練馬区家庭内暴力の息子刺殺事件
練馬区家庭内暴力の息子刺殺事件
所在地 | 東京都練馬区 |
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練馬区家庭内暴力の息子刺殺事件
元農水次官に実刑、ひきこもりだった孤独死ライターが思う「人生の分かれ目」 気づいたら母を蹴っていた私
実刑判決が下った元農水事務次官の熊沢英昭被告。ひきこもりを「人生の終わり」にしないためにできることとは?=2019年6月3日、警視庁練馬署
私は、孤独死の取材を2015年ごろからはじめているが、孤独死する人の多くはひきこもり状態だ。
そんな中、ひきこもり状態だった長男を殺害した元農水事務次官の父親に、東京地裁で開かれた裁判員裁判で実刑判決が下された。
私は、率直に「自分が家族を殺していたかもしれないし、殺されていたかもしれない」と感じた。
なぜなら、私も中学からひきこもりだったから。殺された長男と私を分けたものは何か?
ひきこもりを「人生の終わり」にしないためにできることを伝えたい。
暴力をともないやすいひきこもり
元農水事務次官の熊沢英昭被告が長男の栄一郎さんを殺してしまうという痛ましい事件が起こり、東京地裁で開かれた裁判員裁判で懲役6年(求刑懲役8年)の実刑判決が下された。
長期化するひきこもりと家庭内暴力が熊沢被告を追い詰めてしまったのではないか。
精神科医である斎藤環筑波大教授は、朝日新聞の取材に、ひきこもりの10%弱のケースに慢性的な暴力が伴い、50%程度に一過性の暴力が伴うと指摘している。
斎藤教授は暴力と引きこもりは、親和性が高いと言わざるを得ない状況があると話す。
しかし、それは家族などによる内に向いたもので、通り魔など外に向くことは稀だという
(朝日新聞デジタル2019年6月20日より要約)。
自分の中学時代、長男の境遇と重なる
私がこのニュースを見て感じたのは、自分が家族を殺していたかもしれないし、殺されていたかもしれないということだ。
私自身、ひきこもり経験者で、家庭内暴力の当事者である。
小学生からいじめに遭い、親の勧めで、中高一貫の私立中学に進学。
しかし、そこでもいじめに遭い、中学二年生から本格的な不登校となり、家にひきこもるようになった。
長男と、境遇が重なる。
週刊朝日の報道によると、長男は、中学2年生ころから、イジメが激しくなり、クラスでは孤立。筆箱で頭を叩かれたり、シャーペンで背中や手を刺されたり、塩を鼻に押し付けられたりされていたという。
やられても、ほとんどやり返すことはなかったと報じられている。(週刊朝日2019年6月5日)
私もイジメられているときは、心が死んでいたようで、やり返すことはなかった。
しかし、次第に学校に行くことが億劫になり、朝、泣きながら布団にかじりついた。
人生は完全に「詰んだ」と感じる
一度、不登校になると、家にいても、できることは限られる。
同級生はこの瞬間も毎日授業を受けているはずだし、学校の教科のカリキュラムは着々と進んでいく。
社会は自分がいなくても回っているのに、自分だけはまるでこの部屋の中に取り残されたままだ。
ネットだけが情報収集の手段で、居場所だった。
そのため、夜通しネットにかじりつき、朝方に寝て、遮光カーテンを引いて、昼頃にモソモソと起きだす。
母親が作った朝食か昼食かわからない食事を流し込み、本を読んだりゲームをしたりして過ごして、夜はまたパソコンに向かう日々だった。
近所の目があるため、外には出られない。
隣の家が常に自分のことを見ている気がするからだ。
一般の社会生活を送っている人には、想像もつかないだろうが、自由に外に出ることのできないのは、とてつもなく苦しい。
まともな社会生活を送っている姉妹兄弟がいる場合はなおさらだ。
弟は、朝出かけて3時頃に帰宅する。
部活や教科書や宿題で充実感がみなぎっていて、慌ただしくしている。
日々強くなる劣等感――。益々焦りは強くなり発狂しそうになる。
親の期待に沿えなかった自分に絶望し、自分の人生は完全に「詰んだ」と感じる。
なぜ、自分はこうなってしまったのか――。一体自分の人生は、何が間違いだったのか。
その問いは常に自分の心をジクジクと突き刺し、片時も離れることはない。
気がついたら母親を蹴っていた
私の家庭内暴力が起こったのはその頃だ。正確には起こした、というべきだろう。
毎日家にいてもすることがないので、ゲームや読書だけが唯一の愉しみだった。
当時、お小遣いは月5000円と決められていたが、毎日することがないので、ゲームや本などを買いあさっていると、どうしてもお金が足りなくなる。
だから、追加でもっと欲しいと母親にせびったが拒絶されて、思わずカッときた。
気がつくと、「金よこせー!」と、大声を上げて、母親に馬乗りになった。母親は泣きながら家を出て行った。
しかし、母親がお小遣いをくれなかったことはきっかけに過ぎなかった。
ある時は、自分の境遇を嘆き、気がついたら母親を蹴っていた。
斎藤教授は、ひきこもりには、「家族が刺激している暴力」と「慢性型の暴力」があるという。
そして、「慢性型暴力」は、家族が特に何もしなくても、ささいなことに難癖をつけて暴れ出す。
