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ヤスパースの了解心理学
〔2011年4月16日〕
事物の原因・結果を明確に把握する因果関係による理解とならんで、了解的関係が心理学はもちろんいろいろな分野に通用していると思います。
その意味と限界をはっきりさせておこうと考えました。
了解心理学についてK.ヤスパースの『精神病理学原論』(西丸四方・訳、1971年、みすず書房。ただし原著作は1913年)が手元にあったはずですが、なぜか見つかりません。
ある程度はわかる『精神分析入門』(宮城音弥、1959年、岩波新書)にある「引用文献」を参考にしてみました。宮城先生はヤスパースをヤスペルスと表記しています。
「精神分析が一種の了解心理学である以上、その了解または、その不完全な形の解釈の正しさは何によって保証されるのか。ヤスペルスは《了解の明証性は窮極のものである》という。
しかし、それが個々の場合に勝手なものになりやすいことは、分析するものが自分の想像によって、分析されるものの気持ちをつくり上げることは否定できない。多くのフロイトの扱った例はヤスペルスによると《かの如き了解》(AlsobVerstehen)である。
一般に解釈を行なって、被分析者がこれを受けいれるならば、精神分析家にとっては、その解釈は正しい証拠であり、“ちがう”というと、これはこの被分析者の心のなか(16ページ)に抵抗がある徴候であって、やはり解釈の正しい証拠とみなされる。…
フロイトは、これが裁判官の場合と同じだという。被告の自白は…一般には有罪をしめす。これに対して被告の否認は決して無実の証拠ではない。被告と被分析者の間のたった一つのちがいは、前者は意識的に真実をかくすのに対して、後者は無意識的にこれをかくすことである。…ともかく、正しい解釈は実際において被分析者の精神内部の力関係に変化をおこさせ、神経症の患者ならば、これを治療することが可能だというのである。
…しかし、…治療が成功したことを以って解釈の正しい証拠とするものがあるが、これは正しくない。治療の可能性と解釈の正しさは必ずしも一致するという証拠はない(15ページ)」。
最後の言葉はヤスパースの意見により宮城先生が断じたもののようです。
ところでヤスパースは了解的解釈の正しさをどのような証拠によっているのか。この点が不明確なままです。
『精神病理学原論』を探しているのはそのためです。ヤスパースの言説を探したいと思います。
その一方で、了解の正しさの証明、その基準や論拠もまた私が求めていることに含まれるかもしれない、あるいは同じものかもしれないという思いがあります。
心理療法に限らず、因果的関係のなかでとらえられないものを了解的に理解していく方法は必要でしょう。
それは暫定的な性格をもつものであり(その途上において成功もあるし失敗もあるとしても)、いずれは何がしかの合理的な基準に基づく判断によらねばなりません。
その判断の基準になるものが従来の因果関係によりつきとめられないのであれば、その不完全な状態を認め探求していくテーマになります。