いわゆる「安定成長期」以降(1974年~)の要因
(4)いわゆる「安定成長期」以降(1974年~)の要因
放送大学教授の宮本みち子さんが、こんなことを書いていました。ひきこもり問題と貧困や失業やホームレスなどの社会問題が「地続きの問題」になっている。
これを読んだとき、私と同じだと思いました。その時期の私の受けとめ方は『ひきこもり国語辞典』のあとがきにあります。こう書きました。
「第二の波は、2000年代に入りしばらくしてからです。第一波の流れに気づかないうちに合流していた人たちです。
発達障害やLGBTs(性的少数者)、障害者、就職難や貧困に見舞われた人たちでした。いわば社会にうまく入れず、ときには排除されてきた社会的な弱者に当たる人たちです。第二波を感じた当時の私は、ひきこもりの社会参加が目標でした。
しかし周りの状況は、私の思いとは反対に社会のあちこちからひきこもり側に近づく人が続いています。自分の心身の状態を維持する方法として、ひきこもり状態に近づくのです。
この動きを感じて確実な将来像は描けませんでしたが、この動きは悪いことではない、肯定的な面もあると思い始めました」(258-259p)。
私はひきこもりの側から事態を見ていました。ところが向かって進むべき社会の側から、いろいろなタイプの人たちがひきこもり側に近づいてきている状態だったのです。
これが私の感覚では2000年に入った数年間の様子です。宮本さんが「地続きの問題」というのはこれと同じと思ったのです。
ひきこもり誕生の初期は、不登校の子ども世界から始まりました。それにつづく第二波は、より年齢の高い社会人の人たちのなかで生まれていました。
これは私がひきこもり経験者の集まる居場所という、現場にいて感じたことなので、全体として正当な評価であるかどうかはわかりません。
この第二波をひき起こす社会的動きとは、高度経済成長期を終えた1974年以降の経済基盤にも太い根をもっています。
『日本経済史1600-2000』のなかでは、その面での特別な言及はありません。安定成長期からバブル経済崩壊後の1974年以降をこの視点から見ていくことが可能ではないかと思います。
『世界経済史1600-2000』第6章(筆者は牛島利明)は2009年発行であり、高度経済成長から2000年までの「平成不況まで」を扱います。
高度経済成長期(1955-73年)に次ぎ、「高度経済成長の終焉と構造調整」(1974-91年)、「バブル経済とその崩壊」(1991年~)が続きます。
社会的ひきこもりの発生は高度経済成長期に始まりますが、高度経済成長期以降の経済事情も社会的ひきこもりの発生に深くかかわります。
資本の海外進出と国内産業の衰退=就業条件の悪化(就職難)、ブラック企業の出現などはその最たるものです。
他方ではインターネットの爆発的な普及が起き、情報社会に向かいます。その時期に進んでいるいくつかの特徴をあげておきます。
「産業構造のもう1つの重要な変化は、サービス産業の重要性が高まったことである。…1973-85年におけるサービス産業の年平均実質成長率は4.4%と製造業全体(4.2%)を上回る水準を記録した。また、就業者数も1960年代からしだいに増加する傾向にあったが、1970年に46.6%であったサービス産業の就業者構成比は80年には55.5%へと大きく増加している。
個人消費におけるサービス支出の費目別構成比をみると、70年代には住居、保健医療、被服および履物サービスがシェアを低下させ、逆に交通通信サービス、教育サービス、教養娯楽サービスがシェアを高めた(佐和1990:47,66-67)。
自家用車保有の増加にともなう自動車関連サービス、塾・家庭教師・予備校による補習教育の普及、スポーツクラブやカルチャーセンターの月謝支払いの増加など、国民生活の変化に対応したサービス支出の高まりが見られ、経済のソフト化・サービス化といる議論が盛んになるのもこの時期以降のことであった」(P291)。
サービス産業は個人の必要性や好みに従って多様に発展しました。サービス産業は物を生産するのではなく、販売を含めて人の心身の働きに関係する分野です。
医療・保健衛生、芸術・芸能、スポーツ、放送・報道、通信・宣伝、教育・職業訓練など多くがあります。これらがゆたかな社会をつくり表わしているのです。
この高度経済成長期を体感した世代が不登校・ひきこもりを経験したのではありません(例外はあります)。
この人たちの子ども・ジュニア世代に不登校・ひきこもりが生まれました。子ども・ジュニア世代こそ子ども時代からゆたかな時代を体験してきたのです。
そうはいっても不登校・ひきこもりを経験するのは同世代のなかの少数です。
『ひきこもり国語辞典』のなかで私は、それは「必ずしも否定的なことばかりではない」主旨を書きました。
「ひきこもりは社会の異端として登場し、ゆっくりと広がりました。彼らは、やがて社会の新しい役割を示していくのではないか。これが長くひきこもり当事者の中で暮らしてきた私の感慨です。
彼らは日常生活のいろいろな場面で、そういう気づきを表してくれました。私は横にいて、それらに驚き、教えられ、おもしろがりながら記憶に留めてきました」(261p)。
もちろん無条件に歓迎しているのではありません。新しい事態への対応は初めからうまく整合性がとれるわけではありません。
人間の自然史的な過程とも言えますし、ひきこもりの登場は社会的動きの大きな流れの一部を構成しており、その流れのなかで社会問題全体の改革というか改善の内容になると確信できるのです。
テーマを「社会的ひきこもりの起源」とするかぎり、このテーマはそれに次ぐ現実の運動課題そのものです。
注目すべきは、この高度成長期以降の時代配分は、ひきこもりに関わって私が取り扱うテーマで細かく区分けされているのではありません。
不登校発生の本格的な転換点をとっても、1980年代中頃以降のことです。すなわち高度経済成長期を終えて10年近く経っているのです。
関係するほとんどすべての問題が時間差をもって表面に出るのは、当然なのです。
他にも欠かせないことがあります。核家族化が進んだというのでは不十分でしょう。
農業型の家業の激減は、同一家族内で構成員の就業先が異なること、親族関係も含めて近隣在住から全国各地に分散していること、これらも同時に影響しています。
ここもまた別に取り上げてみます。