想像力のもんだい
想像力のもんだい
東京オリンピック始まりましたね。
新型コロナ蔓延の中で、そして組織委員会の様々な不祥事で振り回されて、やっとここまでこぎつけたという感じですね。
様々な問題ははらんでいても、この時のために体調管理とトレーニングを重ね晴れの舞台に立った内外の選手の方々のことは純粋に応援したいと思っています。
しかし、一つだけ!どうしても見過ごせないと思っていることがあります。
それは直前に発覚した開会式の音楽担当のO氏の過去の「いじめ」のことです。
彼が過去に行っていたとされる行為は「いじめ」という言葉で済まされることではなく、もっとひどい虐待や拷問のレベルであり、本人がその後 二十代になってからもヤンチャ自慢として武勇伝のように嬉々として語っているところにこの問題の大きさがある気がしています。
いくら時代がサブカル文化が花開いていた時期とはいえ、そしてその時も若かったとはいえ、相手にどんなに大きな心の傷を負わせたのかという視点(想像力)が抜け落ちています。
★ここでまた「ひきこもり国語辞典」の中の一部を抜粋します。
〇いじめ後遺症 ひきこもりになったのは、中学時代にいじめを受けて対人恐怖になったことが原因です。
いじめられた経験があるとひきこもりやすくなります。(後略)
〇いじめた人 学生時代に自分をいじめた人を忘れていません。(中略)私は自分をいじめた人のことを一生忘れません。
「いじめ」の被害者の方たちの中にはそこから抜け出した後も、たびたびフラッシュバックを起こし、怒りや悲しみをよみがえらせてしまって苦しんでいるという人がとても多いのです。
英国King's College Londonの共同研究では、いじめの被害者がその後長期に苦しみ、中年期に至るまで抑うつ・不安などの精神疾患発症リスクが生涯残ること、心身の健康・対人関係・人生満足度・QOL/Well-beingへの影響も50歳に至るまで残るということが述べられています。
私のところに相談に来ていた40代の男性も中学の時に執拗ないじめを受け、そのトラウマから長いこと抜け出せず、心を病んでしまっていました。
やっとそのことから少し気持ちが解放されるまで本当に長く苦しい道のりでした。
どれだけ大きな心の傷だったかということは彼と長年並走しながら私の心にも深く残りました。
「いじめ」をした人たちは自分たちが面白半分でやったことが相手の心に大きな傷を残しているという観点が抜け落ちているような気がします。
もちろん過去のことを反省して自分はとんでもないことをしてしまったと罪の意識を 感じている過去の加害者もいることでしょう。
しかし、このO氏の例では相手の気持ちを想像する「想像力」が大きく抜け落ちているように感じます。
安直な「謝罪」で済むようなものではありません。
そして『このインタビュー記事が掲載されたら、どんな反響があるだろうか』という想像力も残念ながら彼には欠けていたようです。