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Center:2007年5月ーフリースペースの変遷史

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
2011年8月2日 (火) 21:52時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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目次

フリースペースの変遷史

このところ不登校情報センターの様子がかなり変わってきました。
以前来ていた人からは「最近はどんな感じですか」と問われますし、来たことはない人からも「見学させてください」「様子を教えてください」という声も少なからずあります。
これらに答えようと思います。
しかし、今現在はこれこれというのではなく、長い変化の中で現在を見ていくのがよいと思いました。
常に変化するのがフリースペースだからです。

フリースペースが学校と違うのは、その仕組みが出席している人たちの雰囲気の総和によって変動しやすいからです。
たしかに何らかの規則のようなものはありますが、それによってフリースペースの雰囲気がつくられているとはとても思えないのです。

不登校情報センターの経過のなかではフリースペースの現在は第5の時期を迎えています。
毎日毎日少しずつ違うけれども、社会状況を背景にして、いくつかの時期に区切ってみることで、フリースペースにおいても個人と社会の関係がこんな形で現れているのです。

ここでいうフリースペースとは、おおよそ引きこもり経験のある当事者たちが集まる場ということをいいます。
フリースペースとか当事者の会(集まり)という言い方が混在していますが、大差はありません。

(1)第1期~第3期(1995~2004年春ごろ)

1995年9月に不登校情報センターを設立してから12年目になります。
最初の3年間は自宅で情報出版物の企画と編集業務をしながらのものでした。
相談の予約電話が入れば、近くの喫茶店や公共施設の一室を借りて相談を受けていました。

翌年(1996 年)8月に「通信生・大検生の会」をよびかけ、はじめて当事者の会をつくりました。
場所は主に近くの公共施設です。
しかし横浜や船橋の公共機関ということもありましたし、会員メンバーのいる大学の教室で開いたこともあります。
最初は数人でしたが、だんだんとふえていきました。

不登校生・中退生のための進路相談会や教育相談会をひんぱんに開いたのもこの時期です。
そういう場にも当事者に応援に来てもらっていましたし、そういう場で情報を得て通信生・大検生の会に加わる人もいました。

1998年8月末に、大塚でワンルームマンションを事務所にしたのが第2の時期の始まりです。
活動内容全体は大きく変わったとは思えませんが、拠点ができた意味は大きかったようです。
中古のパソコンをもらい受け、訪問サポートトカネットとの出会いがあり、文通誌『ひきコミ』の発行準備などがこの時期の前半を活性化しました。

2000年に入ると「引きこもりブーム」が始まりました。
当初は「最近外に出にくくなっている」といった引きこもり経験者たちも、やがて次々に動き出し、不登校情報センターに来るようになりました。

このブームと波長がかみあって『ひきコミ』が新聞紙上などで何度も紹介されたことも関係しています。
ワンルームの小さな部屋に30人余りがつめかけました。
フリースペースは顔見知りや知人をつくる場でした。
対人コミュニケーションのきっかけをつくる場であり、実際に友人関係にすすんでいった人も生まれました。

そういうなかで、2001年6月に新小岩(葛飾区)の第一高等学院旧校舎に移ることになりました。
これが第3の時期のの始まりです。
スペースが広くなり、様子が大きく変わりました。
毎日がフリースペース状態です。
月1回の親の会の定例会が始まり、ボランティアの心理カウンセラーも交代できていただくようになりました。
ときおりパソコン教室が開かれ、カウンセラーによる心理学教室が開かれました。
あゆみ書店と喫茶いいなという名のフリースペースになりました。
毎日の参加者が10人を普通に超え、ときには30人になることもありました。
2002年には「あゆみ仕事企画」という作業グループが生まれ、デジタル印刷機の寄贈を受けたのはこのころです。

いまふり返ると、この時期は全体的に統制がなく、いろいろな事柄が自然に発生し、自然に消滅していきました。
そういうなかで少しずつ継続し、徐々に成長したものがあります。
それは当事者間の人間関係づくりであり、社会との結びつきを求め、仕事に就いていく方向にゆっくりと動き始めたことです。
私自身は当初、この仕事に就く方向に関しては、情報センター自体のテーマではなく、各人ひとりひとりの作業によるものと考えてきたのです。
やがて「不登校情報センターを働ける場にして欲しい」という要望になってきました。

あゆみ仕事企画をつくったこと、印刷機の寄贈、その後の中古パソコンの寄贈、さらに2003年3月には労金から「印刷室+版下制作室」のための助成金を受けるように手続きをとったのは、これらに答えようとしたことによります。
この調子ですすんでいけばどうなるのか、勢いがあるのでなんとか働ける場(収入につながる場)になるのではないか、と考えいたところ、大きな変化がやってきました。
世にニートという言葉が表われNHKの「ひきこもりキャンペーン」が終息しました。
フリースペースに来る人たちが急減しました。
「ひきこもりブーム」が終わったのです。
2004年春から夏にかけてのことで、ここに第3の時期が終わり、第4の時期が始まったのです。

(2)第4の時期(2004年~2007年初め)

