Center:103-日本の精神文化に関心を持つきっかけ
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1980年ころ日本の社会科教科書をめぐり、東アジア諸国から批判が上がっていました。<br> | 1980年ころ日本の社会科教科書をめぐり、東アジア諸国から批判が上がっていました。<br> | ||
この地域は日本を含めて公式的テキストの持つ重みが他の地域とは相当に違う印象を持ちました。<br> | この地域は日本を含めて公式的テキストの持つ重みが他の地域とは相当に違う印象を持ちました。<br> | ||
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− | + | 侵略の記述への批判は共通していましたが、教科書を問題にする重みの違いを見たのです。<br> | |
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たぶんイタリア人にはさっぱり伝わらなかったと思います。<br> | たぶんイタリア人にはさっぱり伝わらなかったと思います。<br> | ||
しかし、私はそれがどの程度の妥当性を持つのかその後で調べ、考えてみようとしたのです。<br> | しかし、私はそれがどの程度の妥当性を持つのかその後で調べ、考えてみようとしたのです。<br> | ||
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いくぶんノートに書いていたものもありますので、いまそれを参考に考えようとするのです。<br> | いくぶんノートに書いていたものもありますので、いまそれを参考に考えようとするのです。<br> | ||
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2011年3月26日 (土) 23:48時点における版
日本の精神文化に関心を持つきっかけ
〔2011年3月26日〕
2006年終わりころか2007年になってからか、イタリアの国営テレビ局スタッフによる「引きこもり」の取材を受けました。
いくつかの質問を受けたのですが、質問のなかに引きこもりの精神文化的背景をどう考えるのかというものがありました。
ふと浮かんだのは、東アジアの儒教文化圏です。
1980年ころ日本の社会科教科書をめぐり、東アジア諸国から批判が上がっていました。
この地域は日本を含めて公式的テキストの持つ重みが他の地域とは相当に違う印象を持ちました。
第2次世界大戦中に日本軍の侵略を受けた国のなかで、教科書の記述内容をめぐり中国、韓国とフィリピン、マレーシアなどでは大きく違っていました。
侵略の記述への批判は共通していましたが、教科書を問題にする重みの違いを見たのです。
儒教文化圏の精神文化の規範・亀鑑の強さが個人に抑止的な影響を与えていると私は説明しようとしたのです。
たぶんイタリア人にはさっぱり伝わらなかったと思います。
しかし、私はそれがどの程度の妥当性を持つのかその後で調べ、考えてみようとしたのです。
それ以降に何冊かの文献を読み、ほとんどが読み散らかしです。
こうして日本の精神文化に関心を持つようになり現在に続いています。
いくぶんノートに書いていたものもありますので、いまそれを参考に考えようとするのです。