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心の内側を引き出す取り組み

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
2023年7月25日 (火) 09:51時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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心の内側を引き出す取り組み

私は人に何かを教えるのが好きではありません。苦手と言った方がいいでしょう。
反対に教えられる、習うのも好きではありません。これも苦手です。
どうするかといえば自然に見聞きし、いつの間にか身につけるわけです。
そこに個人の思索と学習が加わると思っています。
ハウツー的なものは苦手だと思うのはそういう要素が低いからだと思います。
手順(マニュアル)に従って操作して身に着ける、そういう方法の有用性を否定するつもりはないですが、私は苦手です。
もしかしたら発達障害の表われかもしれません。
これが不登校情報センターの活動にも表れています。
長い期間、不登校情報センターの活動をしていますので、いつの間にか私を不登校やひきこもりの支援者と見る人がいます。
あえてそれを否定はしないのですが、それは私の考えていることとは違います。
ある人が不登校情報センターに通所していた時期のことを書いてきました。
先月号のS.Nくんの手紙です。私から特に何かをされた記憶はないと言います。
確かに私もその人に何かをした記憶はありません。
ひきこもりの人が集まれる場があり、そこに来て知人が出来たので感謝したいとその人はいいます。
この状態を私は「面倒見が悪いところです」と不登校情報センターを紹介してきました。それは事実です。
それでは何をしたのかといえば、場を設定したのです。
そこに集まり、そこに来た人同士が関われる場です。
そこで何かを系統的に教えたことはありません。
小グループで学習会を重ねたことが、いちばん「教えた」に近かったと思いますが、それだって教えるうちには入らないはずです。
場を設定して何をしていたのか? いろいろですが、来た人をそしらぬふりをしてよく見、問いかけられたら答えることです。
ある人が「観察されているみたいです」というので、それは拙いと思って、そしらぬふりになったのです。
いや前々からそうであったのかもしれません。
私からの問いかけもそこに来ていた人による私への問いかけも、私にとって聞く機会になりました。
だから私は集まってきたひきこもり経験者を見聞きし、どちらかといえば学ぶ機会にしたと言えます。私がした中心はそれです。
見聞きの続きになるのは、その人の話の内容や背景を考えることです。
私は書くのが好きですから、いろいろ考えるテーマや機会を与えられたことになり、それを文章化しました。
少し重なるのが、その人があれこれと表現することをひき出すことです。
聞くこととは相手から何かをひき出すことです。
話が多いのですが、イラストやマンガなどの絵画表現もあります。
次は文章表現です。話すだけの人が多いですが、ときに文字・文章で表わす人もいます。
1つの例を挙げましょう。
あるとき、居場所の壁にA4版大の紙にこう書かれていました。
「難しいと恥かしいは類似語です」
どうでしょうか? 意味がわかる気がしませんか。
しかもこれを書いた人の性格みたいなものもうかがえます。
恥ずかしくて表現できない、行動できない…だから難しくなる、というちょっとした気持ちが隠されています。
この人は大胆に表現するタイプではない。
失敗しても、恥ずかしい事態になっても平気というのではありません。
そういうことは避けたい、そんなことにはなりたくないという気持ちがこの言葉には表われているのです。
この言葉から始まって、数年後に『ひきこもり国語辞典』ができました。
ひきこもり経験者の日常あらわれる言葉や行動に、その特色が表われています。
実際にこれが一冊の本になるまでには多くの時間がかかりました。
居場所に集まるいろいろなタイプの人の言葉と行動を集めるのに要した時間です。
これもふり返ってみれば、教える型のものではありません。
反対の引き出す型の取り組みです。
あれこれふり返ってみると、私の取り組み方の中では、人の内側にあるものをひき出す型のものであったと思います。
教える型の重要性を全面的に否定するのはありません。
ただ私は苦手意識もあって中心は引き出す型になったと思えます。
『ひきこもり国語辞典』は、その1つの実例です。
イラストや絵画についても同じことが言えます。
私は誰かにそれらを教えようとしたことはありません。
というよりイラストや絵画は不得意です。
ここで何をしたかといえば、それらの作品の発表の場です。
1つは展示会です。これは何回か行いました。
各自が描いた作品を持ち寄って展示し、見てもらい話し合う機会にする場が展示会です。
今回の「ひきこもりと表現」は私が企画したものではありませんが、波長が合っています。
もう1つは冊子づくりです。1人ひとりの作品を、ミニ作品集とでもいうべき小冊子にしました。
これは個人の描いたカット集から始まり、イラスト・絵画から始まって、個人エッセイ集もできました。個人小説(集)もあります。
これらは冊子という発表のしかたを設けたのが取り組み内容になります。
これら全体を、「ひきこもりと表現」を企画したthe Tokyo U-clubの太田政克さんは戸塚ヨットスクール型の教え込み・詰込み型とは反対の引き出し型と評価してくれました。
そういわれて改めてそうだったのかと理解したところです。
『ひきこもり国語辞典』の中にこういうのがあります。
「聞き上手……私は話し下手(口べた)で話し上手になる自信はありません。
でも聞くことならできるかもしれません。
密かに聞き上手を狙っています」。
これも私が聞いたことばです。

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