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発達障害・精神疾患の受け入れ⑥
〔2010年06月07日〕 第4章の2つの節を終えたところでの中間の感想を書きます。全部私のコメントになります。
①4-2「発達障害・精神疾患の受け入れ」を見てきたところの感想としては、問題・課題とは実は執筆者自身の抱える問題・課題であり、それを感じつつ、上手くとらえきれず、不登校情報センターの問題・課題に置き換えてしまったのではないでしょうか。その範囲で不登校情報センターのもつ弱点を相当に指摘しています。ただ一個人の実感を起点にして具体的ではあるが、それで全体を評価・判断しようとして、均衡が取れなくなっています。
②「発達障害・精神疾患の受け入れ」を執筆者としてはやめてほしかったのでしょう。そうしていれば自分はよくなっていたはずだと思い込んでいるようです。自分の問題をとらえきれないでいると思うのはここです。それは判断できません。
③運営者としては実践的ではない要望を受けたことになります。「発達障害・精神疾患」のあるなしをだれが判断するのでしょうか。執筆者の言い分では私は不適任ですから、たとえば医療機関で診断書を、しかも精神疾患ではないという診断書をもらってきた人を受け入れることになります。精神科に受診したくない人が多いなかで、実現不可能な方法です。この方法ですと執筆者自身が受け入れられたかどうかのレベルです。
④「態勢をつくって受け入れればいい」のですか。どうすればそうなるのか私には見当がつきません。医療機関は態勢はあるけれど、フリースペースはできづらいのでしょう。一般に医療機関では病名なしの引きこもりの恒常的な受け入れは難しいはずです。態勢づくりで「百年河清を待つ」意識ではなく、自然に始まったことを受け入れすすんできた。それが不登校情報センターのフリースペースです。それは無為無策に近く、自然な人間を生かすことといえるかもしれません。
⑤「態勢ができなければやめればいい」のでしょうか。いまの「できることをする」でいいと思います。ウィキペディアの執筆者はそこに何か人工的なシステムの導入をして、自分に役立つ姿にしたかったように見えます。それが何なのかはとらえきれません。執筆者の要望は「発達障害と精神疾患の受け入れを断る」ことが、はっきり見えるだけです。執筆者自身もそれでいいのかは疑問になりませんか。運営者としては運営不可能な要望ですし、これまでの様子から受け入れてもいいと考えられるのです。
⑥完璧を求めると何もせず、何もできません。このフリースペースづくりや運営も同じです。平静に見れば、取り組んできたことは大したことはないでしょう。執筆者とはこのあたりが共通認識かもしれません。それはある人には適合し、別のある人には適合しないものです。執筆者には適合しなかったと思います。その理由をあれこれ書いていただいたことは、今後の課題の一つになります。しかし、大したことではなくても出来ることを続けるのがいい、これが私の好みです。]