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Center:2005年2月ーオリジナル体験の獲得

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目次

オリジナル体験の獲得

(2005年2月17日)

(1)こころが育つということ

前回の「こころが育つ」の中で触れた点を今回はより詳しくみていくことにします。「こころが育つ」材料には「友人(人間)関係と自分の体験の蓄積(これには学習と日常生活などが含まれる)」と述べました。

このうちの人間関係が重要な要素になるのはわかりやすいのではないかと思います。もちろんそれは理屈としてわかるレベル(感覚的にはよくわからない、「友人がいない」ので実感できない)から、友人がいるから自分がわかる、自分らしさを知るのは友人の力だ…などいろいろな状態があります。その点はひとまずここではおきましょう。

(2)「自分の体験の蓄積」とは

もう一つの「自分の体験の蓄積」にテーマを移しましょう。これがどうして「こころが育つ」の要素なのでしょうか。それは、「自分の体験の蓄積」がどんな内容によって充たされているかを明らかにするなかで自ずとわかっていくことだと思います。

私はおよそ15年ぐらい前に、「学力+(プラス)オリジナル体験」が人間の自立の条件に当たると考えたことがあります。このオリジナル体験というのが「自分の体験の蓄積」に近いのです。学習で得た能力=学力も自分の体験の内に入ります。「学力+(プラス)」というよりは「学力×(掛ける・タイムズ)」とした方がいいのかもしれません。

前回は「他者(ひと)が違うのを認められ、それを受け入れられる」のが「こころが育つ」ことの重要な内容であると言いました。それは自分が安定的に確立しているから可能なのです。その内容を考えるのが今回のテーマです。

(3)オリジナル体験とは

オリジナル体験とは、その人に固有の独自の体験という意味です。それは体験の一種であり、その延長にあたるものです。体験は固有の独自のものですから、その成果としての「こころ(心)」も、また人格も固有の独自のものになります。およそ人間である限り、固有で独自のこころと人格をもつ者以外はいません。また個人の体験も固有で独自のものでしかありえません。
だから人間にとっては存在すること自体が「オリジナル」であり「オリジナル体験」以外ではありえません。

そうすると体験のなかからオリジナル体験を改めて抜き出して語る意味はなさそうです。ですが私があえてそうするだけの意味はあると思っています。そこで私のいう「オリジナル体験」の何たるかを一通り説明しましょう。

(4)胎児期・乳児期のオリジナル体験

体験のなかには、まず乳児として生まれた直後のものがあります。たとえば呼吸は、生存のために絶対的に欠かせないものです。これは先天的に備わった本能として身についているものです。
そういう先天的に持ちこまれた能力にもとづく体験があります。それらは成長の過程で、他者とは異なる呼吸のしかたを体験していくことになります。大声を出す人の呼吸のしかた、身体条件から腹式呼吸法を早くから身につけるなど個人間で異なるものになっていきます。ただ、一般的には、人によって大差ない経験に入ります。

飲むこと・食べること(摂食)はどうでしょうか。これも生存に欠かせない条件であり、先天的な本能として身につけた状態で生まれてくるものと考えていいでしょう。

しかし、呼吸と違って乳児は自分で飲んだり食べたりの用意ができません。乳児は〈基本的には〉母親からの授乳の形で摂食を始めます。本能的に身についたことですが、乳児個体の経験ではなく、母と子の関係または養育者と乳児の関係で摂食経験を始めます。

これは、呼吸よりもかなり大きな個人体験差をもたらします。この初期の摂食が必ずしもうまくいかない体験をする乳児(後の子ども)がある割合で存在するのです。口唇期といわれる人間の初期の体験ですが、私はこのとき舌(接触感または味覚)感覚が大きく関わっているように思えます。

このように呼吸や摂食という人間として生存するために不可欠のことでもすでに個人差が生まれる要素があると指摘できます。これに乳児に身体的な障害が重なればその個人差はさらに多くなります。

私はこの乳児期の体験に「笑い」というのも加えていいと思うようになりました。
最近、何かで読んだ(たぶん胎児の笑いを扱ったテレビ番組の新聞解説)のですが、乳児以前の胎児のころからヒトは笑いの練習(?)を始めているというのです。これは生後、母(または家族)から愛されるためのコミュニケーション(感情交流)の手段、いわば弱い生き物として周囲の人の関心を引きつける生存の方法として、笑いを身につけるというのです。
 私は笑いをこれまで感情表現として考えていたのですが、それ以前に感情交流(コミュニケーション)の役割があると知って、やや驚いています。これも生存のための要素の中に加えてもよさそうです。当然これも、個人差を生みだすものになっていきます。

