Center:2001年1月ー“兄貴分”にも相談相手の役割
“兄貴分”にも相談相手の役割
*「進路指導のはざまで」『中学教育』2001年2月号。
私立中学2年の康之くんは小3の妹と2人兄弟です。2年生になった4月に数日登校したきりで、学校を休んでいます。お母さんが相談に来たのは6月の終わり。中学高校6年制で「このままでは中学校は卒業できても、高校へは進学できない」といわれている、ということでした。 康之くんの様子をいろいろ話してくれました。おとなしくて自己表現することが少ない。それがコンプレックス になっているし、ストレスになっているらしい。夜になるといらいらして、壁やモノに当たる。小学校時代からの友達が何人かいるが、自分から声をかけること はなく、ときどき呼びに来てもらっている。勉強は気にしているようだが、だからといって、何かをしているほどではない。自己嫌悪になっているのではない か……。 4月から休み始めてまだ3か月。おそらく康之くんには休む意味があるのでしょうが、実は私にはその背景らしいことが何も見えません。登校をすすめられる状態とも思えません。登校をすすめる以外で何かやってみること、という漠然とした話で終わりました。 2回目の相談は9月中旬でした。初めは夏休み以降のことを話しまし た。夏休みは規則正しい生活で、朝早く起き、家の周りをジョギング。午前中は時間を決めて机に向かう。しかし2学期が始まると昼12時ごろ起きてきて、生活が崩れている……。前回のときとあまりかわらないと思ったのです。 相談の途中、「実は……」とお母さんの話の内容が変わりました。夫婦仲が悪く、現在夫とは別居中。子ども2人は母親の元にいる。去年の秋、夫が家庭内で暴れ、警察に来てもらったが、康之くんにはそれがショックになっていると思う。 話しは複雑でしたが、霧が晴れていくように康之くんの心に起きていることがわかる気がしました。その表現も また難しいのですが、子どもにしては事態を動かすことのできない無力感、家庭が居心地のよい場所から壊れていくも喪失感、父母(特に父)への不信と不満、 それらをぶつけていく対象の不在。話していくことで問題がはっきりしていくのに、そんな条件がないなかでいろいろなことが雑然と混在して、気持ちの持って いきようがないのでしょう。 康之くんの“兄貴”として高谷くんという学生が訪問することになりました。家庭教師をかねた相談相手です。高谷くんは19歳、5歳年上です。役割は事態の解決者ではなく、“兄貴”です。 お母さんが働いている間に訪問することもあります。ときには居留守で会えないままがっかりして帰ってくることもありました。 高谷くんから「ぼくじゃダメじゃないですか?」と電話をもらったこともあります。 11月末にお母さんが来ました。 高谷くんに「ぼくの訪問でいいんでしょうか」と言われ、康之くんが「来なくなるのか?」と心配しているとい うのです。「私が見ていない康之を、高谷くんから教えてもらって心強いんです」とも言っていました。この場合高谷くんは、康之くんを元気づけるという現在 の進路問題にいちばん実質的な役割を果たしているといえるでしょう。高校入試が1年後で、時間かあるのが救いです。