこのような継続的な作業があるのは悪くはないですが、これは私の経験による特別のものですから、普通とは言えません。
ただし、ひきこもり当事者が集まり、交流していく場が必要である点は共通項でしょう。
それがなくてはその先の社会参加とか就労というのは、空論になってしまうのです。

(8)相談受付や講演会開催から始まることが多い
ここからは私の経験を離れます。
8050問題と扱われるひきこもりへの対応を社会がどう取り組むのかの状況を考えます。
これは医療やカウンセラーの対応を超えます。保健所や医療機関に限定できないです。
福祉分野に広がっていますが、そこを超える問題になります。
それぞれの場所での取り組みの重要性を否定するのではありません。
取り組んでいくと見えてくる必要条件です。
そう考えて私は少し前から日本の社会経済構造、特に歴史的な変化との関係で考えてきました。
まだまとまったものではありませんが、次号ではその下書き部分を紹介するつもりです。
今回は近年の特徴的な点を紹介しておきましょう。
2019年に世間の注目を集める事件がありました。
元高級官僚の家族内での殺人事件です。類似の事件はこれまでもありましたが、ここまでは注目をされませんでした。
この状況は特に自治体レベルでのひきこもり対応を強めたように見えます。
2016年の生活困窮者支援法にひきこもりが対象とされて以来準備してきた自治体の対応策が徐々に明示し始めた時期と重なったのかもしれません。
それまでは保健所での精神障害者への対応を広げる形のものが多くありました。
保健所の加えて、福祉部局、社会福祉協議会なども、ひきこもりを対象と銘打って相談窓口をつくり、ひきこもりをテーマとする講演会を開くところが広がりました。
自治体が呼びかけて家族会を始め、すでにできている家族会を自治体が応援するところも生まれました。
自治体のいろいろなセクションでひきこもりや周辺事情の相談を受けるようになっているところが多くなっているのが現状です。
例えば生活保護の相談、就労相談、子どもの不登校や学校中退、家族間や近隣のトラブル、子育て相談、その延長からひきこもり問題にかかわる傾向が見られます。
他方では相談窓口では相談以外の対応策がなく、これらのセクションのたらいまわし傾向もあると思えます。
そういう停滞を伴いながらも、各地の自治体がひきこもりに政策的にかかわり始めたのが現在の状況でしょう。
すぐにこれという効果も期待できません。
こういう状態はしばらく続くと思いますが、いずれ次の段階に進んでいくものでしょう。
特徴的な動きを2つ紹介します。1つはひきこもりに積極的に取り組む5つの市が「全国ひきこもり支援基礎自治体サミット」をつくりました。
もう1つは三重県の県議会にひきこもり問題に取り組む超党派のグループができました。
この2つがどう展開するかは予測できませんが、自治体の地方議員にも相当の関心を寄せる人が表れている証拠と考えます。
私が注目しているのは、私の住む東京都江戸川区です。2021年度に「みんなの就労センター」という法人をつくり対応します。
全国に広がっているシルバー人材センター(高齢者の短期就労支援組織)に習うひきこもり支援対応組織です。
江戸川区はシルバー人材センターの発祥の地であり、それに次ぐ新方式を考えていると思います。
このみんなの就労センターの内容はこれからつけられていくもので必ずしも成功を予定されているわけではありません。
問題の1つはひきこもり当事者と家族の参加をどのように得られるかでしょう。
自治体の各セクションがそれぞれ対応してきたことを集約し、地域の事業者の協力を呼びかけることが期待されています。
私は可能な関与を考えているところです。 
             

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