(5)成長につれて広がる、体験・経験の個人差

これら乳児の時点から始まる体験につづくものが次々に登場します。動作・ふるまいがあります。そのなかのハイハイ歩きから歩行が始まります。ことば(言語)も重要な要素です。遊びや学習がそれに重なります。
それらは個人での行為にとどまらず、親、家族から、同年齢の子どもへと人間関係が広がっていくものです。
行動範囲も、家の中から屋外に広がっていきます。こうして、対人関係が広がり行動範囲が広がるにつれて、個人のもっている身体的要素、興味や関心、家族など周囲の人との関わりが影響して、個人の経験差はますます大きくなっていきます。

親の姿や動きをまねる、習い教えてもらう…というレベルから自分なりの挑戦をしてみる、工夫をする、創造してみるレベルまでのいろいろなことを同時に重ねていきます。何に関心をもち何をしてきたのか、誰と関わってきたのか、どんな人に教えられたのか、本人の納得のしかたや積極性がその経験差を広げていきます。

(6)「特別な体験」は強く意識される

どういう体験をするのかは個人差はあっても、一部の身体的状態がそれを許されない人を除いて、ほとんど誰でも体験することを考えてもいいことです。個人の体験はまたそれが個人差を伴うのですがすべてオリジナル体験といっていいわけです。

私はそのうちでもその人にとっての特別の体験、または体験のしかたが特別のものに注目しなくてはなりません。それは意識のうえで強く影響するからです。その強く意識されるものが特別の体験です。私のいうオリジナル体験です。
しかしまた逆に、とても強い影響があり、本人の日常生活に動揺性や否定感をもたらす場合は「忘れよう」(意識下にもぐり込ませよう)とする心理的作用が起こり、このばあいは無意識であるからこそ一層重大な体験をしていると考えます。

私はこれら両面の「強い」体験は、人格とこころの形成にとりわけ大きな役割を占めると考えます。これが「オリジナル」体験です。

乳幼児期から思春期・青年期にかけての時期の、運動、創作、学業などに表れる冒険と挑戦体験、達成感、連帯や友情体験はそれだけでオリジナル体験になりうるものです。

(7)「マイナス」のオリジナル体験

しかしまた、同じ時期の闘病、家庭的な貧しさ、家族や親しい友人の死、事件や事故も、「オリジナル」体験になりうるでしょう。(乳児期の)摂食の失敗、母子関係のつまずき、虐待やいじめ被害などのばあいも、「オリジナル」体験になりうると考えていいのです。

これらの体験は、トラウマ(心の傷)になり人格形成を妨げたり(アイデンティティ確立の困難)、人格を崩す作用をすることが多いものです。これらもまた体験なのですが、それが私のいう「オリジナル」体験になる可能性があるのでしょうか。それはどんなばあいに可能になるのでしょうか。

結論をいえば、このマイナスのトラウマを引き起こしかねない体験が「オリジナル」体験になるには、「反転する」過程が必要です。

「反 転する」には、愛情体験、感情交流体験などを含む癒しが必要です。ときには医療行為に頼ることもあります。その過程は思いのほか長くつづくものです。対人 関係づくり、興味関心に基づく自己実現へのアプローチ、挑戦や創造性を生かした前進などが含まれるでしょう。それらを通して心理的な安定状態に達すること が前提になります。

あるとき引きこもりの経験者が、体験の強さを絶対値として私に示してくれました。虐待やいじめを受けた体験は、マイナス方向に「大きい」というのです。そのマイナス方向に大きい分「反転する」とプラス方向で大きな体験になり得るというのです。

この説はどうでしょうか。そうなる人もいるように思いますので一部同意しますが、全部を受けとれるかどうかは迷います。マイナス方向に大きく傷ついた分、「反転して」プラス方向に強く働くことを期待するのは一般的にしない方がいいと思います。その人なりの姿で人生を歩んでいければいいのではないでしょうか。

(8)マイナス体験の「反転」と人格の成長

自立の条件として「学力(プラス)オリジナル体験」を考え、主にオリジナル体験を挙げて説明してきました。引きこもり経験者の多くが経てきた「マイナス体験」は、それが「反転する」過程を通ることでオリジナル体験、すなわち人格の成長に役立つ体験になりうると説きました。
「自分の体験の蓄積」のばあいの体験によるマイナス要素も、やはり「反転する」過程が求められ、それを超えたところで「こころが育つ」のに有益なものに昇化される。これが私の確信です。
 

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