Center:160ーキリスト教の現世的社会史を読む
Center:160―キリスト教の現世的社会史を読む
〔2013年9月23日〕
『キリスト教 2000年の謎』(小坂井澄、講談社新書、2000年)を入手し、読み終えました。
なかなかの好著でした。
ついでに以前に読んだ『原始基督教史(エンゲルス)・基督教の成立(カウツキー)』(喜多野清一・訳、岩波新書、1929年)を引っ張り出しました。
旧仮名遣いのかなり読みにくいものです。
それで前に図書館に行きF.エンゲルスのものは『マルクス・エンゲルス全集』からコピーしていました。
エンゲルスのものは3作あります。19巻に『ブルーノ・バウアーと原始キリスト教』(1882)、21巻に『黙示録』(1883)、そして22巻『原始キリスト教史によせて』(1894)です。
22巻が岩波文庫版の新訳にあたります。
喜多野清一さんによると19巻の『ブルーノ・バウアーと原始キリスト教』は『ブルノー・バウエルと原始基督教』としてカウツキーの『基督教の起源』とともに1929年の時点で既に邦訳されています。
カウツキー論文の新しい訳本はなさそうです。
喜多野清一さんの「訳者例言」によると、「ここに歴史のマルクス主義的研究方法の具体的好適用を見出す」ものです。
小坂井澄さんは著者紹介によると「聖公会神学院(旧専)、立教大学文学部中退。出版社勤務ののちイタリアでの修道院生活を経て、ノンフィクションライターに」となります。
マルクス主義者ではなさそうですが、キリスト教の現世的な歴史的な位置をうまく解説しています。
小坂井澄さんの本には残しておきたい言葉が厳選してもいくつかあります。がやめましょう。
引用文のなかにボンヘッファーの「神という作業仮説なしにこの世で生きるようにさせる神こそ、われわれが絶えずその前に立っているところの神なのだ。神の前で、神と共に、われわれは神なしで生きる」の言葉がどういう状況で書かれたかを教えてくれます。
ナチスに対する宗教的な抵抗の無力感から出たようです。
名言とはそれは言った状況を抜きに並べても意味は薄まります。
私は、やはりF.エンゲルスを見てしまいます。
「キリスト教は発生時には被圧迫者の運動であった。
それが最初に現われたのは、奴隷および被解放奴隷の、貧者および無権利者の、ローマによって征服または撃破された民族の宗教としてであった。
両者は、キリスト教も労働者社会主義も,隷従と困窮からの到来まぢかい救済を説く。
キリスト教はこの救済をば、死後のあの世の生活に、天国に、社会主義はこの世に、社会の変革におく。…」