精神的ひきこもりから社会的ひきこもりへ
松田武己の解説 精神的ひきこもりから社会的ひきこもりへ
投稿日時: 2025年3月13日
30年にわたりひきこもり経験者に囲まれてきた私ですが、どれほどひきこもりを、その人間像を理解しているのかは、いまもって確信があるわけではありません。
ただ数年前からひきこもりを個人の精神心理的な面を見るのではなく、経済社会を背景とする社会現象として調べ始めました。
そういう条件のなかで、改めて逸見さんの手記を読み直す機会がありました。
「文学フリマ」という自作本の展示即売イベントが予定され、逸見さんの作品を提出しようとこの体験記を読み直す機会にしました。
逸見さんの手記は『ひきコミ』第4号(2001年4月、当時は書店で市販)に掲載されたYさんの投稿への返事として書き始めたものです。
《どこを直せばいいのか Y (東京都立川市 女 27歳)
結婚して2年になります。中学のころから人間関係に悩み、高校は1年でやめて、結局通信制を卒業しました。
社会にでてからも何度もつまずき、仕事を長続きさせることができませんでした。
集団の中に入ると、どうしても浮いた存在になってしまいます。
特に影響力のある人、力のある人から疎まれたり、嫌われてしまい私と一緒に何かをすることは嫌だ、と言われたことは一度や二度ではありません。
すっかり人間が怖くなってしまい、結婚する一年前から外で働いていません。
夫も職場でうまくいっていないらしく、関係もぎくしゃくして辛いです。
この年になって情けないですが、これからどう生きていったらいいのか、生きていけるのかわかりません。
自分のどこをどう直せばいいのかもわかりません。
これ以上、拒絶されたり、嫌われるのが怖いのです》
逸見さんの手記は、このよびかけへの答えとして書かれました。
しかしそれができたのは6年後です。よびかけたYさんには届かないままです。
社会問題になっているひきこもりの人は主に1970年以降に生まれた人たちです。
もちろんそれ以前にも、私が関わる人のなかには1960年代に生まれた人もいます。
このような社会現象、社会問題はある時から突然表われるわけではありませんから、これは当たり前です。
社会的事情を背景としてひきこもりを説明しようと試みてきた私には、これは説明可能です。
すなわち1950年後半から1960年代にかけて展開した日本の高度経済成長期が、社会を大きく変えたのです。
その心理的な影響はことに若い世代から、そのなかでも感受性がゆたかな人たちがそれを表わしました。ひきこもりはその特色のある表現といえるわけです。
逸見さんは1934年生まれです。1945年当時はまだ小学生であり、そして彼女は中学3年のとき不登校を経験しています。
しかし、結局はひきこもり状態になりません。
そうであるから(そうであるにもかかわらず)、彼女は最近のひきこもりのある範囲の人たちの心情をみごとに察知し、説明しています。
これは注目すべきことです。
彼女は「精神的ひきこもり」と自称し、それがひきこもり(すなわち社会的ひきこもり)と共通することを見事に示しています。
それでいながら、社会的ひきこもりに至らず精神的ひきこもりであったのです。
この関係を逸見さんは事実上わかっていました。これはなかなかのものです。
逸見さんは私よりはるか以前にこの事情を知りました。逸見さんのすごさが浮かび上がります。
信州にはこのような人物を生み出す社会的土壌があると感じています。
日本のいつの時代かはわかりませんが、精神文化的には精神的ひきこもり状態が一定の範囲の人にありました。
国民性としての内向性、心理的な縮み指向、配慮的な性格と考えられてきた人の中にいます。
これが高度経済成長を経た後の社会においては、行動・行為の変化をもたらし、それが社会的ひきこもりの表現になったのです。
逸見さんの体験は変化のある時期の事情を示しています。
もちろん彼女1人の事例をもってこれを過大に評価し、全体的な証明材料とすることはできないでしょう。
それでも貴重な証言になるのです。この変化を精神心理学的な対応として説明できます。
彼女はそういう心情をもちつつ社会的体験を重ねるなかで、いろいろな可能性が結びついて「精神的ひきこもり脱出」に至ったのです。
この社会的体験は、彼女が生活した時間帯でのことです。
そこには戦後から続く「前高度経済成長の時期」がありました。自ら選んだ保健師という職業体験もあります。
そのときどきで察知したいろいろな出来事の意味をみごとに言語化しています。
おそらくはここには長野という文化環境、当時の生活の主流が農業と繊維産業という時代背景が働いているでしょう。
高度経済成長期もやはり日本社会を構成するもので、それまでの社会との連続性があり、1990年以降の「低迷期」といわれる時期ともつながっています。
それは彼女の体験した場面ともつながっています。逸見さんの体験手記は、こういう事情を示しています。
多くのひきこもりの体験者の話を聞いてきた私には他に例を見ない詳しく、具体的なものです。