「普通」って難しいの?
「普通」って難しいの?
(会報「ひきこもり居場所だより」2023年7月号)
以前ある方と話していて、その方が「普通ってむずかしいですよね」としみじみとおっしゃったことがありました。
自分の子どもが変わっていて、「普通でない」。人と同じことができない。そんなもどかしさを感じての言葉だったのでしょうか。
その時は「そうですよね」と流していたのですが、実はその後ずっと心に引っかかっています。
「普通?」
このことばは「平均的・一般的とか一般に・・・とか」世間で大多数がそれこそ「ふつうに」やっていること、大多数が違和感なく当たり前と思っていることを指している言葉なのでしょうか。
災害の多い島国でありムラ社会であった日本では、「調和が重視され」、「はみ出さず」、「あまり目立たず」、「人と同じ」、「普通!」であることに意味があったのでしょうね。
それでもよくよく考えてみると「普通」は、あまりに抽象的すぎて多様で、何を指しているか、いま一つはっきりしませんよね。
その中に何か発信する側の「私の思う『普通』にあわせろ」という意図があるような気がするのは考えすぎでしょうか。
そう考えるとなんだか高圧的な表現にも思えてきます。なんだか「普通」って息苦しくないですか?
そんな状態に息苦しさを感じたり、人と一緒じゃない自分を押し殺して適応することは苦しいですよね。
そんな「ふつう!」から『敢えて下りた』 「不登校」や「ひきこもり」と呼ばれている人たちもかなりいるのではないでしょうか?
見方を変えると今の社会に適応できないのではなく、あえてそんな「ふつう」にNO!を提示した人たちであるのかもしれませんよね。彼らは。
少なくとも周囲の人間は「ふつう!」のカテゴリーに当てはめようと考えないでほしいものです。
自分にとっての「ふつう」。人と違う「ふつう」を認めてあげてほしいと感じます。
そんなことを考えていたら、NHKのEテレで2分のアニメ番組で「ふつうって何だろう」https://www.nhk.or.jp/school/tokushi/ui/origin/anime/ に行き当たりました。
周りの人と違う、そんな「どうにもならないふつう」を抱える人たちが、自らの声で語る2分のアニメシリーズです。
例えば・・・人気落語家の柳家花緑さんは小さいころから字を読むのが苦手。通信簿はほとんど1か2だったそうです。
それでも落語は師匠から口伝えで教えられるもの。その出会いが文字の読みにくい彼の人生を変えて今に至っている。
そんな、世の中の「普通」ではない自分の「普通」を8人が自分の経験を語ってくれています。視聴してみてください。