おしゃっち食堂
おしゃっち食堂
所在地 | 岩手県大槌町 |
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子ども食堂で恩返し 祖父母失い不登校 家族に支えられた17歳
子ども食堂「おしゃっち食堂」で町内の子どもたちにお弁当を手渡す中村有沙さん(左)=岩手県大槌町末広町で
東日本大震災の発生から、11日で10年になる。
あの日、傷付いた人たちは、家族や友人、地域に支えられながら、少しずつ歩みを進めてきた。
東日本大震災で祖父母を失ったショックから小学校に通えなくなった自分を、家族が支えてくれた。
10年たち、高校生になった岩手県大槌町の中村有沙さん(17)は現在、町内の子ども食堂の運営に携わる。
「支えてもらった家族や古里に恩返ししたい」と誓っている。
中村さんは震災前、大槌湾に面した同町木枕(こまくら)で、祖父母と両親、3人のきょうだいの8人暮らしだった。
震災の日、大槌小の1年生だった中村さんは、学校から高台の公民館に避難した。
だが、祖父の幸男さん(当時78歳)と祖母のてるさん(同79歳)は避難の途中で「仏さま、取ってくっから」と自宅に戻ったところを津波にのまれた。
一緒に流された当時中学2年の姉、彩乃さん(24)は畳につかまって助かった。
運送業を営む父の邦彦さん(55)は仕事中に地震に遭い、防潮堤の門扉を閉めて回った。
山中でたき火をしながら夜明けを待ち、翌朝集落に戻ると、山側の2軒を残して100戸が流されていた。
駆け寄り、2人の死を伝える彩乃さんを、泣き顔を見られないように「あっちさ行ってろ」と遠ざけた。
「2人が助けてくれたんだな」と返すのが精いっぱいだった。
272人の木枕集落では42人が犠牲になる。町内でも最大規模の被害だった。
幼かった中村さんにとって、てるさんは登校時にイカげそを焼いて手渡してくれる愛嬌(あいきょう)のある祖母だった。
祖父の幸男さんは竹とんぼ作りが上手で、通学路の交通安全指導員もしてくれた。
そんな祖父母を同時に失った。
仮設住宅で6人での暮らしが始まると、中村さんは小学校の迎えのスクールバスに乗れなくなった。
母の千枝子さん(53)は「大好きな祖父母を亡くし、間借り校舎になって……。
環境の激変に心がついていけなくなった」と振り返る。
だが、同じ仮設校舎に通う彩乃さんや兄の圭佑さん(21)が手をつないでバスまで一緒に向かうなど、寄り添ってくれた。3カ月ほどたつと、中村さんに笑顔が戻った。
大槌高に入学後、町内の子ども食堂「おしゃっち食堂」を手伝い始めた。
震災後、ショックや環境の変化などで、自分のように学校に行かれなくなったり、保健室登校になってしまったりする子どもたちを見てきた。
「笑顔になれる居場所を広めたい」と安い値段でおなかいっぱい食べられる、子ども食堂のことを知らせるチラシを作った。
これまでの倍の40人ほどが毎回来てくれるようになった。
献立を考えたり配膳の手伝いをしたりと奮闘している中村さん。
来春の高校卒業後は、アロマオイルを使ったマッサージ師を目指して専門学校に進むつもりだ。
「食堂で学んだ人と人のつながりを、これからも大切にしたい」。
11年目を迎える被災地でそう決意している。
〔2021年3/11(木) 毎日新聞【中尾卓英】〕