その根底にあるのは、「悲しみ」だという。(2019年07月09日withnewsより要約)
行き場のない悲しみが暴力に
「悲しみ」という言葉は、全くそのまま当時の私の精神状態にも当てはまる。
決して親が憎くて暴力を振るっていたわけではないからだ。
なぜ、自分はこんな人生になってしまったのか?という問いは、あの時、親がこうだったからだという悲しみの感情へと変換される。
私のことで言えば、あのとき、勉強ばかりさせられた。
あのとき、弟ばかりかわいがっていた。あのとき、私を愛していなかった――。
だから、こうなった――と。心の中で泣きながら暴力をふるっていた。
行き場のない悲しみは、気がつくと暴力という形に変わっていたのだ。
長男は、「私が勉強を頑張ったのは愚母に玩具を壊されたくなかったからだ」とTwitterに書いている。
週刊朝日の取材によると、中学2年生ころから、長男に対するイジメが激しくなり、クラスでは孤立。
筆箱で頭を叩かれたり、シャーペンで背中や手を刺されたり、塩を鼻に押し付けられたりされていた。
やられても、ほとんどやり返すことはなかったらしい。
そして、「熊沢容疑者や母親は、アザができるほど殴られた。
その際、長男は『俺の人生何だったんだ、どうなってんだ』となどと言っていた」という
(週刊朝日2019年6月5日より要約)。
かつての自分と恐ろしいほどに重なって、心が痛い。
ひきこもりを脱することができた理由
では、なぜ栄一郎さんが殺されて、私が殺されなかったのか。
そして、私が家庭内暴力の末に家族を殺してしまわなかったのか、その理由は、ただ一つ。
私の父親が外部の専門家に助けを求めたからだ。
私の父親は小学校の教員で、不登校関連の知識があった。
そのため近年度々話題に上がる、当事者を強引に家から引き出す「引き出し屋」のような問題のある民間業者ではなく、適切な支援者とつながることができた。
私はその支援者と信頼関係を築けたことで、ひきこもりから脱することができた。
その方は私の味方となって、真正面から向き合ってくれた初めての大人となった。
ひきこもりは「人生の終わり」ではない
出会って25年以上経つが、今もその方は私にとって人生の「師」である。
自分がこのままで存在していいということ――、人を心から信頼して受容してくれる相手がいること。
その安心を実感できたことが大きい。それがなかったら決して前に進むことはできなかっただろう。
しかし、そんな出会いは現代では希少品で、たぐいまれなケースかもしれない。
近年、80代の高齢の親が50代のひきこもりの子供を支える8050問題が取りざたされている。
近年ようやく顕在化した61万人という中高年のひきこもり――。
私は、孤独死の取材を2015年ごろから始めているが、孤独死する人の多くはひきこもり状態だ。
孤独死する人は、まるでその疲弊した心を現すかのようにゴミ屋敷だったり、セルフネグレクト(自己放任)状態に陥り、誰にも助けを求められずに、心折れてしまう。
現に栄一郎さんの暮らした目白の自宅は、ゴミに埋もれていたという。
これらの問題の解決には私がかつて、支援者と心の交流によって居場所を得たように、ありのままの自分を心の底から受け入れてくれる相手の存在が必要だ。
一律的なひきこもりの就労支援では解決できない問題の根深さがあり、ゆくゆくは私の取材分野である孤独死という結末を迎えかねない。
ひきこもりは長期化すればするほど、本人も家族も重圧感がのしかかり、とてつもなくつらい日々だが、「人生の終わり」ではない。
かつての自分が支援者に出会ったかのように、家族も本人も、まずは他者に助けを求める勇気を持ち、そこから道を開いて欲しいと思う。
〔2019年12/23(月) withnews(ノンフィクションライター・菅野久美子)〕
「元農水次官の長男殺害」に重なる23年前の事件
44歳の息子を殺害した元農水次官による事件。「息子殺し」の事件では23年前の事件にも共通するものがありました。
農林水産省の元事務次官の熊沢英昭被告(76歳)が、東京都練馬区の自宅で長男(当時44歳)を刺殺したとして殺人罪に問われた裁判。
東京地方裁判所は12月16日に懲役6年(求刑懲役8年)の実刑判決を言い渡した。
ところが、その4日後の20日に東京高裁が保釈を認める決定を出し、保釈金500万円を支払った熊沢被告は保釈された。
殺人罪で実刑判決を受けた被告が保釈されるという極めて異例の展開をたどっており、控訴審で判決が見直される可能性もある。
ひきこもりがちだった長男の家庭内暴力に悩み、東京大学を出て頂点にまで登り詰めたエリート官僚の凶行。
発達障害だった息子に献身的に寄り添う姿も明らかになり、また、熊沢被告は事件直後に自ら110番通報するなど、当初から罪を認め、弁護側も執行猶予付き判決を主張したことから、その量刑に注目が集まっていた。
果たして、懲役6年の判決は適切だったのか。
■あまりにも似た構図の23年前の金属バット殺人事件
この判決を語る前に、どうしても振り返っておきたい事件がある。
いまから23年前の1996年11月6日に起きたもう1つの息子殺しの事件だ。
俗に「東京・湯島金属バット殺人事件」と呼ばれるもので、こちらも家庭内暴力に悩んだ父親が、当時14歳の長男を金属バットで殴り殺している。
