体験記・ナガエ・私の物語(8)
私の物語(8)
ヨッサンの拒食症
私は引越しの準備を開始した。まず洗面用具、洋服、布団、勉強道具、その他趣味などに必要なもの。 全寮制の高等学校。上下関係がきつそうだと思いながら準備を進めるのは気が重かった。 中学時代を思い出す。校則にはない先輩後輩の間での暗黙の校則がいくつも存在した。 例えば、2年にならなければスカートを短くおってはいけないとか、夏服には半袖と長袖の2種類あるのだが、半袖を着てもいいのは3年になってからとか。 それらに違反したものは、女子更衣室に呼びだされ“しめられる”のだ。だからばかばかしいと思いながらも、大半の者は先輩の目に触れないように忠実にその校則に従うのだ。3年になるまでの辛抱だと呪文のように唱えながら。 そして3年になると、新しく入ってきた後輩が校則を破らないかどうか目を光らせ“しめる”のだ。 時代や流行によって多少の変化はあると思うが、それこそ伝統のように受け継がれていく。これらは私が通っていた中学校にだけ特別存在していたというわけではないと思う。教師の目が届かない所で、社会でやっていくだけ忍耐を習得していくのだ。 ただ今の私にこれだけのことを耐え忍ぶ力とエネルギーが残されていない気がした。私は自分の気持ちにケリをつけなければと思い、急いで荷物をつめた。 帰宅日の約1か月後まで実家を離れるので、親友のカナコに私は手紙を書いた。ヨッサンにも手紙を書いた。すぐ2人から返事が来て、私は読みながら泣いてしまった。カナコからの手紙はとってもあったかい手紙だった。
自分をつくるのは自分。 だから好きなようにすればいい。 でもね、息づまることはある。 そんな時は話してね。 遠く離れても親友でいよう。 私ときたらなんだろう。こんなにいい友達がいるのになぜこんな寂しいと孤独だと感じてしまうのだろう。わからない。どうしてなんだろう。
ヨッサンは拒食症の苦しみを手紙に書いてきてくれた。
いつになったら食事に対するこだわりがなくなるのかわからない・・・・・・辛い。
手紙を読んで知ったことだが、ヨッサンの家庭は母子家庭で、父は早く亡くなり、妹を含め3人で生活しているそうだ。それに加え母は足が悪く障害者手帳をもっており、ヨッサンには負担だったという。 父がいないということは長女のヨッサンには、何かいつも重いものを抱えているような気分だったかもしれない。 拒食症発症のプロセスは実に多様で、個人個人によって異なるだろう。ヨッサンの場合、母を助けなければという思いでおしつぶされそうになっていること、妹とのこじれた関係、そして何より父の不在がトラウマになっているとヨッサン自身は述べている。 原因となるできごと、育ってきた環境、その人物がもっている素因や性格、いろいろな要素がからみあい、なぜその症状として形成されるかは一概には断定できない気がする。 心の病気とは原因とぶつかりあえば解決しそうな気もするが、根が深い場合、幼少期からのことまで掘り下げていくことになりそうだ。 先ほどから原因原因と言っているが大事なのはどうすればよくなるか、だ。ヨッサンは受験もせまる中3の10月に退院したが、いまだに拒食症とたたかい続けている。 そんなヨッサンが私に励ましの言葉として自己開示してくれたのだ。 病んでいることを主治医以外の誰かに話すのはとても勇気がいっただろうと思う。私とヨッサンはきっと信頼し合えるほどの仲になったのだと、私はまたも一方的にかもしれないが喜んだのだった。
異様な夢の中の声
