Center:157ー精神エネルギーと筋肉エネルギー
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2013年9月17日 (火) 23:27時点における版
長期の引きこもりをした人が、久ぶりに外出するととても疲れます。
家にもどるとぐったり倒れこむこともあります。
これはたぶんエネルギーの補充が十分にされてこなかったことと関係します。
しかしそれだけではないのではないか。
引きこもりのあと居場所に通い始めるとひどく疲れる、バイトをすると異様に疲れる例もききます。
私はこれを、人に対して気遣うエネルギーは肉体労働的な筋肉エネルギーとは違って、消費が大きいのではないかと考えてきました。
最近、『色彩の科学』(金子隆芳、岩波新書、1988年)を読みました。
このエネルギー消費に関するちょっとした記述に出会いました。
ヨハネス・ミューラー(1801~58)の感覚神経特殊エネルギー説。
「視神経とか聴神経を伝わるのは、もはや光や音の波動のような物理的エネルギー、あるいはそれに類似したものではない。
神経には神経固有のエネルギーがある。
…ミューラーは何を考えたかは知らないが、現代の神経生理学の定説によれば、神経の活動は電気的パルス波である」(38p)。
特殊エネルギーは「その原因が何であれ、例えば視覚神経の活動は視覚体験しか起こさない、聴覚神経の活動は聴覚体験しか起こさない」(38p)。
「特殊エネルギーの種類は感覚の種類だけある、例えば視、聴、味、臭、触の五種類としておこう。そして、「それしかない」。
感覚神経のそういう特殊エネルギーの限定のゆえに、われわれは外の物理的世界がどうあれ、天から与えられた神経エネルギーの五つの様相でしか世界を知ることができない」(39p)。
ヘルマン・ヘルムホルツ(1821~94)は「筋肉の代謝の問題からエネルギー保存則をたてた(1847)。
人間も熱機関と同じだということである。こういう人間観だからミューラーの生気論を批判するのも当然である」(40p)。
期待したのは、筋肉エネルギーと神経エネルギーが別系統であるかもしれないことでした。
ヘルムホルツによりそれはないとされたようです。
しかし、ヘルムホルツがいう人間も熱機関と同じというのは人間機械論を思わせます。
現代の身体科学はそれにとどまっていないことを考えれば「人間も熱機関と同じ」とならないかもしれません。
まだ決着はついていないことにします。
本の終わりのほうで、カール・へリング(1834~1918)の反対色説が紹介されています。
意味がわからないのですが、それに関連した記述。
「ヘリング説が難しい理由の一つは、その反対色の概念が感覚神経の特殊エネルギー説となじまないことである。
合成・分解といったような相反する過程と神経エネルギーの特殊性との対応がつかないのである」(155p)。
これも意味がつかみかねています。
*このノートの追加的なことをブログ「不登校センター便り」に書きました。
(2013年9月16日)精神エネルギーの消費と筋肉エネルギーの消費は違うか?
(2013年9月17日)色覚異常は発達障害に関係するかどうか不明
(2013年9月17日)処女開眼者から連想する引きこもり経験者の3つのこと
(2013年9月17日)神経エネルギーに関する追加的なこと