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きょうだい・・・「親という防波堤」

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きょうだい・・・「親という防波堤」

きょうだいとは小さいころは親の愛情を競い合う競争相手で、しかも身近な存在。
なんとなく思考回路も想像できて、けんかしてもいつのまにか自然に仲直りができてしまう不思議な存在。
成長過程で多くの時間と経験を共有してきた存在。
それぞれが成長して自立した「個」として存在していれば、いくつになっても頼りあえる存在であるかもしれません。
これがもっと年を重ねて親の介護であったり親亡き後の相続の問題であったりと、今度は利害の対立する存在となってしまったり。
それぞれの人生のステージによって関係性も変わってくる不思議な存在ですね。
「親という防波堤」がある間はいろいろな問題は親子の問題となっています。
親は自分がいなくなった後、きょうだいで助け合って仲良く暮らしていってほしいと願っている場合が多いのではないでしょうか。
しかし親がその防波堤の役割ができなくなったり親の介護などの分担をきょうだい同士で分けあったりしなければならなくなったとき、きょうだいの間に不公平感や「きょうだいの存在がリスクだ」とさえ感じてしまうという現実もあるようです。
私ごとですが3人の子どもたちが私亡き後も仲良くやって行けるのだろうかとフッと不安になることがあります。
多くの欧米の国では社会保障などは個人が対象なのに、日本ではいろいろな給付金支給の例からも見て取れるように世帯単位として考えられることが多いですね。
「家族の問題は家族で解決」という日本の社会の空気が一層私たちを窮屈な世界に閉じ込めて身動きできなくなってしまう事は大きいと感じています。
「家族の問題は家族で解決してください。社会はその後に少しだけお手伝いします」という裏の意味がまだまだ日本の社会にはあるように感じてしまいます。
せっかくのきょうだいが大人になってからもどちらかが相手に不公平感を持ってしまうような、そんな関係にならないために私たちはどうしたらよいのでしょうか。
それぞれ条件は違っていても私たち一人一人に突き付けられた問題である気がしています。
家族という枠に閉じこもらないでもっとオープンに外の力を借りられるようになっていきたいです。
これからも自分ごととして考えていきたいと思います。

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