Center:2003年12月ー不登校生の「卒業」から考えること
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不登校生の「卒業」から考えること
〔『ひきコミ』第20号=2003年12月号に掲載〕
(1)
「高校は不登校状態であったけれども、出席日数はぎりぎりで学科の方もなんとか底上げされた感じで卒業することになった。そのときは少しホッとした気がしていたし、親もよかったと思っただろう。 ところが時期が経つにつれて卒業しなければよかったと思う気持ちが出てきた。とくに親から大学をどうするかみたいなことを言われるようになってからは、なぜ卒業したのかを後悔するようになった。それはいまも尾をひいている気がする」 Kくんからこの話を聞いたとき、私は3年ほど前の事件を思い出しました。「てるくはのる」という暗号文(?)が話題になった事件です。20代の青年が小学生を殺害し、しばらくして警察の事情聴取のとき逃げ出し、高層の住宅から飛び降りて自殺した経過でした。この青年が「ちゃんと単位を取って卒業したかったのに、単位が十分でないのにもかかわらず無理に卒業させられた」「大検を受験したい、高校卒業を取り消してほしい」と書いた封書が残されていました。 この事件の青年とKくんの気持ちにはどこか通ずるところがありそうです。
(2)
Kくんの話したことを考えてみました。不全感というのでしょうか。しかしもっと奥がある気がします。不登校というのは子どもにとっては意志を伝える方法です。そこにはどんな意志があるのでしょうか。 Kくんは学校がいやなところだったといいます。しかしその意志、感情・感覚は親には認めてもらえません。毎朝、家から出されても行くところがない。しかたなく高校に向かいます。そこで我慢の時間を過ごします。その全体は要するに自分の気持ちを受けとめてもらえない事態の進行です。親の思いのままに自分の気持ちに反して事態がすすむしかなかった経過です。高校時代は自分にとってはないのと同じでした。いやはっきりとなかった方がいいものでした。 ところがあれこれと条件をつけて卒業しました。いや卒業させられたのかもしれません。条件をつけたのは自分ではありません。学校(と親)の配慮です。たしかに卒業の時点では、自分でもホッとしていました。これで高校に登校する苦痛、いやなことがなくなるのですから。 けれども、自分がいやだと思っていた高校時代、なければいいと思う高校を自分は卒業したのです。卒業に必要な最低限の基準以上を学び、身につけたことになっています。自分を受けとめてもらえなかったのに、押しつけられたものを身にまとっただけなのに、それで高校を卒業させられました。自分の姿はそういうものです。 Kくんの気持ちを推し測っていくと、このような不満足感、不全感、違和感ではないでしょうか。それは到達点が未達成というものではなく、自分が自分であるために必要なものとは違う方向で進んでしまったことの疎外感、空虚さともいえるでしょう。自分の意に反し無視された挙句に、周囲の大人の思惑で不本意な衣装をつけて世間という舞台に出された感じなのだと思います。どうしてこのまま世間を歩きつづけける気になれるのでしょうか。あの時代に戻れるのなら、そこからもう一度歩み始めたいくらいのものです。
(3)
このあたりまで考えて、私はハッとしました。Yくんのことです。昨年、不登校状態のまま中学校を卒業して、1年後のいまも引きこもり状態なっている16歳の男子です。 中学卒業のいきさつはこうです。3月初めに母親から相談がありました。中学校長から「このままでは卒業できない」と言われ、「1年留年し、それでも登校できないのであれば、退学するしかない」と母親はきいています。 相談を受けた私は教育委員会宛の手紙を書くことをすすめました。その後、Yくんへの学級担任の訪問、校長訪問が続きました。校長は「Yくんには中学校を卒業できるだけの力がある」と判断し、3月16日の卒業式に卒業証書を発行しました。Yくんは登校せず、母親がそれを受けとっています。 校長がYくんに会ったときYくんはこう言いました。「ぼくは学校には行っていないので中学校を卒業できるかどうかはわかりません。卒業したいですが、判断はお任せするしかありません」という趣旨です。 私はこの一連の経過のなかで、Yくん(一般に子ども)が中学校を卒業していないことは、人生において社会的不利益になる。中学校卒業に求められる内容は、その後の人生のなかでYくんが獲得していけばいいものだ、と思っていました。 現在では国会に議席をもつすべての党派をはじめ、有力な教育団体のほとんどが、不登校状態の中学生の卒業を認めています。私もその一人です。 校長の動きに関しては、やや固いという印象はありましたが、それなりの道筋をたどって結論を出したように考えていました。ただ、もし母親が教育委員会宛の手紙を出していなかった場合はどうだったろうという疑念もあります。そういう仮定のことを除くと私には基準点を満たす対応だったと考えています。
Yくんはいまも引きこもり状態です。最近の母親の話をききながら私が感じるのは、Yくんは十分に引きこもれないでいることが大変なんだなということです。狭いアパートの一室に母子二人が住んでいます。自分の空間をもち、自分の時間をもち、そこで自分を取り戻す環境が必要なのに、現状は厳しすぎるのです。 Yくんの精神的な苦痛はかなりだと思います。長い手洗いなどいわゆる強迫神経的な行動が出ています。それは心にたまった苦痛を発散する一つの方法だと思います。それに一段落つけるにはまだ時間が必要でしょう。 Yくんの最近の事情を私はこのように推察していました。しかし、Kくんの話をきいたとき、Yくんの中学校卒業自体には「はたしてこれでよかったのか」という気持ちを起こさせるものがあります。あの中学校卒業は、Yくんのその時点の気持ちにぴったりであったわけではない。私を含めて周囲の大人が将来を考えてよかれ、と思ってやっただけという面も残ってしまう気がしたのです。
(4)
