認知症
周辺ニュース
ページ名 認知症 (福祉のニュース、)
短編映画祭ノミネート作、監督は不登校経験の高校生「この若者の思いは、認知症の人のつらさと同質」
福祉ジャーナリスト町永俊雄さんが語ります。
福祉ジャーナリスト町永俊雄さんが、なかまぁる Short Film Contest 2020ノミネート作品の語りつくせない魅力を文字に託すコラム、後編です。
さて、後編の3作はどれも全く違った味わいのフィルムである。
と言うことは「認知症の語り口」が、極めて多様な時代になったと言うことだ。
認知症を包摂した時代の語り口だ。
包摂とはひとくくりにすることではない。
包摂とはその内部に多様な価値や声や姿を含んでいると言うことだ。
そんな多様な「認知症」を、この後編のフィルム群は、笑いと闇と叫びで描き出す。
あなたは認知症について、どんな語り口を持っているのだろう。
『漫才、しよか』
最近めっきりとぼんやりとする祖父。
何か言えば怒る暴れると家族は困り果てるが、その中で孫娘だけはおじいちゃんはおじいちゃんだと母に言い返す。
この孫娘のポジションがいい。
嫁の立場の母と違ってちょっと距離を置き祖父を見守る。
認知症ではなく、まっすぐ祖父という人間を見る。
思わぬ方向に話は進み、祖父は漫才をしようと言いだし、孫娘もそこに参加せざるを得なくなり、ついには地域での発表会にこぎつける。そんな物語。
達者な漫才シーンもさることながら、ここにあるのは認知症の祖父を「困った人」ではなく「困っている人」と見る孫娘の視点がある。
そこから祖父の「やりたいこと」の発見につながり、その漫才修行をする中で、孫娘は、祖父に対し「オニ」と軽やかに言い返す関係性を育て、
ついには孫娘は祖父に対して「先生」としての立場を与えることで、家族は回復する。
ここには、「認知症とともに生きる社会」の全てが込められたおかしくも真実のテクストがあると、私は思う。
『Chained』
ダークな始まりは、クリストファー・ノーランを思わせる。
この映像物語は、解釈を拒否するだろう。筋も追っていくことに意味はない。
あえて記せば、ある日、チェーンに縛られた女性が殺害されたというニュースがあり、それを聞くこともなく耳にしていた認知症の老女のところに謎の女性が現れる。
彼女は首にチェーンを巻いており、そこから老女とその娘との不思議なやりとりが始まり、何かを感じ取った老女が息子へ何かを働きかける。
メタファーに満ちた物語はよくわからない。が、感じ取れる何かは重い。
認知症専門医によれば、医療者は当然ながら認知症ではないので、その限界とは他覚的にしか認知症の世界を窺えないことで、本当の認知症の世界はほとんどわからないのだと言う。
私たちはとかくわかりやすく心地よい物語で「共生社会」を言うが、わかり得ない他者とこの世界に共存することのいばらの道をどう思っているのだろう。
ソクラテス以来の叡智とは、わかると言うことは何がわからないかをわかろうとすることだと言う。
私たちは人間の存在の分かり得ない畏怖の中でどう生きるのか、そんな問いかけも秘められている。
ちなみにchainedとは束縛するの意である。
この社会は差別偏見を含め、今なお「認知症」への束縛を解いていない。
終盤、床に解かれたチェーンが映し出されるワンカット。その暗示とは……。
『蝉の声、風のてざわり』
この作品がノミネートされたことは、このコンテストの見識を示したものだろう。
認知症の「普遍」を若い世代が鮮烈に描く。
映像に蝉の声が重なる。蝉の声とは「日常」である。
そうした日常のあたりまえに埋め込まれたつらさをストレートに発信する。
登場するひとりの高校生は、自分でもわからない不安の中にいる。
自分が自分であることへの鋭角的な疑問と感性に自分を制御できない。
痛ましい青春の断層。誰もいない校舎でついに彼は叫ぶ。
「オレはオレでいいんだ!」
校舎のガラスは割れ、建物は吹っ飛ぶ。
私が私であることの困難な時代である。誰かの価値観を押し付けられ、生産性と効率で評価され、他の人と同じであることを求められる。
この若者の思いは、認知症の人のつらさと同質だ。
どんなに進行し重度化したとしても、その人がそこに「いる」ことを認めなければ、人間の尊厳も人権も失われた社会になる。
「オレはここにいる!」
校舎のガラスが割れ建物が吹っ飛ぶのは、この社会をぶち壊すようにして変革を求める彼の声だ。作者は不登校経験の高校生だという。
全てのつらさと困難の中の人々の思いを一心に込めて、魂の絶叫。
「オレはオレでいいんだ!」
このショートフィルムにはどこにも認知症は出てこない。
認知症はすでに認知症だけでは語ることができない。認知症だけを切り出して語るのはどこかに問題化する意識がある。
私たちは認知症の人と、あるいは子どもや障害のある人やひきこもりや不登校の若者とともに、コロナの時代の新たな「人間」の社会システムを共創する。
このフィルムはまさに当事者発信として心揺さぶるメッセージだ。
「蝉の声、風のてざわり」、忘れていたこのナイーブな人間の感覚を取り戻せるか。
〔2020年11/15(日)11/15(日) なかまぁる 町永俊雄〕