この事件の背景が、あまりに今回とそっくりなのだ。
ところが、こちらの判決は懲役3年。今回の半分の量刑で終わっている。
この湯島の事件の父親も、実は東京大学を卒業していた。
それも熊沢被告と卒業年度が近く、ほぼ同じ時期を東大で過ごしている。
しかも、卒業後は出版社に勤務するのだが、この父親の父親、すなわち被害者の祖父は京都大学を出て農林省(農林水産省の前身)に入省して東京勤務になっているのだから、もうそこから因縁めいている。
さらに、熊沢被告には長女がいたが、長男の素行が原因で婚約が破談になり、自殺していたことが公判で明かされている。湯島の場合も長男の上に長女がいる家族構成まで同じだ。
この家族は、文京区湯島のマンションに一家で暮らしていたが、長男が中学に進学した頃から、「朝の起こし方が悪い」というような理由で、母親に暴力を振るうようになる。
父親はやめるように言い放つも、その暴力が父親のほうに向きはじめる。
エスカレートする息子の暴力に、父親は都内の精神科クリニックに相談したところ、「息子を受け入れるように」と諭されて、これに納得する。
やがて、暴力に耐えかねた母親が家出。
暴力に加えて不登校にもなったことから、再びクリニックに相談するも、医師からはこう告げられたという。
「奴隷のように使われるのも、ひとつの技術と考えて頑張るように」
父親はこれに従順に従い、むしろ息子に尽くすようになる。
また、息子のために処方された睡眠薬と精神安定剤をこっそり味噌汁に混ぜるなどして飲ませている。
それでも買ってきたサンドイッチが気に食わないと言っては、父親を足蹴にして鼻を折るなど、暴力はやむことはない。
長男が中学3年になったとき、長女が入院させることを提案。
世田谷区の精神病院に見学に行くが、実際の入院施設を見て、入院させると息子がショックを受けてしまうのではないか、と思いとどまる。
そして、犯行の2カ月前。父親は金属バットと縄跳びの縄を購入して、自宅に隠すようになった。
縄跳びはバットで中途半端に殴るよりも、首を絞めて完全に殺してあげたいという思いからだったという。
やがて、事件前日。職場から帰った父親は息子にゲームの攻略本を買ってくるように乞われて(というより、命じられて)、買いに出かけ、戻るとすぐにレンタルビデオの返却に向かう。
夜10時。帰宅すると、息子に言われて購入しておいたTシャツを見せる。
すると、気に食わなかった息子は、「なんでこんなもの買ってきたんだ」「すぐ返してこい」などと言って殴りはじめた。
その翌朝。この日は息子に朝7時に声をかけて起こすことになっていた。
6時半頃に寝室に入ると、息子は頭をこちらに向けて眠っていた。
「いまは静かだが、今日もまた殴られるんだなあ」
そう思った父親は、隠していた金属バットと縄跳びを持ち出してくる。
午前7時過ぎ、父親は金属バットを息子の頭部に4~5回振り落とした。
その後、首に縄跳びを巻いて絞めた。息子は脳挫傷と窒息により死亡した。
父親は、返り血で汚れた服を着替え、そのまま近くの警察署に自首している。
■熊沢被告も息子との関係づくりの努力をしていたが…
他方で熊沢被告の長男も、やはり中学に入学した頃から母親に暴力を振るうようになった。
大学進学を機に独り暮らしをはじめてからは、熊沢被告が月に1度は発達障害で苦手なゴミの片付けの手伝いに通い、定期的に長男の状況を主治医に伝え、処方箋を届けるなど、長年にわたって世話を続けた。
また「生きがいを持たせたい」とコミックマーケットへの出品を勧め、会場で売り子として手伝ったこともあったという。
判決では、この点を評価して「適度な距離感を保ちつつ、安定した関係を築く努力をしてきた」と言及している。
ところが、事件の1週間前に長男が実家に戻ると、熊沢被告に暴力を振るうようになる。
ゴミの処分の話から、熊沢被告の髪の毛を引っ張ってサイドボードに頭を打ちつけるなど暴行を加えた。
夫婦は実家の2階で暮らすようになる。
そして事件当日の今年6月1日、2階から降りてきたところで長男と目が合い、「殺すぞ」と言われたことから台所にあった包丁を手に取り、凶行に及んだ。
懲役3年と6年。同時期に東大を出た2人の父親の違いはどこにあるのか。
違うとすれば、熊沢被告の判決文にあるように、「(長男の)主治医や警察に相談することが可能で、現実的な対処方法があったのに同居してわずか1週間ほどで殺害を決意して実行した」とする点だろう。
同判決では、同居翌日に暴行を受け、殺害を考えるようになったと指摘。
妻に心中をほのめかす手紙を書き、インターネットで殺人罪の量刑を検索していた経緯や、首や胸など少なくとも36カ所以上をめった刺しにしていることも踏まえ、「強固な殺意に基づく危険な行為で、犯行に至る経緯には短絡的な面がある」と批判している。
だが、仮に警察や専門機関に相談したところで、犯行は回避できただろうか。
湯島のケースでは、精神科医に相談したところで「息子を受け入れること」「奴隷になること」を勧められているありさま。
事件の1カ月前には、新しいカウンセラーに相談もしているが、凶行は止められなかった。
