Center:124-アーユルヴェーダの理解(1)
Wikifutoko-sysop (トーク | 投稿記録) 細 (「124ーアーユルヴェーダの理解(1)」を「124-アーユルヴェーダの理解(1)」へ移動) |
|||
1行: | 1行: | ||
==アーユルヴェーダの理解(1)== | ==アーユルヴェーダの理解(1)== | ||
− | 〔2011年4月5日、掲載は4月18日〕 | + | 〔2011年4月5日、掲載は4月18日〕<br> |
− | + | 『アーユルヴェーダの知恵』(高橋和巳、講談社現代新書、1995年)。<br> | |
+ | 著者は医師。全体として著者のスタンスがわかりやすく、参考になります。ノートは数回に分けます。<br> | ||
− | 54ページあたりまでは、アーユルヴェーダによる医学の現代科学的な理解。著者の了解的な理解のし方としてわかりやすいものです。 | + | 54ページあたりまでは、アーユルヴェーダによる医学の現代科学的な理解。著者の了解的な理解のし方としてわかりやすいものです。<br> |
− | “怒り”を例にして、「物質でありかつ非物質であるという怒りの二面性」(50ページ)を解明。 | + | “怒り”を例にして、「物質でありかつ非物質であるという怒りの二面性」(50ページ)を解明。<br> |
− | *最上段に怒りの現象。…つり上がった目、青筋、緊張した筋肉、震え、動悸…。 | + | *最上段に怒りの現象。…つり上がった目、青筋、緊張した筋肉、震え、動悸…。<br> |
− | *二段目に血圧上昇、血管拡張、心拍増加、瞳孔散大、運動神経の緊張…など。 | + | *二段目に血圧上昇、血管拡張、心拍増加、瞳孔散大、運動神経の緊張…など。<br> |
− | * | + | * 三段目。交感神経系の緊張。「このレベルでの物質的基盤は交感神経と、そこから分泌されるノルアドレナリン、副腎から分泌されるアドレナリンなど」(52ページ)。<br> |
− | * | + | * さらに奥深く。脳内の神経伝達物質の動きと脳の神経細胞の興奮というレベル。<br> |
− | 「しかし、怒りの現象を指令しているのは脳のある特定の神経細胞の興奮ではない。脳のあちこちで、たとえば情動や記憶に深く関係する大脳辺縁系、扁桃核の神経、交感神経系の発動に関与している視床下部、あるいは理性的な判断に関与する大脳皮質など、さまざまな神経細胞が見せるある興奮の組み合わせ(パターン)全体が怒りを指令しているはずである。この『あるパターン』を私たちは怒りが脳の神経レベルで表現された状態と考えることができる。 | + | 「しかし、怒りの現象を指令しているのは脳のある特定の神経細胞の興奮ではない。脳のあちこちで、たとえば情動や記憶に深く関係する大脳辺縁系、扁桃核の神経、交感神経系の発動に関与している視床下部、あるいは理性的な判断に関与する大脳皮質など、さまざまな神経細胞が見せるある興奮の組み合わせ(パターン)全体が怒りを指令しているはずである。この『あるパターン』を私たちは怒りが脳の神経レベルで表現された状態と考えることができる。<br> |
− | この脳の神経細胞の興奮パターンは、もはや物質というより、『ある情報』の表現といってよいくらいに抽象化されている」(53ページ)。 | + | この脳の神経細胞の興奮パターンは、もはや物質というより、『ある情報』の表現といってよいくらいに抽象化されている」(53ページ)。<br> |
− | この先の説明は現代科学を超えるところになります。 | + | この先の説明は現代科学を超えるところになります。<br> |
− | 著者のアーユルヴェーダないしはヴェーダに理解と説明、さらにアーユルヴェーダのドーシャ(Dosha)理論の理論物理学者の試みを紹介しているが、未完成であり、著者自身も「とうぶんの間はひとつの仮説」(64ページ)としている。 | + | 著者のアーユルヴェーダないしはヴェーダに理解と説明、さらにアーユルヴェーダのドーシャ(Dosha)理論の理論物理学者の試みを紹介しているが、未完成であり、著者自身も「とうぶんの間はひとつの仮説」(64ページ)としている。<br> |
[[Category:不登校情報センター・五十田猛・無神論者の祈り|むしんろんじゃ]] | [[Category:不登校情報センター・五十田猛・無神論者の祈り|むしんろんじゃ]] |
2011年4月27日 (水) 21:51時点における版
アーユルヴェーダの理解(1)
〔2011年4月5日、掲載は4月18日〕
『アーユルヴェーダの知恵』(高橋和巳、講談社現代新書、1995年)。
著者は医師。全体として著者のスタンスがわかりやすく、参考になります。ノートは数回に分けます。
54ページあたりまでは、アーユルヴェーダによる医学の現代科学的な理解。著者の了解的な理解のし方としてわかりやすいものです。
“怒り”を例にして、「物質でありかつ非物質であるという怒りの二面性」(50ページ)を解明。
*最上段に怒りの現象。…つり上がった目、青筋、緊張した筋肉、震え、動悸…。
*二段目に血圧上昇、血管拡張、心拍増加、瞳孔散大、運動神経の緊張…など。
* 三段目。交感神経系の緊張。「このレベルでの物質的基盤は交感神経と、そこから分泌されるノルアドレナリン、副腎から分泌されるアドレナリンなど」(52ページ)。
* さらに奥深く。脳内の神経伝達物質の動きと脳の神経細胞の興奮というレベル。
「しかし、怒りの現象を指令しているのは脳のある特定の神経細胞の興奮ではない。脳のあちこちで、たとえば情動や記憶に深く関係する大脳辺縁系、扁桃核の神経、交感神経系の発動に関与している視床下部、あるいは理性的な判断に関与する大脳皮質など、さまざまな神経細胞が見せるある興奮の組み合わせ(パターン)全体が怒りを指令しているはずである。この『あるパターン』を私たちは怒りが脳の神経レベルで表現された状態と考えることができる。
この脳の神経細胞の興奮パターンは、もはや物質というより、『ある情報』の表現といってよいくらいに抽象化されている」(53ページ)。
この先の説明は現代科学を超えるところになります。
著者のアーユルヴェーダないしはヴェーダに理解と説明、さらにアーユルヴェーダのドーシャ(Dosha)理論の理論物理学者の試みを紹介しているが、未完成であり、著者自身も「とうぶんの間はひとつの仮説」(64ページ)としている。