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Center:生活保護や社会福祉の活用

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生活保護や社会福祉の活用

〔2010年07月26日〕

(3)生活保護や社会福祉を活用する点について
Tさんは、生活保護を受けるのに反対なのですか。
そうはいっていないはずです。
私は「無造作に生活保護に向かう」ことには否定的です。
国民は最低限度の文化的生活を営む憲法上の権利があり、生活保護はそれに基づく制度です。
ですから他に生活手段がないときは、家族・親戚等の状態に関わらず(物理的・心理的な抑圧感なく)
生活保護の受給を求めていいし、私も受給を勧めます。
しかし、場合によっては否定的に思うこともあります。
各人の能力の発揮を鈍らせ、倫理的崩壊(モラルハザード)を招くことがあるからです。

生活保護を受けた後も、心身の状態をよく評価したうえで、本人の可能な取り組みを奨励する要素を組み込んで欲しいと考えます。
「無造作な生活保護に向かう」という表現が適当か否かはさらに検討すべきものですが、
当事者の残念感を認め、リカバーする仕組みは欲しいと思います。

Tさんによる生活保護打ち切りの描写は、事態を漫画的に表現しています。
そんな事態はありえないとはいいませんが、これではすべて受身、「のほほん」の言いなり人間です。
その対極にいるはずなのに、それを推進する立場の人と同じ言動になります。
極端な精神世界にいると、自分が否定していたものに、逆面から近づき同調することがあります。
それを感じます。

むしろ、生活保護、障害年金を含む社会福祉制度について、肯定的、積極的に関心をもつように願います。
受身の“否定感ばっかり”では、できることもできなくしてしまいます。
ここでも(1)で述べたTさんの幼児感覚(依存=して欲しい、攻撃=なぜしてくれない、の両極になりやすい心情)からの成長(自立=自分は~をする)、
私の対処方法では対人関係による修行が先行するとに思います。

最後に、「世間の人の同情、自己責任、アルバイト(仕事)をしたことがない」というコメントのなかの言葉、
それらが自分に対して攻撃性をもって向いてくる社会、それにどう対処するか。
これらは、私の力ではどうにもなりません。
内閣総理大臣でもどうにもなりません。
各人が各人にできることを少しずつ積み上げていく気の遠くなる作業です。
多くの人はそれを無意識に続けていますし、自立心で対抗しています。
そんななかで自分は理解されないことが不条理に見えるのでしょう。
そういう悲運にもかかわらず、だれに媚びるのでもなく、自分にできることを毎日のようにやりつづけよう、と私は訴えたいのです。
古代のある人が既に言っています。
「神よ、私にものごとを変える力を与えてください。変えられないものを受け入れる力を与えてください。
変えられるものと変えられないものを見分ける力を与えてください」と。

不登校情報センターは小さなものです。
しかも世の中の大きな流れから離れた状況のことをしています。
そんなに権限や力量がないのに過重と思える要望があり、それらに応えられないのも事実です。

それでもめげずに続ける意味はあります。
社会は小さな取り組みの総量です。
Tさんには何の慰めにもならないでしょうが、忍耐と継続により苦悩は歓喜に向かうものです。

「晒している」という言葉にも答えておきます。
「晒す」とは、姿を表わすことで、こういう場合は特に優れた面よりも劣る面、屈辱・恥ずかしい面を表わすときに使われます。
晒し者というと実感が出ます。
「文は人なり」といいます。
Tさんのコメントは、Tさん自身の姿を表わし、晒しています。
コメントの文を自分で読み返してください。
われながら上手く書けたと思っているかもしれません。
ネット上の文章は元々こういうものだ、と確信しているのかもしれません。
「晒している」と感じた人はそうは受け取らなかったのです。
指摘を受けて私も指摘された点はあると思いました。

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