長野県長野西高等学校 通信制課程 望月サテライト校
長野県長野西高等学校 通信制課程 望月サテライト校
所在地 | 長野県佐久市 |
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TEL | |
URL | https://www.nagano-c.ed.jp/msate-hs/ |
【特集】石巻から信州へ…17歳“心の成長” 震災やいじめの経験を乗り越え 将来は「野菜農家に」
白菜を収穫する高橋郁哉さん
特集は宮城県石巻市から信州へやってきた17歳の「心の成長」です。
震災やいじめを経験し、心に壁を抱えていた少年が、一人で長野県佐久市へ。
農業で汗を流しながら高校の通信制で学び、今、将来を見据えています。
ハクサイの収穫に精を出す、高橋郁哉さん17歳。
高橋郁哉さん:「農業やってるからこそ、学べることが結構あると思う」
信州に来て3年。体も心も、たくましく成長しています。
全壊した石巻市の実家
郁哉さんは、宮城県石巻市の出身です。
東日本大震災が起きたのは、小学校2年生の時。今も「海を見るのがつらい」と言います。
一家5人で暮らしていた自宅は、津波で全壊。長く仮設住宅で暮らしてきました。
郁哉さんは小さいころから物の名前が覚えにくく、人とうまく接することができない傾向があり、医師とも相談していました。
それが原因となって、小学校高学年の頃には、周囲からいじめや嫌がらせを受けるようになります。
高橋郁哉さん:「なかなか人とうまく話せなかったり、同級生から嫌がらせを受けたり、そういうことたくさん受けてきたので、自分でどうすればいいかずっと困惑してた。
自分で壁を作っちゃう。小学校の時より中学になってから、人の前に壁を作る」
中学2年のころの郁也さんと父・正人さん
徐々に作られていった「心の壁」。中学2年生になると、学校を休みがちになりました。
家族も悩む中、「転機」が訪れます。
高橋さんの家に来ていたボランティアの男性が、「信州の農家に預けてみては」と提案したのです。
「『心の壁』を克服したい」。郁哉さん自身も、そう考えていたところでした。
高橋郁哉さん:「あんまり人の目を気にせず正々堂々と、たくさん人がいる前でも話せるようになれたら」
土屋岳さん(左)と郁也さん(右)
中学を卒業後、郁哉さんは紹介された佐久市の土屋岳さんの家へ。農業を手伝いながら、長野西高校の通信制で学んできました。
郁哉さんの受け入れ先・土屋岳さん:「きょう学校どうだったの?」
高橋郁哉さん:「きょう学校授業なかったので、英語の課題をやっていました」
子どもたちのスポーツクラブを運営する土屋さんは、過去にも引きこもりの少年を預かった経験がありました。
郁哉さんの受け入れ先・土屋岳さん:
「(当初は)なかなかうまく話したり、関わったりできない。とにかくいろんなことを体験させようと思っていたので。
人がたくさんいるところには無理でも連れて行こうと思ったので、地域のお祭りだとか人が集まるところには常に連れていく。
当時はすごく神経使うので、おなかをこわしたりってこともあったけど、自分で直そうと思って来ているので嫌だって言わない。
体調崩しても嫌だって言わない、そこがすごいと思う」
心の壁を「克服したい」という希望は、いつしか「克服する」という意志に変わっていました。
高橋郁哉さん:
「自分からあいさつ『おはよう』とか『こんにちは』とか何でもいいから、ひと声相手にかけるだけでも違ってくる。自分から何か話しかけてみる。
それが一番いいんじゃないか。100パーセントではないけど少しずつ自分から佐久平の人の集団の中に入れたり、少しずつ自分の中でも成長してきているなと」
1年後、郁哉さんは土屋さんの家を出て1人暮らしを始めましたが、今も週6日、農業を手伝い生活費に充てています。
土屋さんは、農業も郁哉さんの成長を助けていると話します。
郁哉さんの受け入れ先・土屋岳さん:
「(農業は)人の成長の助けにもなる仕事じゃないかな。
命をつくっていくっていうか命を育てていく仕事は、人間にも少なからず良い影響を与えていくのかな」
アパートでの1人暮らしも取材させてもらいました。
自炊して1年余り。手際よく昼食を作ります。この日は、土屋さんの畑で採れた白菜でキムチスープを作り、二十日大根のサラダを添えました。
高橋郁哉さん:
「他の店に売っている白菜では味わえないような甘みが広がっていて…」
食事のあとは勉強。
この春、アパートに近い「望月サテライト校」に移りました。すると、そこへ…。
郁也さんと父・正人さん
「久しぶり、元気してた?」
父親の正人さんです。石巻市から車で10時間かけ会いに来ました。
本当は4月に来る予定でしたが、新型コロナの影響で延期していました。4カ月ぶりの再会に会話が弾みます。
父・正人さん:「自粛期間中どうだった?」
高橋郁哉さん:
「自粛期間中、いつも通り仕事やって。4月に始まる予定だった学校も、5月の中旬からいつも通り始まって」
信州に来ておよそ3年。不登校の頃を知る正人さんにとって、今の郁哉さんは…。
父・正人さん:
「別人なんですよ、まるで別人になった。本人のもともと持ってる良さが前面に出ている。
昔からちょっと一風変わった子なんですが、この子にはできないとか、この子には無理なんだろうなと、意識をどっか持ちながら関わってしまったという反省すべきところがあった」
17歳になった郁哉さんを正人さんは温かく見守っています。
長野放送
父・正人さん:「進路に関してはしばらく期間空いたけど、どう考えてるの?」
高橋郁哉さん:「信州大学の農学部に」
父・正人さん:
「お父さんから見るとすごいハードル高いよな。飛び越えられるハードルの高さまで自分が上がっていかないと。
乗り越えられるハードルの高さまで勉強がんばるしかないよな」
農作業に勉強。郁哉さんは将来を見据え、たくましく成長しています。
高橋郁哉さん:
「信州大学に向けて勉強はもちろんですけど、仕事の両立もしなくてはいけないので。
大変ですけど、自分ができる限り、この2つを両立できたらいいな。今、土屋さんがやっているように、野菜農家を大学出て、一生懸命にやっていけたらいいな」
〔2020年6/28(日) NBS長野放送〕