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J.シザノとTMの活用について

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2017年12月23日 (土) 20:56時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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J.シザノとTMの活用について

前にモザンビク大統領だったジョアキム・シザノが内乱状況を解決するのにTMを活用したという記事を読みました。
その事実を否定するのではありませんが、それはもっと重要な思想的な背景、歴史的な背景から見ないとおかしなことになります。
TMにそういう力があったというのではなく、ある局面でTMを活用し役立ったということです。
私はかつてモザンビクを研究対象とした時期があります。
A.パンゲーネというのちに閣僚を務めたゲリラ戦争の闘志とは知人です。
遠い記憶ですがJ.シザノの最初のレポートは、モザンビク独立運動を開始した、1964年9月の北部モザンビクにある植民地軍施設ムエダでの戦闘報告です。
1974年9月、独立に向けて臨時政府ができたとき、シザノはこの政府の首相を務めました。
1975年6月の独立後は外務大臣に就きました。
1986年、大統領のS.マシェルが事故で亡くなった後、大統領に就きました。
外務大臣当時にアメリカ国務長官キッシンジャーから「あなた方は革命家と聞いているのですが…」と尋ねられた時の答えは「その通りです。われわれがそれです。Yes,We are. We mean it.」でした。
キッシンジャーは「革命家とは違う」的な言葉を期待していたのです…。
独立後の政権を担うモザンビク解放戦線の政治路線は国内の平和的な統一戦略です。
隣国の南アフリカやローデシア(独立後のジンバブウェ)が人種差別政権であった時期には、この地域全体が「戦争状態 State of War」でした。
柔軟にして断固としている、これが一貫しています。
独立後40年になりこのスタンスも揺れているように見えるのが心配ですが、まだ大丈夫とみています。
シザノは大統領職を退いた後、舞台をOAUの場に移し、アフリカ各国の戦争状態を解消し、住民に平和を取り戻すための活動を続けています。
TMには人の心の平穏を助ける働きがあると認められるのでしょう。


松田 武己 わざわざ来ていただきありがとうございました。
いただいたペーパーのなかにモザンビクのJ.シザノの例がありました。
当時の事情の要点を知ることができました。シザノは確かに優れた人です。
TMがこのような役に立って幸いです。
〔2016年5月11日、TMの三木康さんのFBに〕

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