居場所は地域共同体の一種の復活
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2024年12月27日 (金) 12:44時点における版
居場所は地域共同体の一種の復活
ひきこもり経験者が集まる居場所がなくなった不登校情報センター。
しかし幕は閉じずに続いているのは「ひきこもり周辺ニュース」のサイト制作を続けているからです。
サイト制作は20年前に始まり、はじめはフリースクール、相談室、親の会などに直接に所定用紙を送り、その回答を載せていました。
いくつかの変遷があり、いまは主に自治体広報紙から「ひきこもりと周辺」の動きを探しています。全体で2.6万ページを超える巨大サイトです。
自治体広報紙の情報は「マイ広報」というプラットフォームがあり、そこに一定の検索語を考えて、関連記事をひき出しています。
マイ広報には多くの自治体が参加していますが政令指定都市が少ないのが制約です。
しかし動きは他の自治体の情報でわかります。数年前のスタート時点の検索語には「ひきこもり」「発達障害」「不登校」でした。
これにより講演会等のイベントがあれば、サイト内の「不登校・ひきこもり・発達障害のイベント」に日付順に紹介する形をとっています。
このあたりまでを、〈まえがき〉として今回の本題に入ります。
今年(2024年)になって検索語に「居場所」を考えました。
検出された記事の扱う範囲が広くて、どの記事を採用しどれを捨てるのか—この判断に迷いもあり、しばらくこの迷いは続くはずですが—このなかに世の中の、とくに何らかの困難に直面している人たちの本質的な内容があると考えます。
居場所というのは〈居る場所〉ですから特別に意味をもつ日本語ではありません。
それが特別の意味合いをもつようになりました。
暮らしにくい、住みづらい、生きづらいという人のなかから「居場所がない」という感覚が育ち、そういう人たちが安心しておれる「居場所を求め始めた」ところから、居場所が特別の意味合いを持ち始めたものでしょう。
1980年代になってから不登校の子どもが増え始めたのは「学校が居づらい」と感じたためです。
それは時代の雰囲気を感度よく察知したという意味でもあります。このあたりから居場所が特別の意味合いを持ち始めたように思います。
不登校の子どもたちとは学校に居場所がないばかりではなく、家にも居場所がないことも多いのです。
自室に閉じこもるのはその対応策でしょう。
他方には学校・家庭以外の第三の居場所を考える人もいました。これが居場所の正規の成立になるはずです。
不登校情報センターは1995年に立ち上げ、翌年の1996年に「通信生・大検生の会」を呼びかけて集まったのが、不登校情報センターの居場所のスタートです。
誰かが自助会=自分で自分の力で自立していく力を育てる場というほどの意味合いをもつと、そのころには聞いていました。
1998年に情報センターの7畳ほどの狭い事務所に30人以上が詰めかけるようになりました。
やがて集まって来るひきこもり経験者たちの中から「人生模索の会」をいう人が出てきました。
さいわい新小岩にあった第一高等学院の校舎が閉鎖になり、無償提供の提案を受け、引っ越しました。2001年6月のことです
。
これから不登校情報センターにとっては本格的な居場所になりました。
1年365日、元旦も含めて連日、誰かが来る場になりました。その様子は別に書いているので省きます。
注目点は世の中に広範に多様な形で展開しているこの数年の居場所です。
これを全国各地の自治体広報紙が紹介し、ときには自治体自ら主催・運営している事態を何と見ればいいのか。
結論じみたことを急いで書くは、ひきこもりとその周辺領域と思える十代から30、40代あたりの人の居場所、あるいは当事者の会、フリースペースの動きを検索して収集するつもりだったのです。
検索では多いのは高齢者の認知症の居場所、次が乳児など幼少期の子育てに関するママたちの居場所が記憶に残りました。
これらはサイトには採用していません。たぶんこれからも採用しないでしょう。
しかし、求めるものとそれらとの境界を見きわめがたい居場所があり、また居場所の性格が変わることもあります。これが採否を迷う理由です。
これとは別に2015年あたりから子ども食堂が全国に広がりました。子どもの貧困ということは家族の貧困が背景にあります。
子ども食堂も数が多いばかりでなく、多様です。
来ている子どもが宿題をする場になり、大人も一緒に集まる地域食堂の色合いをもつ場もできてきました。
もはや居場所の一種、特別の形といってもいいのです。
これらがどこまでどのように広がるのかは予想できません。2024年12月には全国で1万か所の子ども食堂があると発表されました。
居場所は分野を広げながら生まれています。
年代をこえて身心の状態をこえて、あるいは国籍もこえています。その先行きを私が何か言うのは適当とは思われません。
そういう動きを必要とする社会状況の反映であり、証拠になると認めます。
自治体が参加する居場所はその一部でしょう。広報紙に紹介し、ときには自らその機構の一部で主導的に開催し、運営しています。
住民の中に生まれたことを、公的な機関が認めて推奨する事態になっているのです。
私にはその内容を不登校情報センターの経験を参考にして言えるだけです。
今はその一つの側面として次の役割があると考えています。
比較的共通のマイナス体験をした人が集まり、その要因、背景理由、対応策などを交流しながら、共通する前途を探そうとする場。
自分の体験の否定的側面を心理的負担が少なく話せるなかで、より本質的な要素を明らかにしていけます。
それは同時に自分の体験を肯定的に見る役割さえ持ち得るものです。
その上でさらに遠い見通しを予測すれば、次のことが言えるのではないでしょうか。
人間の集まりは、「家族・親族集団」から一定の地域の「地縁的集団」に移行しつつあります。
この居場所はそれに加えて「課題の親和性による集団」といえるかもしれません。
居場所は一定の地域が中心に展開されているので、地域共同体の別種の復活の形になるのです。
それは家族が、孤立した個人が、自分の居る地域と自分の抱える課題により社会で生きていくための条件をつくり出していく一過程といえるでしょう。