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東京コミュニティスクール

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
2019年7月18日 (木) 17:08時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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東京コミュニティスクール

教育機関としての性格

フリースクール
(全日制オルタナティブスクール)

教育活動の特色 小学生対象の全日制オルタナティブスクールで、教科横断の探究型学習に大きな特徴があります。ぜひ一度、見学に来てください。
理事長 久保 一之
住所 〒164-0001
東京都中野区中野1-62-10
TEL 03-5989-1869
FAX 03-5989-1649
URL http://tokyocs.org/
法人名 特定非営利活動法人 東京コミュニティスクール
設置コースと学費 ・入学金 20万円
・教材費(年間) 78,000円

・その他 寄付金、校外活動費等
学科・コースなど
・初等教育
定員 54名/実人数 43名
授業料 780,000円(年間)
入学の条件
  • 学級定数の空席がある
  • 入学試験: 体験入学、面談(子ども及び両親)
  • 入学可能な学年・学期: 小学1年生~4年生(随時)


詳細はお問い合わせ下さい。

面接で重視する点(3つまで)
  • 保護者とスクールの考えに基本的な相違がないこと。
  • 子どもがスクールで学ぶことに対して前向きに考えていること。
  • 子どもが、他の子ども達や教員とコミュニケーションがとれること。
帰国生・外国籍の生徒の受入れ あり(条件:一般生と同様)。
4月以外の新学年の開始
(10月入学など)
なし
発達障害を持つ生徒の受入れ 生徒の状態により受け入れる。
案内書
東京コミュニティスクールの案内書
お取り寄せ
案内書は保管していませんが請求いただければ取り寄せます。

⇒学校案内書を入手する方法
情報提供年月 2019年7月

教師経験が野球につながる 元日本ハム松浦宏明氏2
上海スーパーガールズの指導者として、昨年香港で行われた国際大会に参加した松浦氏(左)
「ゼロ戦のマツ」こと、元日本ハム投手の松浦宏明さん(51)は、第2の人生をゼロから考えた。
球界を離れて1年間、じっくりと「やりたいこと」を検討した。
松浦さん(以下、敬称略) 職業の本などを見ていて医療関係に目が止まりました。
私も現役時代に肘、肩を痛めたとき、治療しても完全にはよくならなかった。
でも西本聖さんに紹介して頂いた東洋医学…鍼灸の先生に完全以上に治してもらった。
その先生が頭をよぎりました。医療の知識があったら、野球の指導をしていく上でも役に立つ!と考えました。
横浜駅に近い医療専門学校に通い、整体師とスポーツトレーナーの資格を取得した。
通学している期間中に、横浜市内に「松浦整骨院 松浦スポーツケア」を開業した。
松浦 専門学校の学園長に勧められたんです。
「治療院を出してみないか。バックアップするよ」と。そこで学校に通いながら治療の仕事を始めました。
同院での仕事は7年間に及んだ。一緒に働いていたスタッフに後を託し、松浦さんは治療院から離れた。
松浦 治療の勉強もしたし、なぜスポーツ障害になってしまうのかを、野球の指導に活かしたかった。7年間をひと区切りとして、学んできたことを次の仕事につなげました。 手塚一志氏が代表を務める「上達屋」と契約して、指導の仕事を始めた。
上達屋では、野球をはじめ多種スポーツのアスリートが競技力向上を目指す。
ホームページでは「“理にかなったカラダの操り方”を見つめ直し磨くことにより、あなた本来の能力を引き出し向上させます」と説明されている。
手塚氏は日本ハムでトレーニングコーチを務めていた経験も持つ。当時は同僚としてコーチと選手として在籍していた。
松浦 コーチと選手という間柄だった時期もあり、手塚さんのやっていることは知っていました。
スポーツ医学を勉強して活かしている指導で、私もやってみたいと思った。
マニュアルも根拠のある理論もしっかりしていて、細かいわかりやすい指導で、指導法が私には合っていました。
元プロ選手による、自身の経験や感覚に基づく指導とはひと味違っていた。身体の使い方、理にかなった指導を学んでいった。
上達屋には6年間在籍した。その後の経歴は多種多様である。
中国のプロ野球チーム、上海ゴールデンイーグルス、江蘇ペガサスでコーチを務めた。
その間には日本で野球教室や、選手の個人指導なども行っていた時期もある。
松浦 中国には縁があって、上達屋時代から年に5回ぐらい行っていたんですよ。
上海に1年いて、日本に戻って野球教室をやっていたんですけど、江蘇に誘ってもらい、また中国へ行きました。
2015年には、学生野球資格回復研修を受け、アマチュア資格を回復した。
翌年には船橋市教育委員会から委託され、母校の湊中学校で外部指導員を務めている。
その他の学校にも出向いて、野球部を指導してきた。千葉県の中学女子野球選抜チーム「千葉マリーンズ」で、アドバイザー兼コーチという肩書もある。
また、中国の女子チーム、上海スーパーガールズ(SSG)の顧問を務め、現在も指導にあたっている。
松浦 いろいろなことをやったけど、すべて自分のスキルアップに、いい影響が出ていると思います。
まったく違うことをやっているようで、根本ではつながっている。野球であり、教育であり。
2017年9月からは東京コミュニティスクールの教員になった。
幼児、小学生を対象とした全日制のマイクロ・スクールで、現在は体育と算数を教えている。
野球から離れる仕事になった。なぜ、教育の道に入ったのだろうか。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
松浦 中学生の部活を指導していて感じたんです。中学生って思春期で難しい時期でしょう。
野球に集中できない。これは野球だけの問題じゃないなと、教育について考えるようになりました。
受験への不安や、家庭や友人との関係に悩む。不登校になる生徒もいたという。
松浦 昔の野球部なら、仲間がいじめられたら「やり返しにいこうぜ!」という雰囲気だった。
でも、今は仲間がいじめられていることにも気付かない。ある部員が不登校になっても、他の子は「来たくないなら仕方ない」って。
野球に熱心な子はシニアやボーイズに入るから、部活のモチベーションは上がらない。高校野球をやろうという意欲も感じない。
グラウンドでの指導だけでは限界があると感じた。
松浦 何とかならないのかなと思っても、私のスキルとして足りない部分だと痛感しました。
野球の技術、トレーニング、身体のケア。さまざまな勉強を重ねてきた。
ただ、それ以前の人間形成、教育という部分への関心度が高まっていった。
そんなとき、知人を通じて東京コミュニティスクールの理事長に出会った。
松浦 「1度見に来たら」と誘われて見学し、第一印象で「これが教育なんだ!すごい!」と思いました。
勉強だけではなく、生徒とともに探究心を深めていく。
例えば「テーマ学習」に多くの時間を割きます。テーマを見つけて何週間もかけて学んでいく。
テーマによって算数も社会も理科、美術など、あらゆる教科概念が含まれる。
各教科に分かれて学ぶだけではない。知識だけの習得とは違い、着実に成長し、生徒と教師が学べるスクールなんだと思った。
テーマ学習について、同スクールのハンドブックから引用して補足したい。
「テーマ学習では、人生のための学び(LearningforLife)という観点を重視し、私たちが生きていく上で欠かすことのできない6つの探究領域を設定し、教科融合型(transdisciplinary)で学びます」
松浦さんは、ここで教員になる道を決心した。
松浦 実はプロを辞めた時の選択肢で、教員もありました。
教育に興味は持っていた。その時は医療を選んだけど、たまたま、ここで道がつながったんです。
現在は体育と算数を受け持つ。生徒からは「まっつん」と呼ばれて親しまれている。
東京コミュニティスクールでは、例えば4年生でも、算数が得意な子は5年生の勉強に進むという。
歴史が好きで、高校生の検定を受けている生徒もいるという。

