自治体のひきこもり支援は相談から居場所へ
自治体のひきこもり支援は相談から居場所へ
〔会報『ひきこもり周辺だより』2019年7月号に加筆〕
5月に起こった川崎・杉並のひきこもり関係の事件をきっかけにひきこもり8050問題が注目されています。
この問題に自治体などの相談窓口には「もっと相談に来てください」という趣旨のアピールが出されています。
そう勧める意見もかなりみられます。
〔1〕これまでの対応策をふりかえる
これまでに相談に行った人からの話をいろいろ聞いてきました。
その結果は必ずしもよいとは言えません。
うまくいかなかった人が相談に来たのであって、相談窓口を通して道が開けた人は少なくない。
そういう事実もあると承知していますがこの状態に満足してはおれません。
私の経験した範囲でも自治体相談窓口の人からどう対応すればいいのか問われたことは何度かあります。
窓口の人も迷う部分はあるのでしょう。
相談に来られた方は熱意があるからだと思います。
相談内容はまずは家族としてのひきこもり理解や対応です。
それは悪いことではありませんが、自治体らしい対応とはいえないかもしれません。
一般の心理相談室などでもできることだからです。
行政らしい対応を導入すべきです。
行政らしい対応策は相談(ひきこもりの理解)から居場所(当事者への接触点づくり)に支援の重点を移さないとできないと思います。
社会環境、地域環境の条件づくりのも目を向けるべきなのです。
そういう条件があれば当事者にも利益があり、将来につながる行政の現在の課題解決になる予算の使い方、人が動く形の支援に向かえると思います。
どういう方法が考えられるかを後半に示します。
その前にこれまでの行政の対応を私の記憶により振り返ってみました。
行政のひきこもりへの対応ではじめて目にしたものは、2005年に出された厚生労働省の報告でした。
精神保健福祉センターや保健所にひきこもりをテーマに相談に来たのが合計で数千件であったと記憶しています。
その相談件数は、当時の不登校情報センターの年間の相談件数と大差がないのに驚いた記憶があります。
当時の行政側の窓口には、ひきこもり相談を公式にうたってはいなかったので、窓口の記録には十分に反映していなかった事情もあると推測できます。
この報告の出された2005年ごろから、周辺のいろいろなテーマへの対応が始まりました。
発達障害への対応、ニートへの対応、貧困への対応が顕著なものです。
それらがひきこもりに重なる対応策になる部分はありました。
しかし、それらの対応が発表された当時に聞かれた言葉は「ひきこもり対策は、後回しにされている。優先順位が低い」というものでした。
何か関連がありそうな対応が出されるたびにひきこもり問題は後回しにされてきたのです。
そのなかでもニート対策は疑問です。
ニートとは働いていない・職業訓練を受けていない・教育を受けていない義務教育を終えた若者と定義づけられました。
ニートを対象として打ち出されたのは、働くように仕向けること以外ではありません。
ひきこもりをニートと言い換えて対応したことにより、ひきこもり対応策とは働くように仕向ける方策に反れていったのです。
「ひきこもりというのには世間は温かかったが、ニートには冷たい厳しさを感じる」。
感性鋭くその時代の雰囲気を察知したある一人がふと口にした言葉です。
この時期の悪影響はいまも続いていると思えます。
忘れてはいけないことを1つ。厚生労働省はひきこもりを定義しています。
ではある人がひきこもりであるのかそうでないのかを、誰が判断するのでしょうか?
定義があるのですがその基準により判断をするのは誰なのか、実は決まっていません。
事実上は窓口担当者ですが、その担当者が「ひきこもりですね」と思っても、相談者に伝えても、それ以上のことはなにもないのです。
これを取り上げるのは、不登校との対比からです。
ある生徒が不登校かどうかを判断するのは、その生徒の所属する学校の校長です。
判断の基準は文部科学省の不登校基準です。
実際は学級担任が出席状況を見て相談していくのでしょう。
それは医学的な基準ではなく、生徒の行動(登校状況)による判断です。
心身状態よりも行動を基準にしています。
ひきこもりは医師が診断するのでしょうか?
