「不運が転じた僥倖型ハプニング」を紹介します
「不運が転じた僥倖型ハプニング」を紹介します
ご夫婦で一緒に外出し、途中で別れてご主人一人が帰宅することになりました。
さて自宅にたどり着いたところで鍵を持っていないと気づきました。
自宅の2階にはしばらく顔を見ていない20代がいます。
やむなくその子に携帯で連絡をして鍵を開けてほしいと頼みました。
数か月、いや1年以上途切れている話しかけです(会話ともいえません)。
しばらくして玄関のドアが開き、しばらくぶりに子どもの顔を見ました。ほんの一瞬のことです。
これからのことはわかりませんが、ちょっとした出来事としてお聞きしました。
私はこれをハプニング型、もう少し分析的に言うと「不運が転じた僥倖型ハプニング」と考えます。
このタイプの別の例を挙げましょう。
(1)家業が倒産してこれからどうしようという状態になりました。
しばらくしたら20代のひきこもり中の息子が仕事探しを始めたらしく、いくつかの会社から郵便物が届くようになりました。
そのあと息子が懸命に坂道を自転車をこいで上っている姿を見ました。
「この子も自分なりにがんばっている」という思いで涙が止まらず、その場から動けなくなった。
ーこれは母親から聞いたことです。
(2)自宅近くで、交通事故が発生しました。ちょうど2階の自室からこの事故の様子を見ていたひきこもりの男性がいます。
深く考えずに事故現場に行ったところ、現場検証に来た警察官に事故の様子を聞かれ、詳しく話しました。
久しぶりに人と話をする機会になり、それが自分が外出し、ひきこもりから抜け出る転換点になりました。
これは30代になった本人から聞いたことです。
(3)部屋で休んでいたら近所で火事が発生したようです。
外は怖いと思っていたのですがそのときは夢中で(たぶん自分に関心は集まらないという予感もして)、近所の火事の様子を見に行きました。
久しぶりの外出でしたが、気になったのは自分の外出用の靴が玄関になかったことです。
「全然外出していないので靴も片づけられていたか」というのが感想でした。
これも母親から聞いたことですが、親のほうも靴の話からこの事情を話してくれました。
こちらはこの外出以外の展開にはならなかったようです。
阪神淡路震災や東日本大震災の時の、ひきこもりの外出や行動もこれと類する例になると思います。
そういう大きなことではなくても日常的なことはときどき発生しているのです。
このタイプは不運や不幸に起因しているので、意図的な取り組みにはしづらいことです。
まずい事態の時には事態を転換するチャンスが隠れているかもしれません。そう考えて対処方法を考えましょう。
ひきこもっている子どもとの接点を意図的につくる取り組み方法もあります。
粘りと工夫とユーモアが必要と思いますが、次にそれも紹介します。