T君のこと
T君のこと
今回はNPOのパートナー(利用者のことをこう呼んでいます)T君のことを書きたいと思います。
彼は25歳、私立中高一貫校に通っているとき学校を休みがちになりました。
クラブ活動での指導などいろいろ重なり高校に進学せずにいました。
そのころに出会っているのでかれこれ10年の付き合いになります。
フリースペースに来て、学生スタッフの指導の下、高認試験合格後、大学受験へと取り組んでいましたが、今は立ち止まり家からもなかなか出にくい状態です。
はじめは主に親御さんとの面談でした。
ご両親で相談し、協力しながら彼の問題に真剣に取り組み、あぶり出された問題を毎月ご両親そろって相談においでになり、3人で話し合うという状態でした。
そのうちご夫婦の仲も風通しがよくなり、その結果として家の中でも彼が安心して過ごせる状態になって元気を取り戻し、本人がフリースペースにも来られるようになってきました。
しかし、大学受験に向けて予備校に通っているときに立ち止まり、一時は全く外に出ることができなくなってしまいました。
その時の彼の言葉が心に刺さりました。
「『人』といると苦しいのにその『人』のいる環境である大学に入るために必死で勉強する今の矛盾した状態がつらい」
彼の辛さをちゃんと心で受け止めていたのだろうかと深く反省させられました。
人が苦手の彼の苦しさの本質であったのに、そして言葉としてはその前にも漏らしていたのに、自分は流していなかっただろうかと。
彼に申し訳ない気持ちにもなりました。
その後は月に一回スタッフや時々私もご自宅を訪問し、彼と話をしてきました。
そのうちご両親の本人の気持ちを尊重し見守りながらも小さな刺激をし続けていたことが功を奏し、少しずつ彼は力を取り戻していきました。
その間のご両親の、家族の力はとても大きかったと思います。
「自分はどんな状態であっても家族に受け入れられ、愛されている」ということが実感できたこの月日だったのでしょう。
その安心感といくつかの小さな刺激が次の行動へ導いたのでしょう。
そして、先日突然彼から「一度そちらに行きたい」と連絡が入りました。
ひさびさの電車旅、それも予備校のあった駅である高田馬場に来ることは彼にとって大きな壁であったことでしょう。
彼の顔を見るまでは本当に来ることができるのか、途中で具合が悪くならないかなどとさまざまな心配が頭をよぎりましたが、一年ぶりの彼は意外に元気そうでした。
そして彼は「今も外に出るのはまだ少し辛いけど、何か家で出来る仕事をしたい」と明るい顔で話してくれたのでした。
少しずつ彼の内にエネルギーが回復してきている様子でした。
彼を見るにつけ改めて実感したことは、人にはそれぞれ自分なりの「その時」があり、それは世間一般の「時」とは当然違うということです。
本人が安心感を持てる環境の中で内から湧き出るエネルギーは確かなものだということです。
その人の人生の主役もかじ取り役もその人本人であるという当たり前の事実です。
この先どこへどう進んでいくのかは本人次第でまだまだ未知数の部分も大きいでしょうが、また新たなエネルギーが彼を導いてくれることでしょう。
彼が自分で必要と考え行動したこの一歩は着実で大きいと感じています。