むしろ、湯島の事件では、あらかじめ金属バットと、確実に殺害するための縄跳びを購入していることからすれば、より計画的で強固な殺意がうかがえる。
あれから20年以上が経って、ひきこもりや、子どもからの家庭内暴力に対する有効な手立てが見つかっているとはいえない。
「犯罪白書」でも家庭内暴力事件の認知件数は増加の一途。
内閣府の調査でも、ひきこもりの長期化・高齢化が顕著で、熊沢被告の親子関係にも象徴されるように、80代の親が50代のひきこもりの子の生活を支える「8050問題」という言葉が世間に飛び交う。
■20年以上が経っても同じ構図の事件は繰り返されている
金属バットで息子を殴り殺した湯島の父親は、公判でこう述べていた。
「現に家庭内暴力に苦しんでいる親に『絶対に子どもを殺すようなことはしてはいけない』ということを伝えるためにも刑を軽くしてほしいとは言いたくない」
懲役3年は、執行猶予が付く最低のラインだ。検察の求刑からして懲役5年だったが、執行猶予は付かなかった。
恐ろしいと思うのは、20年が経っても、同じ構図の事件が繰り返されていることだ。
そうなると、また20年先には、悩み苦しんだ父親が咄嗟に息子を殺す事件が繰り返される可能性も否定できない。
「歴史に学ばないものは、同じ過ちを繰り返す」というが、同じ東京地裁での過去の判決から20年が経って、息子殺しにはより厳しい判決が下された。
その熊沢被告が保釈されたいま、20年前の判例に照らして量刑が見直されることはあるのか。
執行猶予がつくのか、あるいは懲役6年の実刑が減刑されるのか。
日本の司法が試されている、といっても過言ではない。
〔2019年12/21(土) 東洋経済オンライン 青沼 陽一郎 :作家・ジャーナリスト〕
元農水次官に懲役6年、ネット「殺したのは英断」と波紋…「自殺か他殺か」と悲観した元ひきこもり男性が変化した瞬間〈dot.〉
農林水産省の元事務次官・熊沢英昭被告(76歳)が、長男の英一郎さんを(44歳)殺害した事件で懲役6年(求刑懲役8年)の実刑判決が出された。
全国不登校新聞の編集長・石井志昂さんは裁判で「これしか方法はない」とした熊沢被告の主張や、ネット上で「殺したのは英断」という声が上がっている現状に異議を唱える。
* * * *
またもや「ひきこもりは殺しても仕方がない」という声が聞こえてくるようになりました。
農林水産省の元事務次官・熊沢英昭被告(76歳)が、長男の英一郎さん(44歳)殺害した事件の裁判で、その証言に注目が集まっているからです。
熊沢英昭被告(76歳)は、長男からの家庭内暴力や、長女が悩み自殺したこと、長男が事件を起こすと公言したことなどを受け、「これしか方法はない」と妻に手紙を書き、長男を殺害したと証言しています。
それに対してネット上では「お父さんがかわいそう」「殺したのは英断」などの意見も見られます。
この事件が起きた今年6月にも同じような反応が広がり、ひきこもりの当事者の間では「自分もいつ殺されるかわからない」という不安感が広がりました。
しかし、私は殺す以外の選択肢はあったはずだと思うわけです。
事件の報道を聞くたびに、「いつ殺されるかわからない」「自分で死ぬしかない」と思っていたという元ひきこもりの喜久井ヤシンさん(ペンネーム・32歳)のことを思い出します。
ひきこもりの人たちがどうして社会から孤立していくのか、親や家族を憎み、自殺や他殺を意識するのか。
そして、その状態を変えたものは何だったのか。
彼の経験から、改めて考えてみたいと思います。
喜久井さんの半生は壮絶でした。
はじまりは8歳のころ、学校の雰囲気が合わないなどをきっかけに不登校。
中学生のころからは同級生との接触を避け、本格的にひきこもりを始めます。
そこから20代半ばまで10年ほど断続的にひきこもっていました。
「自分は社会的に許されない存在だ」と強く自覚したのは16歳のころ、初恋がきっかけでした。
初恋の相手は同性。それは自分の性的指向に気づいただけに止まりません。
同性愛者が自殺を図るリスクは異性愛者の男性よりも5.9倍も高いこと(「LGBTのいじめ、ハラスメント等による社会的費用推計研究会」調査より)や、地元の公園で同性愛者が狙い殺される事件を知ります。
これらの事実は、将来、自分の身に「自殺」や「他殺」が起きてしまうのでは、と悲観させるものでした。
「社会的に許されない存在」だと思わされることは、本人の孤立につながります。
喜久井さんも自身の性的指向は隠し、周囲の価値観に合わせようと、「自分を偽りながら周囲にウソを重ねて生きてきた」と言います。
自分を偽ること、これがなによりも苦しかったそうです。
また、喜久井さんは16歳のころから現在までの15年間、両親と食事をしていませんでした。
10代のころ、喜久井さんは、自分を「家庭内に住み着いた乞食」だと感じていたからです。
働きもせず、学校へも行かず、それでもお金のかかった食べ物を口にすること、それ自体に罪の意識を毎回、感じていました。
しかも、その「醜態」を家族に晒すことは屈辱的であり、その視線から逃げるために食事を自室に運んでいました。
両親は過干渉気味で、いつも喜久井さんを幼児に接するように扱うため、それもまた苦しかったそうです。