3月の後半。もうあと数日で全寮制の高校へ行かなくてはならない日が近づいたある日。私は異様な夢を見た。 オーバーオールを着た髪はショートカットの女の子が、あれはきつねの嫁入りというのだろうか、晴れた黄色いお日様の下で雨にぬれながら泣いている。雨はさらさら静かに降り注いで女の子をなぐさめているようだ。 私は影のかかった木の下に立ち、女の子をこっそり見つめている。緑々した葉は揺れていない。女の子は聖母マリアのように優しげなだが強い光を放っているようにも見える。えんえんずっとその夢の中で私は木影に立ち続けていた。 そのせいか足に鉄のよろいを身につけたように疲労感がどっとおそい、あっもうこの世界から消えてしまいそうと思い、倒れそうになった時だ。女の子は顔をおおっていた手を放し私に向かって叫んだ。 「会いに行くから、君に。会いに行くから」 私に会いにくるって(?)、思い、聞き返そうとしたが現実へひき戻す、ベルのようのものが鳴った。 チャップン。 水の音。雨が水たまりに落ちる音。女の子の流す一滴の涙。水道の蛇口から余力を残して流れてきた水滴。 はっと、目が覚めた。 リアリティのある夢だった。 「私に会いにくる」 私は呟くと、ぼんやりとした夢をおりるため、顔を洗いに洗面所へ向かい鏡の前にたった。 無意識に笑みを浮かべる。不意に体の芯が急激に熱くなり激しい頭痛がし、体中が脈打っているような感覚がした。座ろうとしたが金縛りにあったかのように足がひきつり動けなくなった。 動けない、どうしよう。思いながら鏡を見た。自分があのオーバーオールを着た女の子に見えた。驚いて視線をはずそうとして、震えあがったが、ばたん、と眠るように倒れてしまった。 「だから会いに来るっていったじゃん」 自分の頭の中から声が聞こえる。そして今度は小さな赤ちゃんが生まれてくるようなオギャーオギャーという声が頭から鮮烈にひびいてきた。何なのだろう? 私どうしちゃったんだろう。ゆであがったえびのような背を丸め、手で耳をふさいだ。 だが声はまだ聞こえる。逃げられない。いぜん体はかっかと燃えるように熱く、頭痛がする。春なのに夏が訪れたみたいだ。痛みのあまり目をつむってしまう。もうこれ以上意識を正常に保っていられない。何かにぐいぐいと吸い込まれるように、どこか暗い場所へと押しこめられる。 プツン。現実と繋がっていられなくなった。私は眠ってしまったのだろうか。わからない。私はまぶたをおしあげた。 暗い場所。暗幕の舞台に立たされているようだ。一人きりだ。誰も存在しない。私以外誰も存在しない。私だけがぽつんといて他は暗闇がずっとずっと続いている。私の世界。誰も傷つけない。誰からも傷つけられない。私が望んだ世界。 コレガ、シアワセダヨ・ 孤独で寂しい。誰からも必要とされない。そして誰も必要としない。 他人がいなければ自分をどうやって確かめればいいんだろう。 「誰か教えて! 誰か、いないの? 答えてよっ」 大声でわめいたが、あたりは静まり返っている。闇と沈黙が支配する世界。涙があふれもりあがってきた。どうしたらいいの? どうしたらいいの? 墨のように黒い霧が足先から私におおいかぶさる。 どこへ逃げればいいんだろう。もう逃げられない。闇にのまれるしかないんだ。 私が消滅してしまう。 私が消滅してしまう。 闇がどんどんふくれあがる。手で払っても全然効果がない。 消えてしまうってことは、私は死んでしまうってこと? そんなの嫌。 私が死んでしまう。 そんなの嫌、嫌。まだ死にたくない。 「いやぁ――」 私は声がかれてしまうのではないかと思うほどありったけ叫んだ。顔がほてる。だが頭痛はしない。 叫んで叫んで、意識が混だくする。黒い霧がもうあごまできている。私は叫んだ。 「死にたくなぁいー」 意識が遠のいていく。だんだんと私が消えていく。全身が闇に蝕まれ、私は消滅する。私の存在は無に還元される。誰からも見届けられず。そう一人で。私は死ぬのだ。もう終わりだ。何もかも。そう思った時、 「君が望んだことなんだよ」 宇宙のような闇から聞こえてきた。 私が望んだこと? 「君は死にたがっていた。