体験記・ナガエ・私の物語(7)
私の物語(7)
かれんでしたたかな雪
「父さん!許して!」 大きな声が耳にとびこんできて私は目を覚ました。額に汗をうっすらかいている。 一瞬まだ夢の中にいると思ったが、私がいるのはおんぼろ屋敷の居間ではなかったし、父も側にいない。 私は息を吐くと、時計を見た、まだ眠りについて30分だった。眠ったというより、普通に起きて活動するより疲労した感じがする。私は自分叫び声に驚いて目覚めたというわけか。 嫌な夢だった。でも夢でよかった。“夢解釈”今回の夢はどう解釈すればよいのだろう。“抑圧された願望”(?)。違う。この夢は、夢ではなくさかのぼった過去の私と父の姿だ。昔は夢ではなかった。現実だった。背中が痛むような気がする。ユメなのに。 「これは夢よ」 私は呟くと、幼い頃の私に子守唄を歌い眠らせてあげようとした。だが私の口から奏でられる子守唄など一つもないのだとはっとした。 子守唄とは、母から、母でなくともその代行となる人が子どもに歌うものなのだろう。そしてその子どもが成長し大人になり、自分の子どもの寝顔が天使のようになっていくのを見届けながら歌うのだろう。精一杯ゆるぎない優しさを込めて。 子守唄は習うものではない。耳にかすかに残る豆腐のように柔らかな歌声を、遠い遠い記憶の戸棚からひきだして、淡い乳の匂いのする、場所で口ずさむのだろう。自分がかつて歌ってもらったように。 私の耳に子守唄の項の扉は用意されていない。窓、扉、戸、ドア、それらはある場所と場所を区切るためにある。そして、それらを押したりひいたりあるいは横に開けば、決められた題目をもった部屋の中に題目をそったものが置かれている。 私は寝転びながら部屋の窓を見つめた。嫌悪せざるを得なくなった生徒玄関、変身を思い描いてとびこんだ美容院のドア、父に連れ込まれた風呂場の戸、病院の診察室の窓、私のそばにあった扉たち。 子守唄のしきつめられた扉は、その一見圧倒されそうな扉たちよりも、ずっとずっとがんじょうでぬくもりに満ちている。だからさまざまなものを区切ることができる強大な扉なのに私はもちあわせていない。 “扉”と聞けば人は開くことを思うが、私はあえて閉じる。閉じることで未来を守ることができそう気がするからだ。 抜き足差し足で扉のノブにとってに近づいて鍵をかけよう。幼い頃につくりそびれた子守唄の扉よりもっと極上でぜい沢な扉をつくって。 かみなりが怒りでわめきちらすように空全体を紫にそめ、嵐が訪れる前みたいに風が声色を変えて鳴きはじめた。 きっともうすぐ雪が天から落ちてくるのだろう。私は部屋の窓を開いて、顔を吹きつける冬の風に顔をさらした。海中を泳ぐ魚口をぱくぱくさせ酸素をうっかりとりにがさないように、私もおぼれないようにしようと誓った。 雪が降るのを待っている私はよほどひま人なのだ。そう思いながらも待っている私。どんな雪が降るだろう。雨も雪も空からの産物なのに、雪は形にできる。色もかわる。雨は年中降るけれど雪は冬でなければ見えない。チョコレートではないけれど冬期限定なのだ。希少だからこそ価値は生まれ、より美しく感じられる。 あっ、降ってきた。 私は、顔と腕を窓からいっぱいいっぱい出すと手のひらに雪が落ちてくるのを待った。 はかない雪の寿命。雪がどうつくりだされたかなんて私は詳しくは知らない。どんなに苦労したのかも。ただひらひらと舞う、かれんな雪に見とれている。それだけだ。 ぺたっ。冷ややかな感触が手のひらでした。雪は水になったのだ。雪ははかない。だが、したたかだ。カメレオンのように環境に適応し、生きのびようとしていく。 ふと私にある思いがよぎった。希望だった。子守唄は聞こえない。けれども、希望の音色が聞こえる。扉が待っている。 高校をもう一度受け直そう。