Interview:いまだから笑える話
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2013年12月3日 (火) 21:54時点における版
いまだから笑える話
今人生の転換期を迎えて大変な思いをしてるんですが、ある人が「大丈夫。10年後には笑い話になってるから」と力づけてくれました。
そこで皆さんにお聞きします。
今だから笑って話せる思い出話があったら教えてください。
〔2012-09-06〕
子どものころ、といっても高校生までですが超貧乏な生活をしていました。
母と弟の3人で納屋の2階に段ボール箱を広げて敷物にし生活しました。
6畳ほどの広さで天井は低く、1階に降りるのは梯子で、1階は土間になっていました。
ある日帰ると、ラジオなどに差し押さえの紙が張ってありました。
いちばん思い出すのは夏休みです。
朝はジャガイモのゆでたのにマーガリンをつけて食べる、それが朝食のすべてです。
ジャガイモは親戚筋の人の畑を借りて育てていました。
高校にはほぼ毎日行き、補習授業。終わると週2回は小学生の家庭教師をしました。
朝は弟と分担して新聞配達です。
休日は比較的大きな漁港に住んでいたのでそこでの築港作業です。
このバイトが1日500円でした。
これらのアルバイト収入は高校の授業料と生活費などに当てました。
無駄遣いはありえないものでした。
雨の中、傘もささずに2Kmの家路に着いたことも珍しくはありません。
バスを使うと15円ほどだったと思います。
高校の進学クラスに入っていたのですが、予習していくことはありません。
勉強は宿題なども含めて授業のなかでやり遂げる予定のかなり強引なやり方をしていました。
成績はクラスの中ほどでした。
とても苦しかった生活ですが、高校を出て働くようになると急に経済的に楽になりました。
給与は月15500円でしたが、借金を背負っていた母ですので毎月1万円以上を渡していた記憶があります。
これを笑って話したことはありませんが、働き始めてだいぶんたってからは、何人かに話せるようになっていました。