そうと決まっているわけではありません。
診断する医師はいますが数少ないです。
診断したからと言って医学的な治療方法が確立しているわけでもありません。
ひきこもりを医療の対象にするのは無理があります。
多くの医師はその人がひきこもりかどうかを判断、診断するのではなく、「精神障害・精神疾患があるか・ないか」を診断するのです。
一般に医師にはそれ以上のことは求められません。
しかし、医師はそういう事情をよく知りうる立場にいることも確かです。
医療機関に患者(その候補)としてひきこもりが行くケースが多いのは確かですが、この区別はついていないのです。
このあいまいさ、あいまいにせざるを得なかったことがひきこもり対応策を後回しにしてきた理由の1つです。
それは事の性格上避けられず、グレーゾーンです。
そこが明瞭にならないと的確な対応策は出てこないと思います。
グレーゾーンになった背景には2つの面があります。
ひきこもりの身体面の変化がとらえられなかったことが1つ。
ひきこもりの背景理由は対人的・社会的なもので、医療的な治療ではなく、社会的に対応にしなくてはならない点がもう1つです。
社会的な面を医師の仕事にするわけにはいきません。
身体面の変化は、虐待やいじめを受けた人に顕著に表れるものです。
しかし虐待やいじめだけではなく、その人の幼少期からの環境による扱いの不適切さによります。
これをマルトリートメント(不適切なかかわり)といいます。
それが明らかにされたのはごく最近と言っていいと思います。私の理解ではまだ10年になっていません。
脳内の一部と胸腺の萎縮による機能不全・機能低下を招いているのです。
|会報6月号「そして素人目による医療分野のこと」を参照。
この身体的な回復は、医学医療的な対応が未確立であることとともに、もう一つの背景理由である対人的・社会的な条件の改善と結びつかないと中心点をついた対応策にはなりません。
多くのひきこもり当事者が医師の受診を意図的に避けるのは、この部分を本能的に察知しているからではないでしょうか。
「病院に行くようなことではない」という感覚です。
この対人的・社会的な面を中心に行政がとるべき対応策があると考えます。
そういうわけで、ここまではいわば前文に当たります。
〔2〕行政のひきこもりへの支援方法の提案
ひきこもり状態の人が対人関係をつくれるようになるのは簡単ではありません。
相談に来て、理解でき、理解されればあとは自然によくなっていくものではありません。
人と関わるには不安感や恐怖感があります。その不安感は相手にも伝わりやすいものです。
だから対人接触の初めは特にたいへんなのです。これが人との関係をつくるときの課題です。
人によっては機能低下した身体条件を各人の年齢のところで、それぞれに応じた回復策を図ることになります。
いろいろな対応策の後回しにしないでひきこもりを正面に据えて取り組むしかありません。
ある特定の個人への対応は個人的に関われる1人から始まることが多いです。
それは家族の誰かが仲介することが多いかもしれませんが、家族以外の他者です。
その人が社会との接点であり、社会そのものです。
ある1人との接触は、訪問から始まることが多いのです。
目的は家から引き出すのではなく、人と話せる機会の大事さを実感してもらうことです。
訪問以外にもネット社会の特性を生かす方法もあると思います。
生活保護担当者とか保健所とか行政部門の人がその目的で訪ねると会える確率は高いので、それを生かす方法も自治体ならば考えられるでしょう。
(1) この個人として関われる役割をする人を育てなくてはなりません。
ひきこもり当事者にはその状態の自分を理解されることがとりわけ大事です。
その役目を果たす特殊能力を持った人がいます。
私の知る範囲ではそれはひきこもった経験のある人です。すごい才能の人もいます。
自分の経験、状態の深い理解、感情や感覚の共有ができるからでしょう。
もちろんひきこもり経験者ならだれでもそうなるわけではありません。
ですから訪問先の当事者に即していろいろな人がこの役割をできるようにしなくてはなりません。
この最初に接触する人への支援が行政の対応策にできます。
訪問活動をしている支援団体等との協力により対応策を具体化する提案をします。
これを「行政の訪問援助策」とします。
数は少ないですがいくつかの自治体で始めています。
主に訪問から始まるとみられる個人接触の支援策は、ひきこもり当事者を人として尊重する対応でないと逆効果になります。
人への信頼感を高めるのが対人関係づくりの初期にはとりわけ大事です。
ある種の必要性からひきこもりは始まっています。
ひきこもりがその人のその時期の生存のために取られた戦略として始まったことを理解しなくてはなりません。
最近の幼児虐待の事例を見るにこれまでもそういうことはあったし、その時期を潜り抜けひきこもり傾向にある人は少なからずいます。
私は幼児期にそのような状態におかれ自分を守り、生き続けるために自分を押し殺して親の言いなりになった経験を聞いたことがあります。
生き続けるための戦略であったというのはそういうことです。
学齢期以前の子どもにそれ以上のことを望むことはできないでしょう。
この話を聞いたときの向ける対象のない怒り、同情、無力感の入り混じった気持ちを表すことはとてもできません。
ひきこもりを否定的に扱われないことは当然として、強制的なひきこもり引出しが逆効果なのはこの事情を無視しているし(そういう背景にまで思いが及ばないのでしょう)、人として尊重されないからです。
次の段階は比較的ゆるい人の集まる場所に参加できるようになることです。
この場所もいろいろですが、ざっくりと居場所と表現します。
居場所はいろいろな傾向のものがあることが大事です。
それは当事者の集まりだけではなく、親の会・家族会かもしれません。
カフェや塾などの名前になるかもしれません。
