カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


山田ルイ53世

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
2019年9月25日 (水) 15:29時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索

山田ルイ53世

周辺ニュース

ページ名山田ルイ53世、(人物紹介、ひきこもり経験者)
山田ルイ53世 夏休み明けにひきこもった僕。しんどかったらひと休みしていい
山田ルイ53世さんは、小学生の頃から頭脳明晰、運動神経抜群で「神童」と呼ばれていたにもかかわらず、なぜ6年もの間、ひきこもりの生活を送ることになったのでしょうか。
父親になった今だからこそ感じることもあると言います。(構成=山田真理 撮影=本社写真部)
◆ある日、プツンと糸が切れて
僕がひきこもりになったのは、中学2年生の夏。
関西でそこそこ名の知れた中高一貫の進学校に通っていたのですが、登校途中に「大」のほうを粗相してしまい、
それをクラスメイトに知られた(と僕は思っていた)のがきっかけでした。
コミュニケーションのうまいやつなら、「あ、臭う? 実はウンコもらしてん」と笑ってしまえたのかもしれませんが、
僕はずっと優等生キャラだったので、プライドが邪魔をしてピエロを演じられなかったんです。
そこで何か、自分の中でプツンと糸が切れたというか。
たぶん、それまですごく無理をしていたんだと思います。
自宅から学校までは電車を乗り継ぎ2時間近くかかるうえ、朝夕のラッシュ時は圧死しそうなほどの混雑ぶり。
林立するサラリーマンの足の間で母親の作ったおにぎりを食べることもありました。
部活のサッカーも一生懸命やっていたので、帰宅はいつも夜の8時過ぎ。
それから宿題や予復習を済ませて、寝るのは日付が変わる頃……。中学生の子どもには明らかに負担が大きかった。
でもこの生活は、誰に強制されたわけでもないんですよ。
小学生時代、児童会長に選ばれるくらい一目置かれていた僕は、自分より地味なタイプの同級生が中学受験をすると聞いて「え、じゃあオレも」と、
親に無理を言って受けさせてもらったんです。
わざわざ電車に乗って私立中学に通っているのは、地元では僕くらい。
オレ、すごいやろ? そんなイヤらしい優越感、いや「神童感」が、通学しんどい、勉強しんどい、
同級生の家はみんな金持ちで公務員家庭のわが家との格差がしんどいってことを、なんとかカバーしていたんでしょうね。
「ウンコ事件」から間もなく夏休みに入ったのですが、それまでの僕なら1週間くらいで終えているはずの宿題に、まったく手がつけられない。
サボっている感覚はないんですよ。
「オレは頭がええから、明日から頑張ればすぐできる」と思っているうちに、明日があさってになり、しあさってになり、気がついたら夏休みの最終日になっていたのです。
始業式の朝、僕はベッドから出られませんでした。
宿題をせずに学校に行くなど、優等生の自分には考えられないこと。
そのままずるずると不登校になるわけですが、そのときも「明日は行く」「1週間もらったら、宿題なんてちゃちゃっと片づけて復帰しますわ」という感覚でした。
そして3年生になると出席日数が足りず内部進学できないことがわかり、地元の県立高校を受験するもあえなく失敗。
元の私立校で中3をもう一度やらせてもらうことになったのですが、これも結構な屈辱なんですよ。
かつての後輩と机を並べることも、同級生が同じ敷地内にある高校にいることも、テストの点が落ちていくことも。
「元・神童」のプライドはズタズタ。
運動もせずひきこもっていたので、ぶくぶくと太っていきました。
地元を歩けば、「あの優秀だった順三くんが……」という目で見られる。部屋の中に閉じこもっていても、近くの学校のチャイムや登下校の声が聞こえ、自分だけが普通でいられないつらさ、世間から取り残されていく恐怖に身をすくめていました。
◆母との距離感がずっとつかめなかった
両親にしてみれば、僕がなぜ不登校になったのか、わけがわからなかったと思います。
学校がしんどい様子は家で見せていなかったし、夏休みも「いつも通り宿題もやってますけど?」という顔で過ごしてきたのが、いきなりベッドから出てこなくなったわけですから。
お笑いでいえば、何の前フリもなく強烈なボケだけかますようなもので。(笑)
特に父の狼狽(ろうばい)ぶりはものすごく、始業式に起きてこない僕の脇腹にドロップキックをくらわすくらい激怒しました。
税関職員という職業柄、非常に堅物で家でも絶対的な存在。
そんな父に対して僕は家族で一番従順だったし、機嫌がよくなるツボを押さえてふるまうのが得意でした。
父は「高卒」という学歴にコンプレックスを抱えていたのかもしれない。
僕が有名中学に合格したのも自慢だったはずです。
そんな“できた息子”が、何の予兆もなく不登校という形で抵抗したのですから、パニックになるのも当然だったと思います。
毎朝、父がベッドから僕を引きずり出そうと格闘するのに疲れて勤めに出てしまうと、次に始まるのが母親の嫌み攻撃です。
「ええご身分やねえ。高い授業料払(はろ)てんのに学校にも行かんと、何様のつもり?」と、ねちねち。
しかも的を射た皮肉を全力でぶつけてくる。
父と違い、母とは昔から折り合いが悪かった。
母との距離感がずっとつかめないままだったんです。
僕にはそれぞれ5歳違いの兄と弟がいて、2人は母親派、僕が父親派という勢力図が、物心がつく頃にはできあがっていました。
幼稚園の頃、家に遊びに来た友だちに出したポテトチップスを、まだ赤ん坊だった弟にヨダレまみれにされ、台無しにされたことがあって。
強く叱りつけた僕を、母親が割り箸を持った手でバチーンと叩いたのです。
僕は「目を突かれる!」と、ものすごい恐怖を感じたのを今も覚えています。(笑)
兄はというと、厳しい父に反発し、僕が中学に上がる頃には地方都市によくいるヤンキーに。
母は、兄が高校卒業後に家を飛び出して本格的に不良になっても、かばい続けました。
あるときふらりと家に戻った兄がひきこもっていた僕とケンカになり、僕がボコボコに殴られ血まみれになっても兄の肩を持つ。
