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人生はガチャの連続である

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2023年3月25日 (土) 23:41時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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人生はガチャの連続である

「親ガチャ」という言葉が一時期ネット上で流行りました。
これは子どもが生まれてくる時に親を選ぶことができず運任せになってしまうことを、ゲームや玩具のガチャになぞらえた表現です。
それを単なる自分の努力不足に対する言い訳であると断じるのはいささか乱暴です。
実際、お茶の水女子大学の発表した「平成 29 年度 学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究 保護者に対する調査の結果と学力等との関係の専門的な分析に関する調査研究」では、親の収入や学歴が高いほど子どもの学力が高くなる傾向にあることが示されています。
また、子どもへの教育やしつけという言葉では説明のできないような度を超えた仕打ちをする「毒親」の話も耳にします。
それだけですべてが決まるというわけではありませんが、子どもの「ガチャ運」の良し悪しで人生が大きく左右されてしまうのです。

話は変わりますが、私はこの夏のあいだ短期のアルバイトをしています。
大きな公園の駐車場で駐車券を売ったり、お客さんの質問・要望に対応したり、障害者手帳を提示したお客さんの車を障害者スペースに誘導したり……といった仕事です。
特別難しい仕事ではありませんが、日を遮る屋根のない炎天下の駐車場での仕事なので、体力的にはなかなか過酷です。
それ以外にも以前からのひきこもり訪問の仕事も並行して続けているので、この夏はほとんど休日がなく、かなり忙しい日々を送っています。
そんな毎日なので身体にはかなり疲労が溜まっていますが、精神的にはそれほど辛くはありません。
むしろ、このバイトを始める前よりも元気なくらいです。
以前働いていた時は一ヶ月もしたらあまりに辛くて世界が灰色に見えたものですが、その頃とはえらい違いです。
なぜこうまで違ってくるのか。
その理由は、正社員とバイトの責任の重さや純粋な仕事量の差などもありますが、一番大きなウェイトを占めているのが一緒に働く仲間です。

今回、現場責任者の社員さんからは「一緒に働いてもらう方は皆さん65歳以上で、それぞれの社会経験から礼儀に厳しい方もいると思うので気を付けてください」と言われていました。
ところが実際に働き始めると、皆とても親切な方で、不慣れな私を気遣ってくれました。
ミスをしても「次はこうしてください」とはっきり対処法が示されるのみで、感情的に声を荒らげて注意されるということはありません。
それだけだと私の性格上、自分の存在が足手まといになっているのではないかと落ち込んでしまう所なのですが、ミスをするのは私だけではありません。
私が他の方のミスをフォローする側に回ることもあり、そういった持ちつ持たれつの関係性はとても居心地の良いものでした。
また、客商売の宿命としてときどき変なお客さんもいて、理不尽な目にあうこともあります。
そんな時でも仲間同士お互いに雑談の形で愚痴を吐き出すことによってストレスを溜め込まない体制が自然と出来上がっていました。
それでもストレスが全くないということはありえないのですが、これだけストレスを減らすことが出来ていれば残りは私の中で消化、あるいは受け流すことができます。

対して以前の職場では私の上司である女性のヒステリックに怒る声が聞いていてとにかく辛かったことが強く記憶に残っています。
怒られている対象が私でなくても、その声が私の心をえぐっていくので、心の中で「もう勘弁してくださいよ!」と何度も叫んだものです。
ミスを責められるのは仕方ないにしても、どうすればよかったのか聞こうとすると「また言い訳するのね」と発言を封じられ、何の改善策もないまま「以後気を付けます」と言うしかないのは今思い返してもおぞましい記憶です。
ただ、彼女のことをあまり悪く言いたくもありません。
単に私とはまったく違う価値観で今まで生き抜いてきた方なのだなと思うだけで、それを否定する資格は私にはありません。
同時に、二度と会いたくないとも思いますが……。

今回と前回の職場で何が違ったのか。つまるところ今回はガチャ運が良かったということです。
結局職場の人間関係の良し悪しも、実際に働いてみなければわからないことですし、自分が努力したところで他人の性格を変えることなどできません。
求人サイトに、「明るくアットホームな職場です」と書いてあることはあっても、「パワハラ上司がいます」と書いてあることなどあり得ません。
能力や実績によって給与や待遇面が変わることは当然であり納得も行きますが、上司や同僚によって労働環境が大きく変わり、それによって退職に追い込まれることもざらであるというのはどうにも理不尽で納得しかねる所です。
ですが、ガチャというのはそういうものです。
もっと突き詰めていくと、人生において対人関係はガチャの連続であるという事実に行き当たります。
住んでいる家の隣人、学校の先生やクラスメイト等も自分で選ぶことはできず、運任せにならざるを得ません。
友人や恋人など、より深く付き合う人物は自分で選ぶこともできますが、自分と合わないからと言ってその人をまったく相手にしないというのは現実的ではありません。
ただ、ややこしいことにこういった「対人関係ガチャ」は「親ガチャ」と違って100%運否天賦というわけではありません。
自分の普段の心がけ次第で避けられるトラブルというのもありますし、周囲から煙たがられているような人とも仲良くなれるかもしれません。
そういう所が人生の厄介な所であり、同時に面白い所でもあるのでしょう。
……私自身は全然面白いと思えないですが。
また、もうひとつ「親ガチャ」と違うのは何度でもやり直せるということです。
嫌な教師やクラスメイトに当たったら転校すれば良いですし、合わない上司や同僚と当たったらやはりさっさと転職すれば良いのです。
ガチャでハズレを引いたとしても、試行回数を稼いでいけばいずれはアタリが引けるはずなのです。

とはいえ、自身の環境を変えるには大きなエネルギーが必要になります。
それにハズレを引き続ければ凹みもします。
「また今回も駄目だった、きっと次も駄目に違いない。
それならガチャを引くだけ無駄じゃないか」と思う人がいたとして、誰が彼を責められるでしょうか。
と言いたいところなのですが、実際には責めてしまう人もいますね。
それも無自覚に。「今回は駄目だったけど、また次頑張ればいいじゃない!さあ立ち上がって、もう一度ガチャを引いて!」という具合に。
たしかに、言っていることは正しいのです。
ですが、立ち上がってガチャを引くためのエネルギーが枯渇している人に言って良い言葉ではありません。
何度やっても駄目だった、次も駄目かもしれないと思っている人に対して、あまりに配慮に欠けた態度だと言えます。
その人の絶望、不安に寄り添わずに無邪気に正論を吐く行為には何の益もありません。
結局、自分で再び立ち上がるまで周囲は見守ることしかできないのだと思います。
私自身の話に戻りますが、今回はハズレを引いてもどうせ一ヶ月の辛抱だからと思えるように短期バイトを選んだのに、そこでアタリを引いてしまうあたりツイているのかいないのか。
とはいえそのおかげでエネルギーは十分残っているので、近いうちにまた次なるガチャに挑戦してみたいと思います。

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