Center:(11)「被害者意識は自分を正当化できる」
(11)「被害者意識は自分を正当化できる」
「被害者意識は自分を正当化できる、そうしないと自分を守れない」という人がいました。
自分に関わりのあるところで何か事件がおきた、あるいは何かが生まれた。
あるいは自分が引きこもっている。
そういうときにその要因、原因、背景をみていくと、それらにも自分が関係している気がしてくる。
それを感じると自分が不安になる、自分を維持することができにくくなる。
そういうときに自分の精神的な安定を図る方法にはどんなことがあるのだろうか。
それを“責任”ということで表現するなら、その“責任”は自分で負える範囲でしか負うことはできない。
しかしそれを被るとなると自分がつぶれるような気がする。
このように“責任”を被ると自分が維持できなくなる気がするというのが、精神的自立の低さを表す一つの状態なのです。
それは“責任回避”とは同じではありません。
しかし、両者は重なっている部分もあり、必ずしも明確に仕分けされるわけではないのです。
この状態の低レベルの精神的自立においては、自分に被さる“責任”を回避させようという心理的作用が生まれます。
自分以外の人に責任がある、自分とは無関係の事情に原因がある、とするのはその一つです。
その延長線の先にあるのが、自分を被害者の立場におき、責任負担から距離をおき、精神的な安定を保とうとするのです。
そこでは、客観的な事実の評価によって、原因や責任を明確にすることよりも、精神的安定を維持することを前提に、事実の評価や原因の究明が図られることになります。
それはゆがんだものになりやすいでしょう。
だから、そういう状態である人にその事実の原因や責任を求めるのは、無理があるし、場合によっては間違いでさえあります。
自分の欠点を認める、自分の失敗を認める度量は、精神的な自立がある程度できていないとできません。
自分の責任を認める、あるいは自分の役割を受け入れたうえでその行動に責任を負えるのは、精神的自立のある程度の達成があり、それに比例することのように思います。
したがって、被害者意識によって自分を正当化する、そうしないと自分の精神的安定が保てないというのは、精神的自立が低いからできていないということの一つの証明でもあるのです。
被害者意識によって自分を守ろうとしているように見える人には、その不当性を指摘するやり方は適当だとは思えません。
精神的自立を高める方法を選ぶことが、より適格な道だと思います。
被害者意識で自分を正当化しているのではないか、と感じる人がいたら、その人はそこから抜け出す手前にいます。
それだけの精神的自立を得たということでもあります。
そう感じられるようになったら、そこにふみとどまり、真の要素を見つめる勇気をもってほしいです。
必ずしも自分に責任があるわけではないでしょう。
でも自分が責任があったと考えられたら、自分にできることからその解消をめざして少しずつ進んでいくだけです。それができることではないかと思います。
一気に全てを解決するだけが道ではありません。
〔3〕コミュニケーションの場
(1)「受け入れの保証を求め、確認する」
(2)「受け入れを求められたBさん」
(3)「確認を求める行動の意味」
(4)「基本的な社交性」
(5)「常識のある人との友人関係を求める」
(6)「本人のもつ力による」
(7)「何でも話し合える友達を募集」
(8)「絶対に自分を裏切らない人」
(9)「心を開けば引きこもりから抜け出せる」
(10)「引きこもりは自意識過剰なのだから」
(11)「被害者意識は自分を正当化できる」
(12)「自分を受け入れる」
(13)「いまいるところが出発点」
(14)「優柔不断であること」
(15)「迷惑をかけることになる」
(16)「断れない」
(17)「言いたいことを言えない」
(18)「相手との間に壁があると話しやすい」
(19)「親しくなるとつきあいづらい」