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Interview:大学病院の事務職員

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2016年2月6日 (土) 15:33時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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大学病院の事務職員

社会人になりたての頃のエピソードなどを聞かせてください
〔2012-01-03〕
18歳の高校卒業後、すぐに仕事に就きました。
1964年の春、大学病院の事務職員でした。
1年目は見習いみたいなもので、初診患者の受付です。
朝、受付を開けると窓口に数十人が並んでいます。
窓口は2つありその一つが自分の担当です。
どう始めたのかは何の記憶もありません。
当時は高卒生は学生服のまま仕事に就くことも珍しくなく、職場に着くとお仕着せの事務服に着替えました。
最近では考えられないことかもしれません。
午前はその受付と料金計算、午後は先輩職員について各診療科の保険請求事務の手伝いです。
大学病院であり診療科は10指を超えます。
当時パソコンはもちろんコピー機もなく、保険請求書は全部手書きです。
はじめは計算はソロバンだったのですが、数年して電卓が普及してきました。
医療事務というのも今日のようにテキストはなく、教えてもらう教室もなく、もちろん資格制度はありません。
先輩職員のすることを見よう見まねで覚えていくわけです。
それでも外来診療科はさほど複雑な医療内容はなく、ただ件数が多いことが大変でした。
照合するためにカルテ(診療記録)を見せてもらうのが楽しみの一つでしたが、いろんな理由で読めない・わからないこともありました。
いまどきの人は気づかないかも知れませんが、当時は土曜日は半日勤務でした。
祝日も現在よりもかなり少なかったと思います。
私は同時にその大学の夜間部の学生でした。
はじめの2、3か月は何とか始業に駆けつけましたが、それも遅れがちになり、夜の9時過ぎに到着することが多くなりました。
よく言えば苦学生でしたが、半分以上は授業に出ないうまい口実にしたように思います。
大学病院であり,いろんな診療科をのぞき、看護婦、検査技師、薬局の先生、医師からもときどき話しを聞かせてもらいました。
法医学の職員からはめったに聞けない話も聞けました。
時間の過ぎた遠い昔のことですが若かったからできたことです。
へまをやっても大目に見られたハズです。
それはいまの若い人に対しても必要なことではないかと思っています。

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