「幸せ」の形って?
「幸せ」の形って?
コロナでずっと会えなかった青年に2年ぶりに訪問して会う事が出来ました。
以前にも「内職を始めた」と書いた「彼」のことです。
内職を始めて はや1年以上、彼の丁寧な仕事はとても評価が高かったようです。
しかし、とにかく単価の安い仕事。
1年やって、繁忙期の責任を全うしてやめたそうです。
そして次の段階として自宅でできる もう少し収入が見込める仕事に変えたということでした。
このコロナの時期、同居のおじいさんの介護の手伝いも淡々とこなしてきた彼、彼をはじめとする家族の心優しいケアでおじいさんは先ごろ感謝の言葉を残して亡くなったそうです。
家からは出られないこの時期、彼はそんな経験を乗り越えてきていたのでした。
経験の上に立った彼の「変化」。
しっかりと相手の顔を見ながら自分のこれまでのことと今の状況を淡々と語ってくれました。
その話し方もしっかりと相手に伝わるように語ってくれたことに久しぶりに会った私には大きな変化として映りました。
自分では依然、同じ生活の中で変化が見いだせていたかったようですが、私の目には確かな明るい「変化」として映ったのでした。
そして、次の週、今度はお母様が月に一度の相談日として面談にいらして家の中での家族の生活を話してくれました。
「そんな心優しい彼が家に居てくれて安心だろうな」と感じ、最後に思わずきいてみた言葉「今、幸せですか?」。
それに対してお母様から即座に笑顔で「幸せです」という答えが返ってきました。
相変わらず彼が外に出ることは難しい。
それでも心優しい彼が希望をもって一歩一歩ゆっくりではあっても進もうとしている。
そして家族同士の思いやりの中で生活をすることができている。
そんな日常を彼女は「幸せ」と感じているのですね。
長いことかかって家族という単位で温かい人間関係をつくっている人たちの心からの声として私には響いてきました。
「幸せ」の形っていろんな形があっていいのですよね。
世間が「幸せ」と「認定」している状況とはちょっと違っていたとしても、今の状況を「幸せ」と感じられるって素敵です。
自分もそんなふうに感じられる「柔らかい心」を持ちたいと思ったのでした。