Center:2014年6月ー集中力がなくなったSSくんが自我をなくしたときのこと
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『ポラリス通信』(2014年6月1日)<br> | 『ポラリス通信』(2014年6月1日)<br> | ||
SS君はある思想家に関心を持っています。<br>「どういう人なの?」と聞くと、少し考えて「自由民主主義者です」といいます。<br> | SS君はある思想家に関心を持っています。<br>「どういう人なの?」と聞くと、少し考えて「自由民主主義者です」といいます。<br> |
2014年7月24日 (木) 11:03時点における版
Center:2014年2月1日ー集中力がなくなったSS君が自我をなくしたときのこと
集中力がなくなったSSくんが自我をなくしたときのこと
『ポラリス通信』(2014年6月1日)
SS君はある思想家に関心を持っています。
「どういう人なの?」と聞くと、少し考えて「自由民主主義者です」といいます。
どうも要領を得ません。違う方向から聞きました。
「ぼくにとっては自由とは、抑圧からの解放になるな。そういう自由でいいかな?」。
SS君は答えました。「自由とは、自我を肯定することです」 !
的確で深くて、驚きの答えでした。とても日常の会話にでてくる言葉ではありません。
はてどうつづけようかと思っていると、SS君が続けます。
「そのときは、静かで穏やかな時だったんです…」
私の記憶が不確かなので、もう少し違った言い方だったかもしれません。
“悟り”体験でもしたのではないかという調子で話が続きます。
次の言葉がまた衝撃でした。
「そのとき、自我がなくなっていく感じがしました。
そのときから、ぼくはおかしくなりました」。
7、8年前の中学校を卒業した後のことです。
歯が痛くて治療したとき、その部分がほんの小さなものであった経験があります。
それなのに口内の広い部分で何かが起きていると感じたものです。
SS君が経験したことは脳内のごく小さな衝撃ではなかったかと推測します。
しかし、それを受けた当人には大きな異変が脳内に起こったと感じたのではないでしょうか。
そういう感覚をSS君は実際に体験したのです。
SS君がいう「自由とは、自我を肯定することです」という意味は、全体を続けるとこうなります。
自我がなくなるときを経験した。だから自我のない自分には自由はない。
なぜなら自由とは自我を肯定することなのに、自分には自我がなく肯定する対象がない。
この体験を反対側からいうと「自由とは、自我を肯定すること」になります。
失ってからわかることがあります。
病気になって健康であることの意味を知るように、SS君は自我を失って自我を失うことは自由をなくすことを知ったのです。
こういう体験はSS君に限らず、ひきこもりを経験したいろいろな人が持っているように思います。
しかし、それを実体験として話せる機会はほとんどないのでしょう。
あるいはSS君ほどの明瞭な実感として残っていないのかもしれません。
その体験をことばにする難しさを超えられない人が多いのかもしれません。
SS君と比較的ひんぱんに会うようになったのはこの1年です。
彼の話には独特なものがあります。
社会制度などの知識はありますが、まとまったものではなく、とても深いものがある一方、バラバラで体系だったことは欠けています。
20代はじめとはそうあっても不思議ではないのですが、アンバランスの程度は大きいです。
聞いていくと少しずつですが知識がでてきます。
その知識が彼の関心を示しています。
今回はそれが単純に知識だけとはいえず、自分の経験に基づいていることを表しました。
私は“傾聴”というのを聞いたことがありますが、どういうものかはよく知りません。
自分なりの理解では相手の記憶の回復を促進するもので、話すうちに話す人が事態をうまく表していけるように助ける聞き方です。
正しい結論を求めるよりも話す当人が納得できる説明できるものです。
聞くほうはわからなくところがあっても、理解しようとする姿勢で聞くことです。
「わかった」と終わらせないことです。
こういうスタンスであれば、正しい理解ができなくても聞いていけるし、話す方もだんだんと深いところを話せるし、より深い理解に進んでいくと考えられます。
心理的な困難を持つ人はとりわけわかろうとする人によりわかってもらえるように話していくものです。
話しがわからないのは相手との関係の問題であって、上手く話さない人の問題ではありません。
上手・下手の問題ではなく、いずれにしても時間はかかって当たり前です。
自我かなくなっていく感じのなかで、SS君は何を失ったのでしょうか。
彼は自由をなくしたといいます。
自我を失ったことで引き起こされているSS君の日常的な言動を考えてみます。
“自己コントロール・抑制力の低下”ではないかと思います。
それはSS君が日常生活に粘りを発揮できないこと、ある1つのことを続けられない状態、集中力をなくしていることから推測するのです。
その要因は先天的・後天的なものが絡むのでしょうが、SS君が感じた異変のときがターニングポイントになっていることは確かではないかと思うのです。
そのときからかなりの時間が過ぎました。
お母さんの感じでは当時の状況からはかなりよくなっているということです。
脳の回復力の特異性が発揮されているのかもしれません。
お母さんの話では、そのころSS君の動きやことばや関心がいろいろ変わり、いくつかの“事件”もありました。
思春期や反抗期と時期と重なる言動の大きなゆれです。
そのころのことは衝撃だったようでお母さんはそれらをノートに書いているそうです。
それを見せていただくことになっています。