2004年春ごろから始まる第4期の時期は、表面的には活動の下降期であり、それなのに不登校情報センターを当事者による職場づくりをする準備期に入ったのです。
時代背景として、国や自治体がニート対策として政策的な対処を始めました。
多くは取り組みの割には大きな成果を得ているとは思えませんが、引きこもりへの対処を本格的に始めたのです。

情報センターでは2004年中ごろからホームページの改造、「パソコンの生産財化」をめざす取り組みを始めました。
『スクールガイド』という情報本の編集に、文章入力から関わりました。
それを一方では出版物にし、他方ではホームページに掲載していく取り組みの開始です。

親の会の月例会はずっと継続していますが「引きこもりブーム」の終息とともにこちらも参加者も急減しています。
ただ、第4の時期の終わりごろから、親の会に当事者が参加するようになり、うまく融合状態が生まれています。

このころ進路相談会などを呼びかけても一般の参加者は多くはありません。
この理由は明確ではありませんが、単純に広報宣伝が行き届いたばあいに多くの参加者が来るので、それだけの理由-すなわちマスコミの取り上げ方-による面もあるのです。

不登校情報センターの組織としては、2004年末にNPO法人化をめざすことにしました。
これは、国と自治体の動きに対応していくのに必要な条件づくりであり、同時に不登校情報センターを継続させ当事者にとってのワークスペースから職場づくりをめざす方向になると考えたからです。

NPO法人は2005年6月に結成総会、10月末に東京都の認証を経て、2005年11月8日にNPO法人になりました。
2005年8月には事務所を第一高等学院校舎から近くのマンションの一室に移動しました。
これは第一高等学院側からの要請もありましたし(約束の期限を大幅にオーバーもしていた)、フリースペースに来る人が少なくなっているなかでは、スペースとしての影響は大きなものではなかったと思います。

この時期には、国、自治体が ニート対策を、教育系公共機関が発達障害をテーマに、不登校や引きこもりに対応したのですが、大きな成果は出なかったと思います。
それは私が不登校情報センターの経験で学んできたことを、国、自治体レベルの経験で学びつつある時期だと思います。
同時にまた、病気・障害レベルではない不登校や引きこもりへの対応は空白のまま継続していることも示しています。

この状況は子どもと若者全体のなかで対人関係不安が広がっていることの表われです。
子どもと若者が人に対して全体として警戒的になり、“自閉的”傾向を強め、逆に友達を特別に意識して求めなくてはならない状況を示しています。
これはたぶん日本の若者の性格とか国民性のようなレベルで扱われるものになっているのでしょう。

私個人に関していえば、人間の生理と病理を当事者の言動や人間関係の実際を通して学んでいった時期であったといえるでしょう。
第4の時期は、不登校情報センターにとって、静寂の時期であり、準備とがまんの時期でした。
表面は平穏で変化が少なく、なにかが熟成していく時期でもあったように思えるのです。

(3)第5の時期(最近のフリースペース)

2007年春ごろから第5の時期になったようです。
どういう内容になるのかを語るのはまだ難しいです。
ただ1つの時期が終わりつつあると確認できます。

(1) 当事者の相当数が「卒業した気分」のなかで新たな当事者が参加し始めています。
その片方では、本格的に近いホームページづくりのパソコン教室を始めました。
ワークスペースの一つの核になっていく可能性を感じます。

(2)当事者、特に30歳以上の引きこもり経験者であり、必ずしも病的はいえない人は多くいます。
私はこれらの人に面談や訪問を意図的にしています。
「まだ間に合う」「その人なりの道は開ける」という感じを実感するからです。
            

(3)トカネットの「軽度発達障害の学習会」が2006年9月から始まり継続しています。
6月には(財)日本社会福祉弘済会の助成を得て「講演と活動発表会-広汎性発達障害の子供への訪問サポート活動」を開くのにつながっています。

(4)個人的な裁量や努力によって創作活動を続けている人はかなりいます。
不登校情報センターは、仲介者的な役割で、催し者やホームページを利用して社会デビューの舞台をめざしていける可能性を感じています。
2007年12月に創作展示会」を予定しています。

さしあたり目にしている現在の状況はこのようなものです。
これからもいろいろなことが生まれ、変化していくことでしょう。
これが複合して第5の時期にどのような構造をもつのかはまだ見当がつきません。

引きこもっている人からの問い合わせ、私と会って話が出来る機会をもつこと、家族からの相談によっては自宅を訪ねていく機会をつくること、それが当事者の一人ひとりの将来に向けての出口に結びつくと考えます。

(4)12年間の総括

1995年、1998年、2001年、2004年そして2007年と情報センターの変化がおよそ3年毎に回っていく不思議を感じないわけにはいきません。
私は、意図的に、制度的に何かを「上から」積極的に掲示して導いていくやり方が苦手です。
自然の流れに身を任せながら、それらに乗る形で何か可能なことを交通整理のようにやってきました。
少なくとも不登校情報センターの経歴のなかではそのような要素が主流であったと思います。
そしてこれからもそのようなものになる、そのようなものにしかならないと自覚しているところです。

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