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自分よりも他者に優しくなれる世の中であってほしい

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自分よりも他者に優しくなれる世の中であってほしい

(会報「ひきこもり居場所だより」2023年7月号)
もう一般的には「そんなものもあったね」くらいのレベルかもしれませんが、私はよくインターネット掲示板5ch(旧2ちゃんねる)を見ています。
一時期の2ちゃんねるは「『死ね』という言葉は『こんにちは』の代わり」「別名『便所の落書き』」と言われるくらいに殺伐としていて、かなり辟易させられたものでした。
生き馬の目を抜くような油断のならない世界ではありましたが、そのおかげで一定程度騙されることに対する耐性というか何でも疑ってかかる姿勢は嫌でも叩き込まれたように思います。
「嘘は嘘であると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」とはよく言ったものです。
これは「掲示板」という言葉を「インターネット」や「SNS」と置き換えて現在でも十分に通用する言葉でもあります。
2ちゃんねる創設者のひろゆき氏は私が最も嫌う人物ではありますが、これについては金言であると思っています。
もっとも、今の5chは人口の減少と高齢化によって極端に血の気の多い人は少なくなっていくらか過ごしやすい環境にはなりました。

逆に現在私が観測している範囲で世紀末を迎えているのはツイッターとヤフーニュースのコメント欄(ヤフコメ)です。
ヤフコメは誹謗中傷に対する規制を強化したりIDと携帯電話番号との紐付けを必須化したりしていますが、正直言ってそれほどお行儀よくなったとは思いません。
ツイッターについては度が過ぎる誹謗中傷への訴訟がしょっちゅうニュースになっているので説明不要でしょう。
これらのSNSの民度は悪い意味で2ちゃんねるの全盛期を超えています。
目を覆いたくなるような罵詈雑言の数々には、人はここまで醜い存在になれるのかとある意味感心すらしてしまいます。
そこでは情報の正確さや常識・良識よりも目立つことが優先されてしまいがちになってしまうようです。
そこにはSNSの構造的な問題が存在しています。
これらのSNSの民度が悪いとは言いましたが、もちろん大半の人は常識をわきまえているので(たとえ心のなかで思っていたとしても)あまりに酷い言葉は口にしません。
そこで常識的な発言をしても無数の同じようなコメントに埋もれていくだけです。
そんな中で特に専門的な知識やセンスがないにもかかわらず目立ちたいと考える輩が少数ながら出てきます。
そんな彼らはとにかく目立つことだけを考えて逆張り的で無茶苦茶な暴論を振りかざします。
どんな手段でも目立つことさえできればいいねやリプライなど何かしらの反応は返ってきます。
そしてそれに味をしめて言動が先鋭化していきます。
普段孤独を感じていてとにかく他人に構ってもらいたい人間にとってはこれほど魅力的なツールはないでしょう。
SNSには功罪両面ありますが、これは罪に分類してよいでしょう。
功もたくさんあるはずなのですが、単純に新しい情報を仕入れるためだけに見ている私にとっては罪のほうがより多く映ります。
個人的には罪の最たる例だと思っているのが、鉄道人身事故が起こるたびにツイッターで見かける「電車に飛び込んで死ぬのは迷惑だ。
どうせなら一人で死んでくれ」「安楽死が制度化されればこういうことは減るはずだ」といったツイートです。
そもそも故意の飛び込みなのか不慮の事故なのかも分からないまま脊髄反射的にツイートするその短慮さもいかがなものかと思いますが、条件付きとは言え自ら命を絶つ行為を正当化することには強い危惧を覚えます。
私も昔は回復の見込みのない重病人に限って安楽死・尊厳死を認めてもよいのではないかと思っていましたが、今はたとえどんなに対象を限定しようと安楽死を制度化してはいけないと考えています。
なぜなら一度でも制度化すれば必ずその対象を拡大すべきだと言い出す不届き者が必ず現れるからです。
高齢者、障害者、犯罪者、無職・ひきこもり、貧乏人は生きていても社会にとって何の益にもならない存在なので安楽死させるべきだ、なんて言い出す輩が必ず出てきます。
私は預言者ではありませんが、これに関しては賭けてもよいくらいです。
今どきそんな優生学的思想丸出しの人間がいるなんて信じ難いのですが、実際それに類する発言をしている人をこれまでに何人も見てきました。
無論そんなノイジーマイノリティに影響されて法制度が変わることなどありえませんが、そういった発言はどうしてもSNS上では目立ってしまいます。
もしもともと希死念慮を抱いている方がそんな発言を目にしてしまった時にどのような影響があるか、想像するとゾッとします。
繰り返しになりますが、ネット上での誹謗中傷には訴訟を起こすなど厳格な対応をするケースが増えてきています。
それで誹謗中傷がどこまで減るかはまだ分かりませんが、私は残念ながら限定的な効果に留まると見ています。
社会には満たされない承認欲求を抱えている人がたくさんいて、そういった人たちに他人を誹謗中傷する前に訴訟のリスクを考えて踏みとどまる冷静さを求めるのは難しいでしょう。
ですが本来は自分を他者に認めてほしいのであれば、誰よりもまず自分が他者を認めてあげられるようになるべきだと思います。
そんなありきたりの言葉が届くような相手ではないのかもしれませんが、そのようになってくれることを願ってやみません。

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