Center:2005年1月ー自立指向と文化的変化
Center:2005年1月ー自立指向と文化的変化
〔2005年1月17日〕
個性的な人を幅広く受け入れている西洋文化圏では、精神的な異変に気付かないままでいる人が多いように思います。
精神的な異変とそうでないのとの境界というのは細い一線で分かれているのではなく、かなり幅のあるベルトのようなところだから、そのベルト上にいる人が異変の側に追いやられる文化圏が、たとえば日本のような価値基準の幅が狭いところ。
西洋的文化圏の多くでは、その幅のあるベルト上にいても、異変の側に追いやられることが少ないということになります。
河合隼雄さんがどこかで語っていたところによると、日本では精神的におかしいといわれるような人のなかには、西洋的文化圏の中では、そのようにみられることはない人もいるらしい。
河合さんは、そのような人には条件環境がゆるされるなら、西洋的世界で生活した方がいいといっています。
一理はあると思いますが、日本においても、そういう人が精神的に追いこまれないような社会環境をつくるのが、より基本的な条件になるのではないかと思います。
強いストレス状態や、ひどい労働環境・生活条件においてもあまり抵抗感をもたずに、それに適応するというか、安住しているというか、盲目にしたがっていくタイプの人もいます。
逆にいうと自立度(指向)の高い人が、精神的にはおかしくみられることにもなります。
たぶん近年の社会の変化のなかで、自立指向の高い人が多くなっていて、それが精神的なストレスを表現しやすくなっている面があると思います。
日本社会の西洋化と一面的に評価できるわけではなくて、日本型であるが、自立性のある人が増加した、それが精神的な異変のある人を生んでいるわけです。
このことは日本社会が基本構造の面で変化していることを感じさせます。
この日本社会ということばは、日本的文化圏の変化ということばに変えてもいいでしょう。
全体を鳥瞰図的に見ると、日本社会(文化圏)の変化があり、自立指向の人が増えています。
ところが、価値基準の面での受け入れの幅が狭いものだから、自立指向の強い人は、その狭い枠内に追いこまれるのに抵抗感をもってしまいます。
それがストレスになって、精神的な自立を求める一方で、精神的な漂流状態になります。
引きこもりというのも、そのなかの一大潮流ではないでしょうか。
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