それは誰の問題?
それは誰の問題?
会報『ひきこもり情報たより』2014年11月号
たとえば目の前のわが子が何かで困って立ち止まっているとしましょう、私たち親は心配で見ていられなくなります。
そして「ああだ、こうだ」と意見を言いたくなります。しかし子どもはこちらの思うように動きません。
そうなると心配がますます募り、ついつい強い口調で「こうしなきゃダメよ」とか、「あなたがこうだからダメなの」とか、駄目出ししたくなってきちゃいますよね。
そしていつの間にかその問題の解決のために、当事者の子どもをはるか遠くに置いてきてしまって、自分がリードしていろいろと手を出してしまっている。
そんな経験は親だったら一度や二度はあるんじゃないでしょうか。
例えば子どもが小さかったころ、宿題をまだやっていないとわかると、「宿題をしなさい!」と怒って、それでもやらないとイライラとしてそばについて強制したり、挙句の果ては手伝ってしまったり・・・。
子どもが宿題をしないと怒られるし、困るだろうからという気持ちでついついイライラが高じてしまった経験、誰しも一回や二回はあったのではないでしょうか。
でも宿題を忘れて怒られるのは子どもの問題であり、それを心配するのは親の問題。ここは分けて考えないといけなかったのでしょうね。
子どもが解決しなければならない問題を親が踏み込んで解決しようとする。そのことによっておこる弊害を考えてみてください。
子どもは「どうせ誰かが何とかしてくれる」と、依存的になるかもしれない。
また、親の言うとおりにすることで壁にぶつかったり失敗してしまうと、それをひとのせいにしてしまい、問題と向き合わないようになってしまうかも。
実は誰かのいうとおりにやったとしても、自分がその提案を受け入れて行動をしたのだから、その時点で自分の問題になっているのですよね。
そうして失敗したことを自分の問題として反省しなければならないのでしょうが、それをせず人のせいにして終わりにしてしまう。
もし今、子どもに何か問題が起きているとしたら、子どものことで心配事があったら、ちょっと立ち止まって、それは誰の問題なのか 考えてみてはいかがでしょうか。
問題の当事者の領域に踏み込んでしまっていないかどうか、フッとクールダウンしてみるのも一つかもしれませんね。