松浦 楽しいことを突き詰めていくんです。決められた単元だけでなく、できるなら先へ進んでいく。だから子どもたちの興味が強いと思いますよ。
野球で言えば、打撃が好きなら、とことんバッティング練習をするという感じでしょうか。決められた練習にしばられない。
知り合いの小学校の先生にも「本来やりたいと思っている授業ですね」と言われました。
50歳を超えて、まるで別の世界に入った。
松浦 いや、私の中では野球とつながっています。
子供の考え方や気持ちの動き、すべて参考になります。今も週末は野球を指導していますが、とても役だっていますよ。
野球も自分で課題を見つけ探究し、自分をふりかえり、考えて行動しなければ一流選手にはなれない。このスクールの子供を見ていると、先々が楽しみですよ。
ちょうど、野球をしている男子生徒が通りかかった。松浦さんが「将来はプロ野球選手になるんだよな」と話し掛けると、その子は「うん」と言いながら笑顔で近づいてきた。
私は、未来のプロ野球選手に握手をしてもらった。
生徒が帰った後で聞いた。松浦さんの未来は、目標はどこにあるのか。
松浦 目標は立てていない。これまでも目標というより、やりたいことが仕事に結び付いている。
流れに任せて、日々子供から教えてもらったり、学ばせてもらっている。その都度、縁があってやってきた。
野球をやめてから20年間、それぞれで自分のスキルアップにつながっていると思う。
これからもスキルの幅を広げて、それを子供にも野球の指導にもつなげ、活かせることができたら良いなと思います。
取材が終わった時間には、もう生徒は誰もいなくなっていた。やけに静かで、さびしくも感じた。
「ゼロ戦のマツ」…いや、「まっつん」に見送られて、多くの人でにぎわう中野駅に向かった。
  〔2018年4/13(金)日刊スポーツ【飯島智則】〕

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