Interview:不登校情報センターの設立
不登校情報センターの設立
今振り返ると「人生のターニングポイントだったなー」という事があれば教えて下さい。
〔2012-03〕
60歳を過ぎると一つのターニングポイントというのが摘出できなくなりました。
もちろん私の場合はという意味です。
人生の決定的なターニングポイントというよりは重要ないくつかの角を曲がってきたという感じになります。
それを考えてみました。
18歳で山陰の田舎から大阪に出て働き始めたときは最初の曲がり角です。
毎月の給与がもらえて、がんばり続けていた母の負担を下げられるようになりました。
月の給与は15500円でしたが、1年ぐらいは毎月1万円を渡していました。
1年後、夜間大学の近くに一人住まいをするようになり、母への渡す額は減りました。
28歳のとき、大阪から東京に移りました。
ある目標がありそれを目指すことにしたのです。
仕事は東京に出てから探すつもりでした。
これが意外と決まらず苦心しましたが、大阪時代に経験した医療事務により職を得ました。
医療事務は合計で約16年です。
医療事務としての医療現場にいた経験は今の仕事に役立っていると思います。
33歳で結婚し、翌年妻の父が経営する出版社に入りました。
編集は私にとって2つ目の本格的な職業です。
編集の経験は医療事務以上に今の仕事に役に立っていると思います。
私の子ども時代からの趣味はどうやら事典づくりのようです。
それは医療事務のときも途切れることはなかったのですが、編集になるとより直接に結びつくものになりました。
編集は合計約16年です。
編集が医療事務よりも役立っているというのはおそらくは私の年齢、経験の蓄積によることが大きく作用しています。
無我夢中であった時代から、少しは周りの様子を見ながら情報を得、判断していくようになったものと思います。
49歳のとき(1995年)、不登校情報センターを設立しました。
これを職業としてどう表現すればいいのかは難しいです。
対人関係の困難をもつ人の支援をする活動です。対個人サービス業の一種なのかもしれません。
立ち上げた組織は途中から「ウェブサイト運営業」となります。
2005年から法的な性格はNPO法人です。
不登校情報センターは16年を越えたところです。
自分の主体性がそのまま反映するという意味では不登校情報センターと私との一体性は強いはずです。
私自身が不登校情報センターになるしかないのです。
その意味で最大のターニングポイントは不登校情報センターを設立したときかもしれません。
ですがそれは何の儀式もない個人的な決心のときでした。
傘