今年の3月には、中学2年生の不登校生Oくんを3年生に進級させるかどうかという相談が持ち込まれました。この男子生徒の年間登校日は2日だけ。学校長からは3月18日母子一緒に登校して校長面接を受け、それができなければ進級はできない可能性を示唆されています。 実際の経過は、この生徒は3月18日に母親と一緒に登校し、校長面接を受け、3年生に進級しています。だからこの校長の提示が適切だったかとなると、私には必ずしもそうとは思えません。 ① Oくん親子が一緒に登校する可能性はかなり厳しい条件であったこと―年間登校日2日というのはそれを感じさせます。 ② この親子面接ができない場合は、3年生への進級ができないと思わせていたこと。これは強迫的な提示です。 しかし、それでも善意に解釈すれば、現在の教育制度のなかで学校長として取りうる方法ともいえます。通過儀礼のない3年生への進級よりも、校長面接を一つの区切りとして、進級に意味ある内容を持ち込もうとしたとも受けとれます。 3月18日の校長面接は実現しました。校長のこの対応方法は一つの努力として認めることができると思います。しかし、上に述べた二点の危うさを持つことを忘れないでおきたいです。
(5)
そんなことを考えているところで、埼玉県の小学校で不登校の6年生にそのまま卒業を認めず、卒業式の後、不登校生だけが補習を受けて3月31日に卒業証書を渡す事例が生まれました(4月1日「毎日新聞」による)。 校長は「責任を持って卒業させられない」と卒業認定を見合わせ、保護者の了解を得て、6日間の補習をしています。校長の意見は「小学校修了の力があるかどうか分からないのに、中学校に丸投げするのは無責任と問題提起したい。できれば一緒に卒業させたかったが、補習に来なければ卒業させない選択肢もあった」と伝えられています。 最後の「補習に来なければ卒業させない選択肢もあった」というところに、私は問題を感じます。しかし、小学校長して対応できることを考えた点は評価できます。 Yくんの中学校卒業、Oくんの中学3年生への進級、そして埼玉の小学校でのこの補習設定による小学校卒業、いずれもそれぞれの事情による固有の要素をもっていますが、ある点で共通しています。それは現行の教育制度の枠のなかで、学校長の裁量でできることを探っている点です。時期が来たら自動的に進級、卒業というのではなく、いわば通過儀礼的なメリハリをつけるものになっています。 このような通過儀礼的なメリハリの設定は、Kくんより軽い程度の人には卒業後の後悔をよび起こすまでのことはなくなるのかもしれません。 しかし、同時にそこにはさまざまな程度の危うさ、不安感もあります。その危うさや不安感に抵触すれば、子どもは進級や卒業ができないのです。Oくんの場合の親子登校による校長面接、埼玉の小学校における補習への出席は、不登校状態の子どもがだれでもできるものではないからです。Yくんの場合は、学級担任や校長が家庭訪問をしていますが、そうであっても不登校の子のなかには訪問されても会えない子どもも確かにいます。 ここまで見通したときには、不登校生のとくに卒業については別の対応方法が必要です。先回りをしていえば、その対応方法こそ、すでに不登校のまま中学校や高校を卒業したことになっている子どもや青年にとっても有効な方法と一致するでしょう。それは、不登校の子どもの増大によって、かなり空洞化している小中学校の義務教育、およびそれに近い状態になっている高校教育の空洞化を補充する面もあるように思います。
(6)
事態を改善する一つの方法は、学校卒業後、同一レベルの学校に改めて入学できるようにすることです。その提示の前に、事態を整理してみましょう。 Yくんが不登校のままで卒業できない事態はありえました。埼玉の小学校の場合も、補習に参加できない子どもは卒業できない事態はありえました。この方法の危うさを補う方法は、まず卒業できる方式にして、卒業した後の教育体制をつくることが大事だと思います。 現実には多数の不登校の小学生、中学生が小学校、中学校を卒業しています。その後はその空白を埋めることもないままになっている人は数多くいます。彼、彼女らは現行の教育制度では、小学校や中学校に入り直すことができません。不登校(に近い)状態のまま高校を卒業した人(Kくんもその一人)も同じです。 特に小学校、中学校の義務教育の空白・空洞化を埋める教育体制は欠かせない面があると考えます。 この空洞を埋める一つは、中学校卒業程度認定試験(中検)や夜間中学校をより開かれたものにすることです。適応指導教室への出席や学習塾、フリースクール等への出席(参加)を所属する小中学校への出席と認める方式もその一つです。これもすでに認められていますが、さらに広げることです。ホームスクールや通信教育、インターネット(web)的教育を公式に認知し、充実させていくのもそれに加わるでしょう。 しかし、私にはそれらだけでは不十分に思えます。それがこの項(6)のはじめに提示した「二度入学・卒業できる」方法です。中学校を卒業した人が改めて中学校教育を受けられるようにすることです。高校を卒業した人が再度高校教育を受けられるようにすることです。「てるくはのる」事件の青年が高校卒業を取り消してもらえなくても大検を受験できたり、高校に入学できるようにすることです。これらは事情が違うかもしれませんが大学においては既に認められていることです。 また、卒業選択制はどうでしょうか。ある程度以上の学修条件を満たしている生徒本人が卒業選択できる形にすることです。Kくんの場合でいえば、卒業前の段階で「卒業を選ばない」ことはなかったでしょうが、人によっては条件としてこの方がいいこともあると思います。
(7)
それでも教育制度をあれこれ変える、整えるレベルでは、全ての問題を解消するわけではありません。制度として整え、運用を研究し、改善しながら制度以前、制度以上の問題には個別の事情に応じて対応するしかありません。 学校長の裁量はそこで発揮されます。現行で可能な裁量は、制約されています。そこを広げ、子どもの利益の点から運用できるよう願っています。