喜久井さんは毎食、用意された食事を盗むように素早く手に取り、自室にこもる。
あるとき、お箸をとり忘れてしまったことがあり、素手で食事をしたこともあったそうです。
両親に会うのは一日一度でも苦痛。箸を取り忘れたからと言っても、再度、顔を合わせる気にはなれません。
そこでご飯は指を使い、味噌汁は舌を伸ばして舐めとって食べました。
エサ皿に頭を入れる犬のような自分に「これが自分にふさわしい」と安堵感さえ感じたのだと言います。
もちろんその安堵感は偽物で、激しい自己否定感の裏返しだと言えるでしょう。
その後、喜久井さんは『不登校新聞』や『シューレ大学』といった不登校やひきこもり、生きづらさを抱えた人とのつながりをえることで、自分を偽らずにすごせる場を得ます。
人は居場所(本当の自分でいられる場・関係)を得ることで社会参加への道が切り開けます。
喜久井さんもその理屈は同じだったようで、現在は、ひきこもり当事者のメディア『ひきポス』や『不登校新聞』で記事を書きつつ、図書館でもアルバイトをして暮らしています。
そんな喜久井さんが昨年、ちょっと晴れやかな顔で「サンタをやってきたよ」と話してくれました。
バイト先で声をかけられた仕事は、図書館内で催される「絵本のお話会」のあと、サンタに扮して子どもたちにプレゼントを渡すというもの。
彼は寡黙でやせ形で、けっして陽気なタイプではありません。
ビジュアル的には自他ともに不向きであるとわかっています。
しかし、「その役を自分がやってもいいのか」と不思議なモチベーションが生まれ、仕事を快諾します。
募る期待と不安を胸にやってきたイベント当日。
やせっぽちの喜久井サンタは、子どもたちから身を隠し、職員の呼びかけにより「メリークリスマース」と言いながら登場。
すると子どもらは「サンタだ!!」叫びんで、元ひきこもりのもとに殺到。
喜久井サンタは、子どもたちにもみくちゃにされ、うろたえ、付けヒゲゆえに息も絶え絶えにプレゼントを配布。
子どもの野性味に圧倒されつつ退散すると、ふと「たまには親に連絡してみてもいいかも」と思ったそうです。
喜久井さんは、自分への罪悪感と同じぐらい強い気持ちで、親を恨んできました。
子ども時代の自分を不幸にしたのは親のせいだ、と。
しかし今、目の前の子どもたちに圧倒されてみると「親はよく世話をしていたなあ」と思ったんだそうです。
その後、喜久井さんは15年ぶりに両親と食卓を囲んでいます。
ひさしぶりの食事は「複雑な気持ちだった」と語っており、けっしてよい思い出だけではなかったそうです。
ただし、世間では30歳をすぎると「親の背中が見えてくる」と言いますが、ひきこもっていた彼も30歳を超えて親への思いが変わったようです。
喜久井さんが「殺されるかもしれない」「死ぬしかない」と追いつめられながらも、その思いが変わったのは居場所(本当の自分でいられる場や関係)と出番(サンタ)を得たからでした。
練馬事件の報道を聞くたびに、私は心が痛みます。
殺された長男も喜久井さんと同じような孤立感に苦しんでいたのではないか。
もしも家族だけで苦しさを抱えず、社会の側に「ひきこもりの人の居場所と出番」がもっと整備されていたら思うからです。
「殺す」以外の選択肢、これが社会のなかで今、議論しなければいけないことではないでしょうか。
〔2019年12/16(月) AERA dot.(文/石井志昂)〕
元農林水産事務次官息子刺殺事件の裁判員裁判の初公判
妻涙声で「刑を軽くしてください」元次官息子刺殺
東京都練馬区の自宅で長男熊沢英一郎さん(当時44)を刺殺したとして、
殺人罪に問われた元農林水産事務次官熊沢英昭被告(76)の裁判員裁判の初公判が11日、東京地裁(中山大行裁判長)で開かれた。
被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
検察側は長男の家庭内暴力から殺害に至ったと指摘。
妻宛てに書いた「これしか他に方法はないと思います」と長男殺害をほのめかしていた手紙も読み上げられた。
◇ ◇ ◇ ◇
熊沢被告は黒いスーツに青色のネクタイ姿で出廷。罪状認否ははっきり応じたが、やつれた様子だった。
冒頭陳述によると、長男は中学時代にいじめを受け、母親に家庭内暴力を振るった。
大学進学後は1人暮らしを始めたが、事件1週間前に実家に戻った。
1人暮らししていた家のゴミをめぐり立腹し、被告に暴力を振るった。
被告は長男を恐れ、妻と2階の寝室にこもった。
検察側は事件直前、被告がインターネットで「殺人罪」や「量刑」を何度も検索した履歴があったとし、計画性を主張した。
凶器の包丁は農水省の治水事業の記念品だった。
弁護側は長男が統合失調症やアスペルガー症候群と診断されていたと明かし「長年、必死で長男を支えていたが、
暴行を受けて殺されると思い、とっさにやむを得ず刺してしまった」と主張した。
検察側は被告が事件前、原稿用紙に書いた妻宛ての手紙を読み上げた。
「これしか他に方法はないと思います。死に場所を探します。見つかったら散骨してください。英一郎も散骨してください」。
証人尋問では弁護側証人として被告の妻が長男が中学2年~大学時代の7年間にわたり家庭内暴力を受けたと証言。
