こころを扱う脳と心臓の関係(まとめ2)
こころを扱う脳と心臓の関係(まとめ2)
〔2014年11月16日〕
これをまとめた本は『しなやかなポンプ 心臓・血管』(『驚異の小宇宙 人体』シリーズ2、日本放送出版協会、1989年)です。
人工心臓を持つ人がどういう状態になるのかの実験で確かめられ、インタビューに答えた内容はこうです。
人工心臓では、運動してもすぐには汗をかかず、精神状態の変化にも心臓がすぐには対応しなくて「本当に興奮すると、まるまる1分間ぐらい、心臓がどこかに行ってしまったように感じることがあります」(75ページ)。
普通の心臓の場合は逆に運動が始まる前から影響が出ます。
「これから起こる事態を予感したように心臓の鼓動は速まりはじめる」のです。
これは「心臓と全身との対話」とされます。
「非常に敏捷な動きをスムーズにこなすため、動物は進化の過程で心臓と全身の高度な対話システムを獲得してきた。その対話は交感神経と副交感神経を通じて行なわれる。
そして、心臓へ伸びる交感神経と副交感神経は、上部で脳とつながっている。
人間の大脳―それは、他の動物と比べると異常なまでに発達し、複雑な精神活動を行なう臓器である。大脳は心をつかさどり、心の動きは自律神経をとおして心臓に映し出される。心と心臓の対話は,優れて人間的な問題である」(79ページ)。
もう少し続けます。
「人間は他の動物に比べて大脳が格段に発達している…精神活動、つまり心の動きが心臓の拍動におよぼす影響が非常に大きい。
人類は、長いあいだ心の座が心臓にあると思ってきた。それだけ心臓が心の動きを鋭敏に反映しているからだ。…まことに心臓は「心を映す鏡」である」(80ページ)。
これにより脳と心臓の関係をある程度は了解することができます。
これらが正統派の解剖学や生理学の延長線上にあるのに異を唱えないことにします。
それに加えて、次の点も「メンタル相談施設の適合基準ノート」には欠かせない視点です。
『アーユルヴェーダの知恵』においてはこう書かれています。
要点のみを引用するとこうなります。
「医学とは病気を治療するための科学であり」(25ページ)、アーユルヴェーダは「健康を扱う医学」(26ページ)です。
身体の様子を、病気の視点ではなく健康の視点に目を向けると意味が違ってくるのです。
ここではアーユルヴェーダを取り上げましたが伝統医学、代替医学、医療類似行為、各種療法などの一部に広範に見られることです。
それらの療法のすべてを肯定するのではありません。
マガイモノやとんでもないもの、科学を装った悪質なもの含まれます。
しかし、医学以外の全体を非科学的として無視するのは社会の現実・人間の真実を無視することになりはしないでしょうか。
『人類生物学入門』ではそのあたりをこう表現しています。
「正常なものというのは、本来変異あるものであって、決して正常値あるいは平均値のみで表現できるものではない。…人間の個体的変異が大きいこと、いいかえれば個体性が強いことがあげられよう。一つの刺戟に対する反応についても、人間の場合は他の動物よりさらに反応がまちまちである。…
警戒しなければならないこととして、医学から発した人間の科学はしばしば、成果をはやく求めたがり、優生学に堕する可能性が強い。しかし、人間の評価、あるいは道徳というものは、医学教育のなかからは決して生まれてくるものではない。
著者は人間の科学における医学の地位を非常に高く評価するがために、あえて医学が性急に結論を求めないことを心から祈る」(6-7ページ)。
これは私の考えていることときわめて近く、医学にも偏りがあり非科学が潜入するのを警戒する言葉です。
最後に、これもある本からの引用です。
「ひとたびこのことを確認したら、…この側面にはもはや一刻もとどまらないことにしよう。
…空想の覆いの下からいたるところで顔を出している…天才的な思想の萌芽や思想を喜ぶものである」(F.エンゲルス『空想から科学へ』1880年・寺沢恒信・訳、国民文庫・1966年、63ページ)。
エンゲルスは空想的社会主義をこのように扱いました。評価した点は省きます。
私が意図することとは同じではなく反対側から事態をみたものです。
精神的には同じといえるでしょう。西洋医学だけではなく、伝統医学、各種療法などに心の活動を助ける多様な方法を見つけようとする試みです。
「メンタル相談」ページはそれぞれの場でそれを探究するのを情報収集の形で紹介するのが目的といえるでしょう。