生きることを嫌がっていたじゃないか」 頭上から声が降ってくる。 「でも、いまは違う。生きたい。私は生きたいの」 相手は誰なのかわからなかった。でも私は悲鳴に近い声で言った。 「私を殺さないでぇ―――」 気づくと私は布団の上にいた。あれは夢だったんだろうか。でもいったいどこまでが現実でどこまでが夢なんだろう。目元やほおに触れるとべたりとぬれている。涙・・・・・・? 私は焦った。 「私は誰?」 ふいにそんなことを思ったのだ。テレビのドラマや小説に出てくるあの言葉だ。私は近くに散らばっている物一つ一つつかむと順番に名前を言っていった。 「えーっと。これは時計。これはシャープペンシル。これはCD。うっ?ん?これはリップ。これは診察券。これはノート。・・・・・・」 「へっ!? 診察券!!」 一度置いた診察券とよばれるものを手にとり見た。電話番号を撫でるように見た。 医者だ。医者に電話しよう。
医者とさようなら
日は昇り、時計は午後2時をさしている。 この状況をなんとかしてほしい。いや医者に話せばなんとかなるかもしれない。電話をするため受話器をとった。私はもうカウンセリングを終えていた。だが医者は社交辞令かもしれないが「辛いことがあったら電話してきて」と言ったのだ。 たとえそれがあいさつだとしても悪いけど本気にとらせてもらうわ、自分に言うと私はダイヤルをおした。 何をまず話せばいいだろう。心臓が息がしにくいくらいばくばくする。もうすぐ医者がでるのに考えがまとまらない。 「はぁい。崔でーす」 鼻にかかったような声をもつ主治医の声が受話器からひびいた。話さなければ、 話さなければ思ったとき、彼女が言った。私ではない。彼女だ。 「気が滅入ってきた」 医者は彼女が言ったことに気づかない。 「気が滅入ってきた?」 オウム返しのように尋ね返す。 彼女というのはあのオーバーオールを着た小さな子どもだ。次に話したのはまた私ではなく、今度は眼鏡をかけた少女だった。 「へたにおだててムカツクッ」 それを聞いて医者が謝ろうとする。 「僕が悪かっ・・・・・・」 だがそれをさえぎってオーバーオールの子が言った。 「ごめんなさい。私が悪いから・・・・・・。欲求にこたえられないから」 そして医者は尋ねた。 「誰の、欲求にこたえられないの?」 ほとんど会話になっていないと言える。 「なんで私みたいのが生きてるのぉ」 次はオーバーオール着た子が泣きだしそうな声でそう言うと、医者は息をのんだ。 「・・・・・・・!?」 しゃべり方がいつもと違うし、何か異変を感じとったのか、 「あぁ、もう話しにならないから、いっぺん病院おいでんか。なっ」 と医者は言った。 話さなければ、話したいという思いが2人に通じたのか、やっと私に話すチャンスがめぐってくる。 「先ほどはとりみだしちゃってすいませんでした。予約をとろうと思うんですが」 私は、先ほどまでのっとられていた体を自分のものにし、言った。 「じゃあ、あさっての4時でいいかな」 医者はやや緊張したおももちで面接日の予定を告げると、これ以上やっかいなことにならないようにするためか、歯切れよく別れのあいさつを、「じゃ」と言い、電話をぶつりと置いて切った。 私は、電話を切った後病院へ行こうかどうしようか考えあぐねたが、行くことに決めた。 そのあさってという日はたしか木曜日だった。私は木曜日までわけのわからないまま過ごし頭が混乱し、食事もとらず風呂にもはいらず不潔きわまりなかった。 父と母はそんな私を放置しておいたのか、あるいは家をあけ、私一人でいたのか不明だが病院へは一人で行き、栄養剤のブドウ糖を注射で打たれた。 木曜日、私は髪の毛もばさばさ、まるでやまんばのような容相で病院へたどりついた。 よくあんなみだらな様子で家から出かけられたものだと思うが、自分を客観的に眺める余裕もなく感情もまひしていたような感じで、おそらく半ば狂いかけていたのだろう。 