被告が長男が住む家のゴミ出しをしたり、持病の薬を届けていたが、事件1週間前、被告が長男から激しい暴行を受けた。
「(息子は)『殺すぞ』以外は言葉を発しなかった。本当に殺されると思いました」。
妻は、長男の妹は兄が原因で縁談が破談となり、数年前に自殺したと証言。
妻も昨年12月に自殺を試みたが未遂だった。
事件前に自殺未遂について被告に伝えると、原稿用紙の手紙を渡された。
「長男のことを本当に一生懸命やってくれた。刑を軽くしてください。お願いします」。
被告はギュッと目をつぶっていたが、妻が涙声で減刑を訴えると、思わず顔を伏せた。
事件後、被告が川崎市の私立カリタス小の児童ら20人殺傷事件に触れ
「事件を知り、長男が人に危害を加えるかもしれないと思った」と供述したと報じられたが、公判では言及はなかった。【近藤由美子】
◆元農水次官息子刺殺事件 6月1日午後3時15分ごろ、熊沢被告は自宅で英一郎さんの首などを包丁で多数回突き刺し、失血死させた。
英一郎さんは、いじめをきっかけに中学2年から不登校となり、家庭内暴力を始めた。
10年以上前に実家を出たが、5月下旬から再び同居すると暴力が再開。
熊沢被告は5月26日ごろ、妻に英一郎さんへの殺意を打ち明けていた。
◆8050問題 高齢の親が無収入の引きこもり中高年の面倒を見続ける中、親が要介護者となったり、経済的に苦しくなるなどの社会的問題。
「8050」は双方の年代を意味し、大阪府豊中市社会福祉協議会福祉推進室長の勝部麗子氏が名付けた。
〔2019年12/13(金) 日刊スポーツ〕
<青い空白い雲>「引きこもり息子」を殺した"上流国民"の家庭道徳観?〈サンデー毎日〉
◇牧太郎の青い空白い雲/723
「上流国民」という言葉は嫌らしくて好きになれなかった。
特定の人たちが妙に皮肉っぽく使う「ネットスラング」の類い。
無視していたのだが、4月19日の悲惨な交通事故が「上流国民」という言葉に市民権を与えてしまった。
この日の正午過ぎ、東京・池袋で、87歳の高齢ドライバーが運転する乗用車が暴走。2人の母子が死亡。
多くの怪我(けが)人も出した。大惨事だった。しかし、運転手はなぜか逮捕されなかった。
ネットが詮索を始めた。「運転手が元高級官僚(旧通産省工業技術院長)という上級国民だったから逮捕されないのだ!」という指摘が相次いだ。
上流国民なら罪にならない?まさか......法は万人に平等だ。そんなことは断じて許されない。
多分、本人が骨折して、精神的ダメージも大きく、留置場に入れてしまうと「予期せぬ事故」が起こるかもしれない!と警察は判断したのだろう。
回復を待って逮捕されるものと思っていたが......退院後も「在宅捜査」だった。
やはり「上流国民」なるものは特別待遇を受けるのか?
そういえば、例の森友事件で「公文書改ざん」を疑われた財務官僚は無罪放免になった。
やっぱり「上流国民」、特に「高級官僚」は特別扱いなのか?
× × ×
「上流国民」が"息子殺し"をしでかしてしまった。
76歳の元農水事務次官・熊沢英昭容疑者のことである。
家庭内暴力を振るう、引きこもりの44歳の長男が、自宅隣の小学校の運動会の音に腹を立て「うるせえな。ぶっ殺すぞ」と騒ぐ姿を見た。
児童らに危害を加えるのではないか?と恐怖に襲われ、つい我が子を殺害してしまった。
容疑者の体には複数のアザが残っていた。
日ごろから長男から暴力を受け、心身ともに限界を感じ、追い詰められた末の"究極の選択"だったのだろう。
多くの人が同情した。当方もちょっと泣けた(彼が次官の頃、JRAの経営委員だったので、面識もあった)。
「親としてけじめをつけた」と支持する意見もある。農水省OBが減刑嘆願に動き出した。
しかし、今回の「息子殺し」はあまりに「日本的な責任の取り方」ではあるまいか?
× × ×
「上流国民の悲劇」を感じた。
「決行!」の背景に、高級官僚らしい「思い込み」「思い上がり」が隠れているような気がするのだ。
当の長男は「次官の父親」を自慢していた。
普通なら「親父の悪口」を言いたい頃に......。「上流国民」家族の「思い込み」を感じる。
日本の殺人事件の半分は、親子間や夫婦間など親族のなかで起きている。
殺人に至るには、それぞれの家庭内に複雑な事情がある。今回だけが「特別」ではない。
でも、今回、世間は"思慮分別のある高級官僚だから殺した"と、さも正しい判断だったと思い込む。
メディアも、まるで「容疑者の味方」である。
これも、世間が「上流国民は特別だ!」と勘違いしている証拠ではあるまいか。
× × ×
「ひきこもり地域支援センター」に相談すべきだった!なんて言わない。
高級官僚でなくても誰でも「家の恥」を隠そうする。仕方ない。
でも、長い役所暮らしで「自民党政権の空気」に熊沢容疑者は敏感だったのではないか。
安倍政権がめざす憲法改正。自民党の憲法改正草案の第24条には
〈家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない〉とある。
自由を享受し、権利を行使するに当たっては、自助努力と自己責任の原則に従え!ということだろう。
自民党の「家庭道徳観」に、この「上流国民」は敏感だった?