そんな母を見て、諦めに似た感覚を覚えましたね。
でも今になって考えると、学校にも行かず、昼夜逆転の生活で夜中に冷蔵庫をあさってはぶくぶくと太り、さらには服を着るのも面倒だからとパンツ一丁で家の中をうろついている息子と常に顔をつき合わせているのは、専業主婦だった母からすればきつかったと思います。
相当のストレスだったでしょう。
ひきこもっている間には、両親が不登校の子を持つ親の集まりに行ったのか、あまりうるさく言わず見守る態度に変わった時期もありましたし、
ひきこもりが3年、4年と長引くなかで「自立しろ」と言われ、実家近くのアパートで一人暮らしをしたこともありましたね。
「働かざる者食うべからず」という父の方針でコンビニのアルバイトもしましたが、店内に流れるJポップの歌詞が、当時の僕には地獄の苦しみ。
「前向きにがんばりましょう」「きっとあなたにしかできないことがある」みたいなキラキラしたメッセージにさらされると、学歴社会から外れ、何者にもなれない自分はどれだけ無価値なんだと、自己嫌悪に襲われるのです。
結局、何をしてもひきこもりから抜け出すことはできませんでした。
◆親自身の人生は犠牲にしてほしくない
転機が訪れたのは、20歳になる少し前。
職場での浮気がバレて左遷された父と、母に実家を追い出された僕とで、瀬戸内海の小島で暮らしていた頃でした。
テレビで成人式のニュースを見て、突如として「このままでは同世代の人間から完全に置いていかれる」と焦ったんです。
それから必死に勉強して大検を取り、四国にある国立大学へもぐりこみました。
しかしその大学も、芸人をめざして東京へ出るときに、あっさり中退してしまうのですが。(笑)
その後、お笑い芸人になり、コンビ「髭男爵」としてテレビに出られるようになるまでも、社会からはドロップアウトしたようなもの。
親としては、相変わらず「どうなってんねん」という気持ちだったでしょう。
今、僕が改めて思うのは、「ひきこもりは、こうすれば解決する」という正解は、たぶんどこにもないということ。
親にしてみても自分たちが知ることのできる範囲、考えられる範囲で、そのときわが子に良かれと思うことを、やれる範囲でやるしかないのではないでしょうか。
両親の僕への言葉も態度も、寄り添うようなものではなかったですし、ふるまい方はどちらかというと下手ではあったけれど、悪ではなかった。
もっとああしてくれればと、恨む気持ちもありません。
問題を抱えた子どもにうまく寄り添えないからといって、僕は親が悪いとは思わない。
子どもって自分の人生が始まったばかりでキラキラしているぶん、大人の人生を「もう終わりかけ」と軽視しがちじゃないですか。
しかし自分も人の親になり、あの頃の両親の年齢に近づいて思うのは、親には親の人生があり、毎日を愉快に過ごしたいと考えて当然だということでした。
だから僕は、もし子どもがひきこもりになっても、お母さんには仕事や、趣味のテニスサークルや陶芸教室をやめないでほしい。
子どものために親が人生を犠牲にすると、家の空気が沈んでしまいます。
それは子どもにも影響するし、そこまでしたって事態が好転しない可能性もある。
ひきこもりの子どもがいるとなると、世の中は「家族で解決すべき問題」という空気になります。
これはしんどいです。親だって、絶望的な気持ちになるんじゃないですか。
一つだけ言えるとしたら、ひきこもりは結局、お金の問題が大きいということ。
ひきこもったままで、何年生きていけるか。
親がいる間は年金で生活を維持できても、死んだらどうなるか。
親としても、たまには美味しいものも食べたいし、友だちにも会いたい。
そういうお金も含めて計算して、「あなたがひきこもれるのは、あと何年です」と説明したらいいと思いますね。
僕が自分の経験を『ヒキコモリ漂流記』という本に書いたのは、学校や仕事で悩んでいる若い人に、「ひきこもると、こんなに面倒くさいで」と伝えるためでした。
こうした取材でよく、「ひきこもっていた時間も貴重な経験では?」と聞かれますが、僕は完全に無駄だったと思う。
やっぱりその6年間、友だちと遊んだり勉強したり、花火やバーベキューをしたほうが絶対によかった。
コンビニで流れるJポップじゃないのだから、何でもかんでも意味がある、あなたの経験には唯一無二の価値があると言い過ぎるのも、どうなんでしょう。
無駄を無駄として放っておいてくれないのは、何もできない、何もしていない人を許してくれない社会の風潮にもつながる気がして、しんどいなあと思います。
◆学校のバッグなんて自由に持たせたらいい
この春、長女が小学校に上がります。
娘にはごく普通に、お友だちと仲良くして、みんなに溶け込むエキストラのようであってほしい。
僕自身が常に「何者かにならねば」という思いに苛まれてきたぶん、娘には穏やかな人生を歩んでもらえたら嬉しいのです。
もしある程度の年齢になって、好きなことや得意なことを見つけ、自分から集団を飛び出したくなったら、どうぞご自由に、と思います。
僕はそれを見守るだけです。
先日、ランドセルも届きました。
最近は「ラン活」と言って、ずいぶん早いうちから選ぶんですね。
表の革、裏地に留め具まで、組み合わせが380万通りもあるというんで驚きました。
全国の1年生を合わせても、そんなにおらんでしょう。(笑)
それにランドセルにそれだけバリエーションを持たせるなら、リュックやらショルダーバッグやら、おのおの自由に持たせたらええのに、と思うんです。
「自由に選べる」と言いながらあくまでランドセルという規定はある、というのがなんとも日本的ですよね。
そこを限定されたうえで「無限大の可能性」をつきつけられても、正直困ってしまいますよ。
そもそも不登校やひきこもりが生まれるのも、中学と高校が3年ずつ、20歳前後までに大学に入って新卒で入社という暗黙のルールがあり、それを外れるダメージを恐れているせいかもしれません。
しんどかったらひと休みして、数年間ひきこもる人がいてもいいではないですか。
何度もリセットして自分の人生を探せるような世の中になっていけば、子育てはもっと気楽で面白いものになるんじゃないでしょうか。
〔2019年9/6(金) 婦人公論.jp(構成=山田真理、撮影=本社写真部)〕