電車をおりタクシーに乗り、病院へ着くと私は謝り始めた。誤解を招くようなことは言いたくないので説明しておこう。私が謝っている、と他からは見えたかもしれないが他人が、いやあのオーバーオールを着た子が懸命に謝っていたのだ。私ではない。 誰かれかまわず謝っていた。精神科の受付をしている看護婦はそれを見てヤバイと感じたのか寄ってきて、なだめようとした。 「すぐ先生来られますからねぇ」 体はぽってりとし、赤い口紅をつけている看護婦が不気味に優しい口調で言った。その看護婦がいう通り、すぐに医者が着て診察室へ呼ばれた。 診察室に入っても、謝り続け、わけのわからないことを口走っていたような気がする。 このあたりは記憶がまばらで、それらをなんとかつないだがもしかすると私のいいようにつくりかえられているかもしれない。記憶はつくりかえることも可能なのだ。 ひどく遠い医者の声が私の耳にはりついている。 「ぼく、転勤だから、ちゃんと診れないけど。ぼくは転勤だからね」 やけに転勤という語にアクセントを置き話している。彼は私の前からいなくなったのだ。 彼に、この医者に救ってほしくても助けてはもらえない。私は誰に頼ればよいのだろう。 もともと医者なんて信じていなかった。そう思いたいし、医者なんかに自分をゆだねてしまっているだなんて抹消してしまいたかった。 私はこの医者に、学校に晴れて合格できて嬉しいとわざわざ手紙を送りつけたのに、なんのために電話したのだろう。何かをどうかしてほしかったのだろうか。私は本当は嬉しくなかったのかもしれない。 私は、あのオーバーオールの子どもでもなく、眼鏡をかけた少女でもなく、確かに私が医者に向かってこう言った。 「助けて!」 そう助けてと。私は医者に何を助けてほしかったのだろう。この医者でなければこんなこと言えなかった。 彼はもういない。そしてもう私の主治医ではない。会うこともないだろう。錯乱していたためか、この医者は次回の予約が書かれた紙をわたした。 最後なのに、顔を思い出すことができない。カウンセリングを終えても絶対言わなかった言葉を、医者は告げた。本当にお別れなのだ。 「さようなら」 手を振ると診察室を出た。 長い長い恋愛に終止符を打ったような気分だった。 私の主治医は彼でなくては嫌だ。私は目を真っ赤にはらして泣いた。自分と折り合いをつけることができず、自分にも他人にもこんなに振りまわされたのは生まれて以来の経験だった。 私はきっと彼の療法に心つき動かされのめりこんでしまったのだ。もっと簡単に言うと彼に愛されていると錯覚をしていた。私はこの医者に自分でも気づかぬ間に恋めいたものを持っていたのかもしれない。 心理学で患者がカウンセラーに恋愛感情を抱くことは別に異例のことではなく、それは転移と呼ぶらしい。 転移とは過去にあった人間関係、感情の再現だという。私は明確に今までに恋に落ちた覚えはない。初恋だったのだろうか。 初恋は叶わないという。叶うはずのない片想いだった。出会った瞬間から、もう別れの時へ向けてまっしぐらなのだ。彼にもう会えない。そう思うと空虚感におそわれ、切ないというニュアンスを初めて理解することができた。 私は、この医者との関係をしがみつくように断ち切りたくなかったのだ。私は彼が好きだった。そう考えれば、私が医者に電話した理由が説明できる。神様と運命は、医者が転勤して会えなくなってしまう前に彼に会わせてくれたのだ。 ちゃんとわたしが自分の気持ちに気づき失恋をバネにして生きていくように。私は彼にフラれるべくしてフラれたのだ。私は助けてと叫んでも彼は手を振り切った。それが証拠だ。 私は彼に甘い幻想を見せびらかされ、ちらつかされて見事にそれに魅せられてしまい、最終的に傷つけられたのだ。 だが、もし手を振り切らず肩を抱かれていたら私はどうしていただろう。もっと深い傷を負わされていたかもしれない。立ち直れないほどに。 忘れてはいけない。私が恋という気持ちを抱いたのは彼自身ではなく、白衣というころもをつけた医者である彼なのだ。 恋に偽者も本物もないだろう。しかし、私はこれは恋とよべる感情だったと言い切る自信がない。嵐のようにやってきて、いつの間にか告白してフラれてしまった。 本物の恋とは何だろう。本物の失恋とは何だろう。追いかけても通じない思いもある。けれど私はたとえほんの一瞬だったしとても彼に抱きしめられたいと思ったことはある。 そして愛されて、守られているとうつつなあたたかい夢を見たのも事実だ。人は誰かにどこかで愛されていると感じることができなければ健全に成長してゆけない。 だから彼は凄腕のカウンセラーなのだ。出会った瞬間から彼は私をふるつもりだった。でも、もし愛されている錯覚に陥らなければ私はここまで生きのびてこられただろうか。 幻覚で荒れ、私の夢物語であれ、彼は恋愛サギ師だったのだ。 そして彼がそれを暴露したとく私は彼を好きだったと気づいたのだ。 だから私は言いたい。 先生、私を失恋させてくれてありがとう。 生きる力をくださってありがとう。
意思を離れて自分が動く
平成12年、4月。私は合格した全寮制の入学式に出席した。 桜が桃色の花びらを広げ、校舎の周りは華やいでいる。新しい季節がやってきたのだ。 私は、踏みはずしたシナリオをもう一度書き直したのだ。すぐに友達もできた。1年遅れてしまったが、これで私も人並みに生きていけるのだ。喜びがこみあげてきた。 ここまでくるのに、何度自殺願望を抱いたことだろう。それらをふりきって来られたのは、まるで奇跡の積み重ねのようだ。 私の人生はここから始まるのだ。今からスタートするのだ。心がアルプスのように澄みわたりあらわれた。 ところが、私の期待は空しくも打ち破られ、またも海の底へ身を投げ出されてしまった。 入学式にはほとんど母が出席している。あるいは夫婦そろって来ているところも多い。ここは全寮制だからだろう。 私は父と2人で行った。あの父とだ。入学式が終わると津波のように不安がおしよせてきた。私は頭が混乱したままで、まだ病み上がりだったのかもしれない。 前の医者は転勤したので、わたされた予約票通り病院へ行くと新しい医者に会うことになった。新しい医者は私に精神安定剤を2週間分出した。その薬を服用し入学式に出席した。 私の足元はややふらついていた。寮ではどの生徒も母と一緒に来て荷物を整理している。父は寮の外でたばこを吸っている。 私は、1人だ。 そう思った時、私は笑いはじめた。周囲の者は驚き、薄気味悪いと思ったのか私を遠まきに見ている. 笑っている自分の姿が見える。 私はなぜ笑っているのだろう。から笑いがとまらない。狂ってしまう。すでに私は分断されてしまったのだ。自分の意思を離れて自分が動く。 4月。あれから1年が経った。この1年は無駄だったのだろうか。飛び立つ時だというのに、私はまたもつまずいてすっ転んでしまった。大きく羽を広げ、私は優雅に空を泳ぐつもりだったのに。 私はおぼれていたのだ。希望と呼ばれる光の中で。 バケツをひっくり返したような豪雨がふりだした。私は笑うのをやめた。他の人たちも雨に視線をむけた。桜の木が見える。花びらはひきちぎられ、かたいアスファルトの上に堕落した。地面の水で花びらはおぼれている。 人でもこの陸地で、魚でも海面で、おぼれることがあるのだ。 私は飛び立つというよりも、飛びこんだのだ。水滴のついている窓ガラスには、黒染めのはげた茶色い髪と自分の泣き顔が幽霊のように映っていた。 (初章終わり)
(編集部より) 著者より最終原稿到着から6か月過ぎました。連絡がとれません。この体験手記が続けられるか、心配です。[2002年2月1日]