介護、不登校、引きこもり......は、公的機関を利用するのではなく、家族が自己責任のもとに面倒を見る。
「自助」が原則?この自民党の「家族道徳主義」を一人の「上流国民」が実践した。
そして、世間は「息子殺し」を容認する。
それでいいのか?
「公助」を否定する「責任の取り方」に、僕は反対だ!
〔2019年6/20(木) mainichibooks.com〕
「”お金があるから引きこもろう”と思う人はまずいない」元農水次官による長男殺害事件、元当事者の見方は
「身の危険を感じ、周囲に迷惑がかかると思い殺した」。農林水産省の元事務次官・熊沢英昭容疑者が44歳の長男・英一郎さんを殺害した事件。
自宅からは“長男を殺す“などと記された書き置きが見つかっているという。
警察の調べに対し熊沢容疑者は、英一郎さんが家庭内で暴力を振るっていたと供述、さらに「川崎市登戸の事件が頭に浮かび、同じようにならないように考えた」という趣旨の供述もしているという。
犯行当日、近くの小学校では運動会が行われており、“音がうるさい“と長男と口論になっていたとみられている。
ひきこもりがちだったという英一郎さんは、オンラインゲーム上では多くの人に認知される存在で、本人のものとみられるTwitterには「2ちゃんのニートちゃん達へ 2018年5月の支払い予定分のご利用明細合計323,729円 これが今月の私のクレカの支払額だ 君達の両親が必死で働いて稼ぐ給料より多いんだよ(去年6月)」と投稿。
また、父親である熊沢容疑者を自慢するような「立場を弁えなさい!!!庶民が私の父親と会話なんか出来る訳無いでしょうが!!!」「私は、お前ら庶民とは、生まれた時から人生が違うのさw」となどと投稿。
その一方、母親に関しては「だから中2の時、初めて愚母を殴り倒した時の快感は今でも覚えている」「もし殺人許可書とかもらったら真っ先に愚母を殺すな(2014年10月)」と投稿していた。
30年以上から“ひきこもり“という言葉を提唱、不登校問題などに取り組んできた精神科医の斎藤環氏は
「ネットが普及して以降、ひきこもりの人のライフスタイルが変わったということはそれほどないと思う。
そもそも、あまり人とつながろうとしている人が少ないので、私が見ている中ではゲームか動画か掲示板という感じだ。
ゲームのヘビーユーザーもそんなにいないという印象を持っていて、そこそこ使っている人で5割~6割ぐらい。
残りの人は何をしているかというと、部屋でぼーっとしていたり、横になったりとという人が多い。
そんな中、今回は例外的なヘビーユーザーだという印象がある。
ゲームに月32万円も課金していたということだが、私の経験では珍しい」と話す。
さらに「Tweetの内容について、すごく自己中心的で傲慢な印象を受けるかもしれないが、そもそもSNS上はマウンティング合戦をするところなので、これは基本的な、デフォルトの書き方。
本人がこの通りに考えていた可能性は低いと考えられるし、むしろ自虐というか、“親の金をこんなに使って暮らしている情けない状態だ“という自暴自棄な印象がある。
もう一つ、長く引きこもっている方の何割かにみられる考えだが、彼も間違いなく自分の状況について不本意だと感じていたと思うが、その原因は親のせいだという考え方をしていた可能性も感じられる。
官僚のお父さんとは接点が少なかったと思うし、“立派な父親にとても及ばない自分“というような、ある意味で抑圧をすごく感じていたのではないか。
そんな劣等感を感じつつも、人には半ばギャグとして“庶民ども“みたいな感じで父親を崇めたり、自慢したいといった屈折した意識を感じるところがある。
一方、お母さんとは接点が多い分だけ恨まれやすいポジションにあったと思う。
現状から遡って恨みを買うことはよくあるので、そういう可能性はあったと思う」と分析した。
また、今回の事件は、離れて暮らしていた英一郎さんが戻ってきてから1か月という短期間に起きている。
自身も24歳から約2年半のひきこもりを経験、現在は当事者たちの声を発信するメディア『ひきポス』編集長を務める石崎森人氏は、「“親にお金があるから引きこもったのでは“、という意見もあるかもしれないが、私の知る限り、人生がうまくいかなくなって、気づいたらひきこもり、抜け出せなくなっていた、というケースがほとんど。“うちにはお金があるから引きこもろう“と思うような人はまずいない。そのことをまず皆さんに知って欲しいなと思う」と指摘。
「別々に暮らすことで親と一緒に暮らしていることのストレスから解放されていたはずなので、わざわざ実家に殴りに帰るようなことはなかったはずで、家庭内暴力は起きていなかったはず。その意味では別々に暮らしていたのは良かったことだったのではないか」と推測した。
斎藤氏も「単身生活中は暴力のない、平和な状態が続いていたと思う。
しかし帰って来るなり暴力が始まったと考えるならば、1か月は相当長い期間だと思う。
というのも、慢性的に暴力を振るう人の場合、“ご飯がまずい““石けん替えていない“とか、“タオルが濡れている“とか、そういう半ば言いがかりみたいな理由で毎日暴れるので、どんどんピリピリした感じになっていく。
そこに川崎の事件が起こったので、“そのうち外で何かやらかすのではないか“と思い込むのも流れとしては分かる」と話した。
「”お金があるから引きこもろう”と思う人はまずいない」元農水次官による長男殺害事件、元当事者の見方は
長男のものとみられる投稿
この「川崎の事件と同じならないようにと思った」という趣旨の供述に対しては、「将来的な犠牲者が出る前に、親が責任を持ってけりをつけたのか」「ある意味、立派なお父さんだ。情状酌量を」「殺人は悪。しかし加害者の気持ちも分かる」など、熊沢容疑者の心情を慮る声もある。
斎藤氏は「私は同情的ではないところもある。なぜかと言いえば、お父さんが外に助けを求めた形跡がないからだ。
保健所やカウンセラーもあるし、暴力なら警察、さらに警察経由で病院というルートもある。
恥の意識やエリート意識があったのかもしれないが、自分で抱え込んで何とかしようという決意をされていたのではと思う。
ただ、それにはどうしても限界があるし、暴力を振るわれ続けると、ある種の洗脳状態になり“殺す以外に手段がない“と思い込んでしまう。
そうなると“助けを求める“という発想も出てきにくい。
だから、あたかも殺すしかなかったというような世論には、ちょっと私は同調できない」との考えを示した。
その一方、「外に出そうとすると反作用が起こるということはよくあること。
どれだけ本人のことを思ってのアドバイスであったとしても、“社会に出るべきだ“という前提で関わること自体、非常に煩わしいと感じてしまう。
私が知っている人の経験談で印象的だったのは、親から毎日“働け“とか“出ろ“と責められて苦しんでいたが、たまたま幼馴染が毎日散歩に付き合ってくれて、接し方としても、“たまたま色々難しい状況にあるだけで、とにかくまともな人間だ“という前提で付き合ってくれたので、結果的に抜け出すことができた、というものだ。
やはり普通に接してくれる人の方が非常にありがたいのではないかと思う」と話した。
議論を受け、カンニング竹山は「この1週間、自分なりに色々考えた結果、少し変わってきた。
まだまだ勉強しないといけないし、暴論かもしれないけれど、“引きこもって何が悪い、別にいいじゃないか“って、そう思うようになった」と話していた。
〔2019年6/4(火) AbemaTIMES AbemaTV/『AbemaPrime』〕
長男の傷は数十か所…「身の危険感じた」元次官アザ複数
送検される元農林水産省事務次官の熊沢英昭容疑者(3日午前、東京・練馬警察署で)
無職の長男(44)を刺したとして、東京都練馬区の元農林水産省事務次官、熊沢英昭容疑者(76)が殺人未遂容疑で逮捕された事件で、司法解剖の結果、死亡した長男は首や胸など数十か所に刺し傷や切り傷があったことが警視庁幹部への取材でわかった。
警視庁練馬署は、長男から家庭内暴力を受けていた熊沢容疑者が、川崎市で児童ら20人が殺傷された事件を見て不安になり、長男を殺そうとしたとみている。
発表によると、熊沢容疑者は1日午後、自宅にあった包丁で長男を刺した疑い。
自ら「息子を刺した」と110番したが、長男は搬送先の病院で死亡した。
司法解剖の結果、死因は右首を深く切られたことによる失血死と判明。
傷の多さから、長男が倒れた後も刺し続けたとみられる。
練馬署は、熊沢容疑者が強い殺意を持ち、執拗(しつよう)に刺したとみて容疑を殺人に切り替えて東京地検に送検した。
捜査関係者によると、長男は中学2年の時から不登校になり、家庭内で両親に暴力をふるうようになった。
当時、熊沢容疑者は現役の官僚だった。
長男は大人になってから仕事をして実家を離れた時期もあったが、今年5月下旬に実家に戻った。
仕事に就かず、実家にひきこもってオンラインゲームにふけり、両親に暴力を繰り返したという。
長男とみられるツイッターのアカウントには、ゲームのことのほか、父親が元次官であることなどが投稿されていた。
熊沢容疑者の体には逮捕時、長男からの暴力でできたとみられる複数のアザが残っており、毎日のように暴行を受けていた可能性が高いという。
熊沢容疑者は長男の暴力について「身の危険を感じた」と供述している。
事件当日は、自宅に隣接する区立小学校で朝から運動会が開かれていた。
長男が運動会の音に「うるせえな、ぶっ殺すぞ」などと騒ぎ出したため、熊沢容疑者が注意すると、暴行を受けたという。
熊沢容疑者は調べに対し、5月28日に川崎市で私立カリタス小学校の児童ら20人が殺傷された事件を挙げ、「長男も小学生に危害を加えるのではないかと不安になった」という趣旨の供述をしている。
練馬署は、長男が近所の運動会に腹を立てたことで、暴力が家庭の外に向かうことを恐れ、長男を刺したとみている。
〔2019年6/4(火) 読売新聞オンライン〕