場所により様子が違うことも必要ですが、ゆったりとして急かせられない点は共通するはずです。
(2)ところで、行政が介在するとなると居場所ならどこでもいいとはいきません。
どういう形で行政は居場所にかかわるのか。
そこで相談や居場所に行く当事者や家族の交通費の支給を提案します。
ひきこもりの当事者と家族を通して行政担当窓口と民間の支援団体を結びつけ、協力関係をつくるのです。
当事者にはその際のお金の心配がなくなるし、外出の動機と利益を得られるようにします。
この過程を通して自ずと行政と協力できる支援団体と居場所は選別されていきます。
これを「居場所への交通費支給」とします。
|会報3月号「居場所の通う交通費を考える」参照。
(3)次の提案は高卒認定試験の学習援助です。
仕事につくための条件整備の面だけではなく、深いところで当事者の社会的な喪失感を精神的に穴埋めする作用があります。
日本社会は就業の基本条件を高校卒業者にしてきました。
高校を卒業していない人たちが社会の底辺に置かれた状態はこの副作用です。
この代償を彼ら彼女らに負わせるのは不当ではないでしょうか。
社会がそれを受け持つ、自治体がそれに取り組む根拠をここに求めたいと思います。
これもひきこもり支援策の伊津部になります。これを「高卒認定試験の援助」とします。
高卒認定試験の学習の場は、社会経験を重ねる居場所の役割もします。
すでに学習塾やフリースクールを名乗るところがこの分野に活動範囲を広げています。
その経験から学べることはあります。
いくつかの自治体で、おそらくはシングルマザーを中心とする人を対象に高卒認定資格の取得を支援する制度ができています。
貧困対策の一端として位置づけられる働くための高卒資格取得援助策は、高校卒業資格のない人全体に広げられてもいいと思います。
(4)定期的にひきこもり家族会や当事者の会を開き運営する保健所や社会福祉協議会があります。
この動きをさらに広げることが大事です。
住民のなかで出来ているひきこもり家族会・親の会に行政側が参加を勧める方法もあります。
反対にKHJ家族会を中心に自主的な家族会・当事者の居場所が継続的に開かれています。
それを行政として場所代や運営費などを資金的に援助する方法もあるでしょう。
すでにそうしているところもあるようです。
あわせて行政の担当者はこれらの場所に出かけて運営の自主性を侵さないようにしながら参加し、学んでいただきたいと思います。
(5)これらの当事者の会・家族会に参加を重ねた行政担当者が担当地域内の事業者と協力する取り組みを提案します。
人材難・後継者難の事業者に働きかけて見学・研修・見習等の機会として居場所に準じる場を設けるのです。
心身の条件が受け入れられ、気持ちも整い、適切な職と環境があれば、その人の状況に沿って働けるひきこもり経験者はいます。
そういう人と事業者とともにこの種の見習いの場をつくる、両者を結び付ける役割です。
これを「事業者と協力する居場所づくり」とします。
多くの事業者にはこのような企画や運営は簡単にはできません。
自治体やその相談担当者がその役割をします。
仲介をするだけではなく、自ら場をつくる役割です。
窓口の担当者など自治体の業務は、かなり多くがNPOを含む民間に業務委託されています。
その人たちの力を発揮する場をつくるのです。
事業者の一部がこのような取り組みに協力できるようになれば、ひきこもり支援の社会的な雰囲気は格段に変わるでしょう。
〔3〕ひきこもり8050問題は広い社会問題の土台
居場所の取り組みは他の面からもうまれています。
子ども食堂は子どもの貧困への対策として住民の中に広がりました。
子どもとともに親も参加する、住民が参加し地域食堂の色彩を持つところも生まれています。これも広義の居場所です。
食の問題を、ひきこもり8050問題とつなげることも求められます。
同様に住宅問題も、ひきこもり8050問題とつながります。
親の名義で公営住宅に住んでいる。
親がいなくなったら住めなくなるという不安を口にする人もいます。
このように食と住の面からもひきこもり問題にアプローチできるし、テーマによる交流の機会になります。
学習塾やフリースクールに来ていた生徒の年齢が上がり、青年から30代・40代の人の居場所になる動きがみられます。
心理相談室でカウンセリングをしていたところが学習や居場所を設けるようになっています。
学習面や心理面の成長には人間関係や社会的な関係の制約を解消する必要性があるとみた動きかもしれません。
経営面の改善も目標になっているはずです。
これらの教育・心理業界の動きは、障害者に対応する福祉施設が先行して行ってきたことが広がったともいえます。
職業紹介をしているハローワークに障害者窓口とは別にひきこもり・ニート対応窓口が一部にできたそうです。
これはその流れの中の一つかもしれません。
子育てや介護をめぐる動き、創作活動・芸術・芸能の分野、運動・健康などいろいろな分野から居場所が広がってきています。
これらの動きは、かつての地域社会、地縁関係で結ばれていた人の関係がくずれ、変わってきているなかでのことです。
そのほころびを補足するとともに新しい社会的な結びつきをつくる役割をするものです。
そこに行政の役割、自治体の役割がありはしないでしょうか。
それぞれの動きの自主性を尊重しながら、介在するのが自治体・行政の役割になるのではないか。
後回しにされてきたひきこもりの対応策が後回しにされてきたのは、こういう社会の土台から見直す動きが出てきてようやく本当に手が付けられるようになったと言えるのかもしれません。
まだ萌芽的ですが、時機到来! かもしれません。
ひきこもり当事者が集まるフューチャーセッション庵(いおり)の目標は、「ひきこもりが問題にならない社会」とのことです。
居場所が上のようにいろいろな広い方向からアプローチされれば、この目標に少し近づけるのではないでしょうか。