【山田ルイ53世のお悩み相談】引きこもりだった過去のせいで若く見られるのではと不安です。
<お悩み>凄く若く見られる事が悩みです。
初対面の方には20歳そこそこの大学生に思われていて、年齢を言うと驚かれる(引かれ気味)ので、年齢を言うのが恥ずかしいです。
私は見た目が小柄で華奢というのもコンプレックスなのですが、中学、高校と7年間不登校引きこもりをしていた経験もあるので、実年齢に精神面が追いついていないのだと不安になります。
周囲からはどうでも良い悩みだとよく言われます。
どうしたら、この劣等感から抜け出せますか?
(ぽろぽろ/女性/31歳、パート主婦。子どもはいません)

山田ルイ53世さんの回答
これはよく分かります。
僕は中学2年生から6年間引きこもっていました。
あくまで“自分は”ということですが、あの時間は無駄だった、学校に通って友達と遊んだり、勉強や部活に励んだりした方が充実していたのになと後悔しています。 同世代の人間と比べて6年分の経験値を貯め損ねたコンプレックスは厄介ですが、とは言え、特に不便もありません。
RPGゲームで言えば、開けていない宝箱、話しかけていない村人など取りこぼしはあるけれども、一応ゲーム進行には差し支えない……そんなところです。
引きこもっていた期間を、実年齢から引いてみるのはどうでしょう。
僕は現在44歳。
なので、6つサバを読んで38歳だと思って生活しています。
もしぽろぽろさんが、「あの7年は無駄だったな……」、「実年齢に精神年齢が追い付いていないのかな……」と苛まれているのであれば、その年月をわざわざカウントする必要など無い。
「私は24歳だ!」
と思い込む、そう決めてしまうのです。
「自分に嘘は付けない!」などと言う方もいますが、大丈夫……自分のことは結構簡単に騙せます。
劣等感にせよ優越感にせよ、ベクトルが違うだけで根っこは同じ。
誰かと比べることから生まれる感情です。
そして、「人の目ばかり気にして生きる」というのは、「スマホをいじりながら車を運転する」ようなもので非常に危険です。
そんなリスキーな行為を器用にこなすには、かなりの才能、能力が必要。
しんどい、辛いということは、そういう力が相談者には無いということに他なりません。
自分には無理だと諦めて、とっとと我がことだけに集中しましょう。
結局、それが一番、人生のコストパフォーマンスが良くなる方法だと思います。
山田ルイ53世●お笑いコンビ、髭男爵のツッコミ担当。本名、山田順三。
幼い頃から秀才で兵庫県の名門中学に進学するも、引きこもりとなり、大検合格を経て愛媛大学に進学。
その後中退し、芸人へ。著書に『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)、『一発屋芸人列伝』(新潮社)、近著に『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)。
〔2019年5/1(水) クロワッサンオンライン〕

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス